法要

和尚のひとりごと「正月

令和4年を迎えました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
さて正月はまず年初に各寺院で「修正会(しゅしょうえ)」が勤められ、その年の天下泰平ならびに人々の安寧が祈念されます。そして宗祖法然上人のご命日である1月25日(寺院により日程は前後しますが)には、「御忌大会」が厳修されます。
「修正会」の「修正」とは、正月に修される法要ということ、その起源ははるか古代中国にさかのぼり、我が国では称徳天皇の神護景雲2年(768年)、諸国の国分寺にて天下泰平・五穀豊穣を祈って営まれたのを嚆矢とし現在に至ります。
そして浄土宗の修正会にて必ず唱えられるのが『大無量寿経』の一節「天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 国豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修礼譲(てんげわじゅん にちがつしょうみょう ふうういじ さいれいふき こくぶみんなん ひょうがむゆう しゅとっこうにん むしゅらいじょう)」であります。「目覚めたるブッダのいらっしゃる世界においては、平和で、太陽・月は世を明るく照らし、風雨も穏やかであり、災い・疫病も起こらず、国土は豊かで、兵力は必要とせず、徳が重んじられて人の道も尊重され、礼節も守られている」。
年始めの「修正会」においては、皆心を一つにしてこのような世界の実現を祈念いたします・
「御忌(ぎょき)」は元来、天皇や皇后といった身分の高い方々の忌日法要に対する名称でありましたが、大永三年(1523年)の詔勅(しょうちょく、みことのり)により、我が宗祖の年忌法要を「御忌」として勤めることが定められたと伝えられます。
「毎年正月、京畿の門葉を集め、一七(いちしち) 昼夜にわたって法然上人御忌をつとめ、はるかに教えの源をたずねよ」。この詔勅により、毎年1月18日よりご命日の25日まで7日間にわたり法要が営まれ、江戸時代になると幕府による外護のもと、全国の人々が参集するまことに盛大なものとなりました。
現在では総本山知恩院、ならびに大本山増上寺では春を迎えた4月に御忌大会が勤められています。
皆さまにとりましても、宗祖の御心そしてお念仏に御教えの有り難さを思い、お念仏の道にご精進いただくよき機会となりますことを心より祈念いたしております。
合掌

和尚のひとりごと「仏名会

先日は立冬を迎え、いよいよ歳末に向かう世相となって参りました。さて年末12月には全国各地の寺院で仏名会が開かれます。これは毎年師走の中旬の3昼夜を通して、過去・現在・未来という三世の諸仏の御名(みな)を唱えて、その年に犯してしまった罪障(罪 つみ・咎 とが)を懺悔(さんげ)し、その滅罪ならびに生善(罪が消滅し、善へと転化すること)を祈る法会であります。その歴史を紐解けば、遥か天平の昔より宮中内裏にて始められ、平安時代には恒例行事となりました。
”諸仏の名号を受持し、その功徳によって懺悔滅罪(さんげめつざい)すべきこと”、このことがはっきり表現されている経典は『仏名経(ぶつみょうきょう)』として知られる《三劫三千諸仏名経(さんこうさんぜんぶつみょうきょう)》であり、これが数ある異本の中で最も完備したものとされています。またこの発想は遠く仏教の故地インドに遡るものであり、中国に伝わると後代に至るまで仏名を唱和することは盛んに行われていたようで、日本仏教の淵源のひとつ敦煌においても類する経典が発見されています。
奈良東大寺の仏名会では、過去を表わす薬師如来・現在を表わす釈迦如来・未来を表わす阿弥陀如来の三仏を主尊とし、それぞれの仏が描かれた大きな掛け軸を祀り、そのいずれかに向かい僧侶たちが全身を擲(なげう)って礼拝を行います。その際、3つの掛け軸にはそれぞれ千体の仏が描かれ、毎年礼拝の対象となるのはいずれか1つである為、3年がかりで一千づつ計三千の仏を巡ることになります。ちなみに本年令和3年は未来仏である阿弥陀如来がその対象となるそうです。
東大寺二月堂の恒例行事といえば修二会(お水取り)が有名であり、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶たちによる激しい礼拝が知られていますが、この一千仏に対する懺悔の礼拝も、両膝・両肘・額の五体を疊にすりつけては立ち上がる五体投地が基本とされています。
さて我が浄土宗の総本山知恩院でも古くからこの仏名会が行われてきました。現在では12月2日から4日までの3日間に渡り、三千仏画を掲げて『仏名経』が唱えられます。
ところでこの仏名会の背景には、仏さまという存在はこの世界にただ一人しかいないのではなくて、私たちが暮らすこの世界以外にも数多くの世界があり、それぞれに仏が出現されているという発想に基づいています。さらに現在だけではなくて過去や未来を含めて考えると、実に無数の仏さまが現れても不思議ではないはずです。浄土宗では、それらの諸仏に対して心から自らの罪を懺悔するとともに、その罪を洗い流すために懺悔礼拝を勤め、日々のお念仏も欠かさないように薦めています。
何気ない日々の生活においても、気づかぬうちに様々な罪を作ってしまうのが私たちの偽らざる姿なのかも知れません。年末の慌ただしい時期ですが、皆さまも改めて自分の心を見つめ、仏さまに手を合わせるよい機会としていただければ幸いです。

