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和尚のひとりごとNo119「三祖記主禅師然阿良忠上人」
一向上人の師であり、浄土宗の三代目である良忠上人について紹介します。
良忠上人は、正治元年(1199年)島根県三隅町に生まれ、13歳の時に天台宗寺院の鰐淵寺(がくえんじ)に入り、16歳の時に出家されました。
良忠上人は、その後、禅 真言 法相 華厳 律 倶舎等を修められ、34歳の時故郷の岩見にもどり、多陀寺(ただじ)において5年にもわたる不断念仏を修めます。
修行のさなか生仏法師から、九州におられる浄土宗二祖聖光上人に会う事を勧められ、九州に向かわれます。嘉禎2年(1236年)9月、福岡県の天福寺(てんぷくじ)にてお逢いになり弟子入りされました。
二祖聖光上人の許にて修学し浄土宗の教えの全てを受け継ぎ、翌年の嘉禎3年8月、二祖聖光上人の後継者として認められ、浄土宗の三祖に認められました。良忠上人39歳の時です。
歴仁元年(1238年)島根県にもどり、広島県など中国地方の教化活動を約10年の間行い、宝治2年(1248年)には、京の宮中にて 「浄土三部経」を講じています。信濃の善光寺(ぜんこうじ)に参拝後関東に向かわれ、建長元年(1249年)には下総国にて教化活動を始められました。現在の千葉県 茨城県を約10年にわたって教化され、文応元年(1260年)鎌倉へと向かわれました。
鎌倉で、北条一族の大仏朝直(おさらぎともなお)の帰依を得て、悟真寺を建立し、この地にて多くの弟子を育成されました。後の鎌倉光戒光明寺です。
健治2年(1276年)には、弟子の要請によっての都に向かわれ、当時、都にて混乱していた浄土宗の統一と復興に尽力します。
弘安9年(1286年)には鎌倉へと戻られますが、翌、弘安10年(1287年)89歳で入寂されました。
後に、朝廷より「記主禅師」の号を賜ります。
良忠上人は多くの書物を書かれ、弟子も数多く輩出し、弟子たちは全国各地へと浄土の教えを弘めていき、浄土宗の基盤を築かれていきました。
今私たちが法然上人の教えを受け取ることが出来るのも、良忠上人や歴代の御門主の尽力のおかげではないでしょうか。
感謝をこめて、南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛・・・・