Monthly Archives: 4月 2016

今日は、本日(平成28年4月1日)玉圓寺のホームページが新しくなりました。 いままで、玉圓寺のホームページをご覧いただいていた皆さま、いかがでしょうか。 檀信徒の皆さま、お参りの際に感想など、お聞かせいただければありがたいです。

こちらの(和尚のひとりごと)は、いままでは過去の記事を含めて全て一覧で表示されていましたが、新しいホームページでは、記事の内容で分類しました。 最新の記事は、トップページ(最初の画面)に表示されます。過去の記事は、画面右上の和尚のひとりごとを選んでいただくと分類分けされたものが表示されます。

たとえば、法然上人を選んでいただくと、法然上人について書かれた記事が、表示されます。

もう一度、過去にはどんな記事が、あったのかと読んで頂ければありがたいです。

檀信徒の皆さま 玉圓寺のホームページをご覧いただいている皆さま、玉圓寺一同、当ホームページをご覧いただきまして感謝しております。

引き続き、玉圓寺ホームページをよろしくお願いいたします。

次回は大本山 鎌倉の光明寺の記事です。

浄土宗の大本山善導寺をご紹介します。

善導寺は、正しくは、井上山光明院善導寺(せいじょうざんこうみょういんぜんどうじ)と申します。

九州は福岡県久留米市にございます。

善導寺は九州の地の浄土宗、念仏の根本道場として、幾度かの盛衰を経て今日(こんにち)にいたります。

善導寺は浄土宗の第二祖 聖光上人(しょうこうしょうにん)が開かれたお寺です。

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最近の話題で、葬儀事情が、TV ラジオ 雑誌等で、よく耳にします。

直葬(ちょくそう)とは、祭壇を飾ったり、儀式的な事をせず24時間後、火葬所に搬送されて終わりと言う事です。

家族身内がいるのに葬儀 僧侶の回向 お戒名も頂けないままに火葬所送り。

あなたを育ててくれた大事な両親を、物扱いでいいのでしょうか?  生前に「子供に迷惑掛けたくないから、亡くなっても葬儀は、しなくてもいいよ」といってもこれは、本音でしょうか?

私たちが、生まれてきた時どれだけの愛情をそそいでくれたのですか?

直葬は、終わった後、何とも言えない悲しい思いが、抜けきれず、一生心から離れません。

経済的な理由でどうしても葬儀式が出来ない方は、福祉関係、葬儀関係 菩提寺(お付き合いのある寺院)に、相談してください。必ずいい結果があるはずです。

知恩院の御廟を紹介です。

以前(和尚のひとりごと92)ご紹介しました勢至堂へ参る道、石段を登り、門をくぐりますと正面に勢至堂のお堂が見えます。右側を見ますとさらに上へと続く階段があります。その階段を登ったところに御廟がございます。

御廟には、法然上人のご遺骨がご奉安されています。

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こんにちは、玉圓寺の宮島です。先日、カンボジアに行く機会が、ありました。

カンボジアはつい最近まで、内戦と混乱が続いていました。1993年に収まってからまだ十数年しかたっていません。まだまだ混乱の傷跡が多くのこっていますが、首都のプノンペンは大分復興されているようでした。(サッカーの国際試合2015年11月18日の日本対カンボジアなどができるぐらいに)

復興されてきたとはいえ、インフラ整備は、まだ不十分なようです。

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和尚のひとりごとNo.93 「師走」


十二月に入り、今年(平成二十七年)も残り少なくなってきました。

ところで、十二月のことを、昔から師走と呼びますが、昔とはいつぐらい前なのでしょうか。平安時代の頃にはすでに十二月のことを師走と呼んでいたようですが、はっきりとした起源は不明だそうです。

では、師走とはどういう意味なのでしょうか。

そのまま、「師が走り回るほど忙しい」という意味です。

ここでクイズです。この「師」とは誰のことでしょうか?

① 華道(生け花)のお師匠さん
あちらこちらにお正月用のお花を生けるのに忙しいです。

ちなみに浄土宗には華頂流という生け花の流派があります。


② 落語や漫才などの芸人のお師匠さん
年末年始のテレビなどの特番に忙しいです。

③ 学校の先生
テストや通信簿の作成、年が明けると受験シーズンになるので忙しいです。

④ お坊さん
年末は、普段はゆったりしているお坊さんでも走り回るほど忙しいです。

① から④番のうち正解はどれでしょうか。
(和尚のひとりごとで問題にしている時点で答えは出ているようなものですが。)

正解は最後で。

十二月は「師馳(は)せ月」ともいい昔からお正月は盆と同じように祖先の霊をともらう月で、お坊さんが、お経をあげるために、あちこちの家を忙しく走りまわったのが由来といわれています。

「師」とは、お坊さんのことを「法師」と呼ぶことからきています。

※「師走」については諸説ありますが、「師は僧侶」説をとらしていただきます。

玉圓寺でもお正月一月一日には、ご先祖様を敬い一年の安全を願う修正会(百燈明)を行っています。

和尚のひとりごと「正座について」

今回は正座の歴史について書いていきたいと思います。生活様式の変化からなかなか正座をする機会が無くなってきた今日、法事の時など慣れない正座で足が痺れて法事の事などそっちのけという方も少なくないのではないでしょうか?
 
 正座は日本に古くからある一般的な座り方であると思われている方も多いと思いますが、意外にその歴史は新しく正式な座法となったのは近世になってからであり、千利休が「茶道」を完成させ正座を基本として定めてから後の事だと言われています。
 
 それ以前にも正座と言う座法は一応あったものの、神道での神や、仏教での仏像を拝んだりする時の座法でした。そのため一般にはあまり普及しておらず、日常では胡坐(あぐら)や立ち膝で座るのが一般的でした。同様に近世期の武士においても正座は『膝を屈する』最大の屈辱と考えられていて、主君や親の前でも正座はしなかったと言われています。
 
 正座が広まったのは江戸時代の参勤交代のときに将軍の前では大名達は正座をするように取り決められ、それから各地に広まったという説や、近世期に畳が普及し始めたというのも大きな要因であると思われます。しかしながら畳は高価なものであり正座が庶民に広まったのは江戸末期位からだと言われています。
 
 正座が一般に広まりだして約400年。仏教伝来はもっと以前になりますから、意外にその歴史は浅いのかもしれませんね。