和尚のひとりごとNo491「涅槃会」

本日2月15日は涅槃会の日です。涅槃(ニルヴァーナ)とは本来、お釈迦さま(釈迦仏)の覚りの境地を表す言葉ですが、やがて弟子たちにより、釈迦仏は肉体が滅することで本当の意味での涅槃に入ったのだと考えられるようになり、釈迦の入滅をもって涅槃と称するようになりました。これを般涅槃(はつねはん、完全な涅槃)と呼びます。
釈迦仏の入滅については確かな記録がない為、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日に、盛大に法要を営み、私たち北伝の仏教徒たちは伝統的に2月15日に涅槃会を厳修する事とされています。nehan

さて釈迦が入滅されたのは、インド北東部のクシナガラにあった沙羅双樹(サーラ双樹)の元であったと伝えられます。実に45年に及んだ伝道教化の旅路を終え、80歳の高齢に達していた釈尊は、これに先立ちゆかりの地ヴァイシャーリにて従者阿難尊者(アーナンダ)に3か月後の入滅を予告し、パーヴァーで鍛治屋チュンダの施食を受けます。そしてその際に召し上がったスーカラ・マッダヴァによる食あたりが死因になったと伝えられます。

この「スーカラ・マッダヴァ」については、昔は茸だと考えられてきましたが、豚肉を指すと考える方が穏当なようです。現在のインドでは豚肉はほとんど食される機会がありません。それはイスラム教が豚肉を食するのを禁じているからです。同様、現在ではヒンドゥー教徒によってタブー視されている牛肉を食することも、当時は普通に行われたようです。

ところで出家の身が肉や魚を食してもよいのか?疑問に思われる向きもあるかも知れませんが、出家者が守るべき規範である律には肉食を禁じた条項は存在しません(とは言っても蛇やヒト等、特定の動物の血肉を食すべきではないという記載はあります)。

しかし注意すべきは、そこに条件が付されている事です。その条件とは、「見・聞・知」を満たしていなければならないというものです。「見」とはその動物が殺生される場を見ていないこと、「聞」とは自分に施す目的で殺生されたということを聞いていないこと、そして「知」とは同様にそのことを知らないことです。これらの条件を満たすものを「三種浄肉(さんしゅじょうにく)」と呼んでいます。

やがて時代が下ると出家の肉食のタブーが成立し、いわゆる精進料理が僧侶の食事だと考えられるようになりますが、それは大乗仏教になってからの話。伝統的には、施されたもののみで生活し、施されたものに対してえり好みを交えず、食する量を八分目に、そして施されたものは決して持ち越さずその場限りのものとする事、これが釈迦の「食」に対する基本姿勢でした。

