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和尚のひとりごとNo121「どんな時代」

 

和尚のひとりごとで幾人かのご上人をご紹介させていただき、~年にお生まれになって、~年にお寺に出家してなどと書いてきましたが、~年にしましたと書かれていても、歴史に詳しくないと、どんな時代だったのかわからないかと気づきましたので、まずは、法然上人がおられた時代を案内したいと思います。

 

法然上人は1133年にお生まれです、この時代は、平安時代の終わりごろになり、朝廷内では、権力闘争が激しく大きな戦乱も起こっていました。その影響は地方にも及んでいました。1141年におこった法然上人の父である漆間時国(うるまときくに)が明石源内武者貞明に襲われて亡くなる事件もその一例になります。漆間時国 明石貞明らは、地方に派遣された役人で、役人同士での争いも多くありました。

 

法然上人はその後、比叡山へ入り修行されます。比叡山から京都や奈良のお寺に遊学はじめた1156年は、「保元の乱」という大きな戦があり、京の都は亡くなった方や、家族をなくした子供、住む場所をなくした人々がたくさんいたそうです。

その光景をご覧になり、このような人々が救われるにはどうすればいいかと考えられるようになりました。

 

比叡山に戻られ、浄土宗を開かれる1175年まで比叡山黒谷に籠られました。

時代は、「平治の乱」によって、平氏が権力をにぎり、平清盛の時代になります。

 

開宗され、京の都にて活動はじめる1175年以降は平家の権勢に陰りがみえ、源頼朝が台頭してきます。

法然上人が京の都にて布教されていた時代は、源平合戦がおこなわれていた時代です。

鎌倉幕府が出来る1190年代には、法然上人を慕って多くのお弟子さん達が集まっていました。頼朝の奥さんの北条政子とも親交があり、手紙などが残っています。

 

こうしてみると法然上人はほぼ戦乱の時代に活動されたといえます。

混乱した時代だからこそ多くの人々がお念仏によって救われた事だと思います。

 

現代も混乱ではありませんが、混迷の時代ではないでしょうか。

こんな時代こそ法然上人の教えを守り、お念仏を称えましょう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・・・・・

 

和尚のひとりごとNo120「願うこころは道をつくる」

 

 初夢は「一富士・二鷹・三茄子」と新年を迎え、見ると縁起が良い夢として伝えられています。起源や言い伝えには諸説有るようですが、平穏無事(富士)に、高い志をもって運気上昇(鷹)、怪我無く物事が成せるように(茄子)と、一年を迎えるにあたっての願いが込められております。今も昔も変わらぬ、我々人間の願いであります。出来るだけ万事無事に、運気も高まり、物事が達成出来れば言う事ないのであります。しかし、なかなか上手くいかないのがこの世の中。我々人間の願いとは裏腹に、思い通りいかない無常の世の中であります。

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 そんな思い通りにいかない苦しみの世の中を見られ、悲しみに暮れる我々人間の為に生きる希望の道筋をお立てになってくださったのが阿弥陀如来様であります。悩み苦しむ人々をなんとか救ってやりたい、救わせてくれと願われご修行されて、仏となられたのが阿弥陀如来様。仏となられた阿弥陀様の名を呼べば必ず救ってくださる。

その救いの先、救いの場所が西方極楽浄土であります。この世の中の一番の悩み苦しみである「死」を先に解決してくださっているのが南無阿弥陀仏のお念仏であります。お念仏の御教えは、「死」の苦しみを解決してくださっていると共に、先に亡くなられた方とまた会えるという再会の場所を作ってくださったのであります。

 

 

 

平穏無事に、高い志をもって、怪我なく物事を成していける様にと願いつつ、この世を生き切った先には阿弥陀如来様の居られる西方極楽浄土がある。何かと上手くいかない世の中にあっても、死んで終わりではない事、亡き人ともまた会えるという再会の場所がある事が生きがいになって参ります。その生きがいをもって、今年一年も共々に南無阿弥陀仏とお念仏を申して過ごしてくださいます様にお願い申し上げます。 合掌