偈文

和尚のひとりごと「伝道掲示板304

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食前の作法の最後に唱える偈。

”一切の悪を断ぜんが為
一切の善を修せんが為
一切の生を度せんが為
仏道回向の為”
我々が食を受けるのは、全て仏道を進み、菩提を得んが為であることを誓願する。

和尚のひとりごと「伝道掲示板303

生飯偈

鬼神や餓鬼等に呼びかけ
自らの食から取り分けて施すことにより
それら生類の一切が飢渇より離れんことを願う。

「等得(とうとく)」の句頭により行われる生飯(さば)の作法に続き唱えられる。
「生飯」とは、鬼神・餓鬼や無縁仏に供え、また鳥獣に施す為に、食物を取り分けるもの。「散飯」「三把」「三飯」との表記もあり、唐音の「さんぱん」に由来するとも言われる。
『一百四十五箇条問答』によれば、この「生飯」と施餓鬼は「出家沙門たる者毎日修する事」とされる。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板302

正食偈

”もし飯を食す時
まさに衆生が、禅悦を食と為し、法喜が充満せんことを願わん。”

食を受けるときには、禅定の悦びをこそ食となし
仏法の真理を悦ぶ心で満たされんことを願う。
五観の偈に続き唱える。
出典は『華厳経』より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板301

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〔原文〕
 一、計功多少量彼来処
 二、忖己徳行全欠多減
 三、防心顕過不過三毒
 四、正事良薬取済形苦
 五、為成道業世報非意

”一つには、目前の食がここに至るまでにかかった労力をねぎらい、感謝の心を持つこと
二つには、己自身がこの食を受けるに値する徳を備えているか、反省すること
三つには、この食に対しての執着は三毒の煩悩に発するものであると肝に銘ずること
四つには、この食は身を養う良薬の如きものであり、また肉体の苦境を救うものであることを思うこと
五つには、この食は仏道を成満せんが為のものであり、世の栄誉とは関わらないものであると考えること”

食作法で唱えらる、各宗で広く用いられている偈。
出典は道宣『四分律行事鈔』。
律の大家道宣がこの五観の偈を考案し、食作法に取り入れたという。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板300

呪願偈

”この食の色・香り・味を、十方の仏に上献し、諸々の賢聖に奉り
下は六道に及び、等しく差別なく施し
皆、飽満を随感し 諸々の(又は今の)施主、無量の波羅蜜を得ん事を。”
同じく食作法において唱えられる。
施食の施主にはかり知れない功徳が有らん事を願う。
呪願偈の”呪”は祈念するの意。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板299

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”この食を得る時には
まさに衆生が、法の為に供養し、その志が仏道に存する事を願わん。”
出典は『華厳経』より。
食作法において唱えられる。
『四分律刪繁補闕行事鈔』によれば、食膳の際には、この食が本来は、
求め難く得難きことを観ずべきであるとし、この偈文が引用される。

和尚のひとりごと「伝道掲示板298

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”もし鉢をひろげん時には、
まさに衆生が、身心寂静、離諸粗暴であることを願わん。”

展鉢(てんばつ)とは包んでいた布を広げて鉢を取り出すこと。
鉢は応量器のことで、本来は托鉢の際に施食を入れる為に持ち歩く比丘六物のひとつ。
食が始まろうとするまさにその時に、比丘たる者は、衆生の心身が寂静であり、
諸々の粗暴から離れらることを願うべきであるという内容。
出典は『華厳経』より。

和尚のひとりごと「伝道掲示板297

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食作法においてかつて我が宗でも唱えられていたもの。
献膳(けんぜん)のあと、槌(つち)が鳴らされて、大衆一同で唱える。
釈尊の御一代の大事を想起する内容となっている。
”仏はカピラヴァストゥに降誕し、マガダ国にて成道し
ヴァーラーナシーにて最初の説法を行い、クシナガラにて入滅された”
これらの土地は現在に至るまで仏教徒にとって大切な四大聖地である。
すなわち、生誕のルンビニ―、成道のブッダガヤ、初転法輪のサールナート、般涅槃(入滅)のクシナガラである。

和尚のひとりごと「伝道掲示板296

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食作法の肇に唱える十の仏・菩薩の名号。
食膳に関わった全ての施主等の、災障の消滅、および福徳と智慧の増大を願うために唱えるもので、
初めに唱える次の句頭がそのことを示している。
”十方(じっぽう)(又は今日 こんにち)
施主災障消除(せしゅさいしょうしょうじょ) 福慧増長(ふくえぞうじょう)”

食前に十の仏名を唱えることは釈道安に遡るという。
道安は西晋から前秦にかけて(四世紀)の人。
初の経典目録の作成や釋性の創唱、またまだ格義仏教の影響が色濃い中で仏典に即した理解を勧め、
仏教教団の確立に大きな功績を残している。

和尚のひとりごと「伝道掲示板277」

称讃偈

善導『般舟讃』より

(書き下し文)
釈迦如来の真の報土は、清浄にして荘厳の無勝是れなり。
娑婆を度せんがために、化を分って入り
八相成仏して衆生を度す

増上寺を中心とした東国の縁山流声明において唱えられるもので、この偈は初重に該当する。続く二重・三重とともに、まず前段の四念仏が唱えられ、それに後段の偈が続く形式をとる。「称讃偈」と称されるように誦経後の称讃として用いられることが多い。
”八相”とは教主釈迦牟尼仏の生涯を彩った大切な出来事で、弥勒の兜率天からの「下天(げてん)」、母摩耶夫人の胎内に宿った「託胎 (たくたい) 」、母故郷への道すがら、その右脇から誕生した「降誕 (ごうたん) 」、人生の苦悩を解決せんがために城を出た「出家 (しゅっけ)」、覚りに対する悪魔による障害を退けた「降魔 (ごうま)」、そして菩提樹下での正覚(さとり)である「成道 (じょうどう)」、鹿野園において五比丘になされた最初の説法である「転法輪 (てんぼうりん) 」、クシナガラ沙羅双樹のもとで入滅された「入涅槃 (にゅうねはん) 」の八つを指している。

 

合掌