静かに最後の時を迎えた釈迦が残した言葉が 「もろもろの事象は過ぎ去るものである。おこたることなく修行を完成しなさい」というものでした。
釈迦の入滅を描いた涅槃図には、頭を北に、顔を西に向け、右脇を下にして(頭北面西右脇臥 ずほくめんさいうきょうが)、静かに、そして穏やかなお顔にて横たわる釈迦仏の御姿と、その死を悼み集まったたくさんの者たちが描かれています。

和尚のひとりごと「成道会」

12月8日は仏教の開祖であるお釈迦さまが悟りを開かれたことを記念して行われる成道会の日です。

成道とは釈迦が菩提樹下での禅定を経てブッダ(覚者)となったこと、つまり悟りを開いたことを意味します。

この成道会は釈迦の誕生を祝う灌仏会(かんぶつえ、4月8日)と入滅された日に勤める涅槃会(ねはんえ、2月15日)と並び、釈尊三大法要に数えられています。一方、スリランカを経て東南アジアに伝わった南伝仏教では、年に一度のヴェーサカ祭でこの三つを盛大に祝います。これが行われる時期は、インド暦第二の月とされ、日本では4月か5月に相当します。


ご存じのように「お釈迦さま」の「釈迦」とは種族の名前です。そこで仏教徒たちはお釈迦さまのことを尊敬を込めてこのように呼びならわしてきました。「釈迦族出身の聖者」つまり「釈迦牟尼世尊」略して「釈尊」といいます。そして悟りを開いて仏となる前は、ゴータマ・シッタールダと呼ばれていました。ここでは上記に倣い、悟る前を「シッタールダ」、悟った後を「釈尊」と呼ぶことに致します。


さて成道はつぶさには「降魔成道(ごうまじょうどう)」と呼びます。今まさに悟りを開こうとしていたシッタールダの眼前に現れて成道を妨害せんとする魔を斥けて、見事に悟りを得たという意味です。この「魔」はサンスクリット語で「マーラ(魔羅)」と呼ばれ「殺す者」を意味します。このマーラはまず手始めに自身の娘たちによってシッタールダをかどわかそうと試みますがその心は動きませんでした。そしてついにマーラ自身が現れ、恐ろしい怪物や数知れぬ程の武器を放ちましたが、何とその武器は静かに坐すシッタールダの眼前で美しい花に変わったと伝えられています。「魔」は人間誰しもが心に持っている煩悩や恐怖や迷いを象徴するものです。


それではこの成道の舞台を少しのぞいてみましょう。
四苦八苦に代表される人生問題を解決するために故郷の城をあとにし、二人のバラモンの師に瞑想を学び、苦行や断食に身を費やしたシッタールダでしたが、あるとき河の船乗りのことばを耳にします。琵琶の弦はきつく張ってもいけない、ゆるく張ってはいい音色が出ない…
苦行主義と快楽主義の両極端を離れた中道においてこそ、悟りへの道を歩むことができる。シッタールダは6年にわたった苦行を捨て、ナイランジャナー川(尼連禅河、にれんぜんが)のほとりで供養された乳がゆを食して河で沐浴し、近隣のピッパラ樹(インド菩提樹)の下に坐り深い禅定に入りました。そしてついに悟りを開いたとき空に輝く明けの明星を見たと言われています。その後、菩提樹下に坐したまま解脱の楽を味わうこと49日間に及び、のちに十二支縁起としてまとめられる「縁起」を悟りました。苦しみや迷いに彩られた私たちのあり様は、実相を明らかに見ようとしない無知(無明)に原因がある。この世界の森羅万象は、原因と条件(因縁)によって成り立っている。このように悟ったときから、シッタールダは覚者(ブッダ)と呼ばれるようになりました。


成道の舞台となったブッダガヤは現在、世界中の仏教徒にとって最大の聖地となり2500年経った今でも巡礼者が絶えることはありません。in
さて写真は悟りを開かれたそのときを表す降魔印(触地印)を結ぶ釈尊の御姿です。成道の瞬間、大地は大いに震動したが、釈迦の座した宝座だけは微動だにしなかったと伝えられています。そして大地を示したその手は、自らが悟りを開いてブッダとなったことを外ならぬ大地が証明していることを表しているのです。

和尚のひとりごとNo175「五重相傳」

五重相伝(ごじゅうそうでん)は私たちの浄土宗で最も大切な法要の一つであります。

南北朝時代に活躍された浄土宗七祖の聖冏(しょうげい)上人は、当時浄土宗が独立した宗派としては認められていなかった状況を嘆いて、浄土宗に受け継がれてきた宗脈(しゅうみゃく)と戒脈(かいみゃく)とを明らかにし、伝法制度を確立されました。能化(僧侶)たる者は一定の期間(現在では3週間とされています)、大本山知恩院もしくは総本山増上寺にて伝宗伝戒を受ける、加行(けぎょう)と呼ばれるこの道場において受け継ぐものが、まさに釈尊から脈々と受け継がれてきたこの浄土宗の血脈(けちみゃく)であります。

そしてこのうち、教えの真髄である宗脈を在家の信徒の皆さまに授けるのが、結縁五重(けちえんごじゅう)とも呼ばれるこの「五重相伝」となります。

「五重」には、御念仏の教えの最も重要なテーマを、五段階のプロセスを積み重ねて理解して頂くという意味が込められており、参加された皆さまには5日間かけてお念仏の教えの肝要を分かりやすく相伝致します。

無事満行(まんぎょう)されれば、お念仏の教えを確かに受け取った証(あかし)として伝巻(でんかん)つまり血脈(けちみやく)が本山から授与され、正式な仏弟子としてのお名前である誉号(よごう)と呼ばれる戒名が授けられます。

もしかしたら皆さんは、5日間というのは長過ぎると感じられるかも知れません。しかし更に長い一生において僅か5日間の修行によって、お念仏の教えを体得し、その後の人生の心の安らぎを得ることが出来る、更にいえば「必ず往生できる」というお墨付きを頂ける誠に得難い勝縁であるとも言えます。

5日間にわたり勧誡師(かんかいし)のお説教を身体で感じ、一緒に声を合わせて念仏を称える中で、浄土往生へ私たちを導く種が心に宿りそれがやがては必ずや芽吹いていきます。目に見える証とともに、目には見えない心の糧を手にして頂ける、その後の人生を念仏を申す仏教徒として明るく生きてゆく道を開く、それが五重相伝であります。

 

和尚のひとりごとNo137「施餓鬼」

今月は彼岸がございます。浄土宗の多くの寺院では彼岸法要は施餓鬼会を勤めます。玉圓寺でも施餓鬼会を勤めます。

餓鬼に施すことよって得られた徳をご先祖さまに送る法要です。

 

餓鬼とは、六道(地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 人間 天上)の餓鬼に堕ちてしまった衆生(人々)です。

餓鬼は常に飢えと渇きに苦しんでいることから、餓鬼に堕ちるのは、食べ物を粗末にした人だけと思われがちですが、それだけではありません。嫉妬深かったり、欲深いことなどもあげられます。

人はだれでも、欲があり、物を強く手に入れたいと思うこともありますし、他人をうらやむ心が強ければ、嫉妬にもつながります。

悪いことしたから 悪い人だから、餓鬼に堕ちるわけではありません。私たちは誰でも餓鬼に堕ちる可能性があるのです。

しかし、私たちには、お念仏による極楽往生という救いがあります。

皆さま、お念仏をお称えし、私たちだけが救われるのではなく、施餓鬼会をお勤めして、ご先祖さまを供養し、餓鬼に堕ちてしまった衆生(人々)の苦しみをなくして救いとってあげて下さい。

和尚のひとりごとNo110「鎮西忌」

 

2月の行事は、一般的には、2月3日の節分 2月14日のバレンタイン、仏教徒には、2月15日の涅槃会。涅槃会というのは、簡単に説明すると、お釈迦さまのご命日の年忌法要です。涅槃会については、和尚のひとりごとNo41をご覧下さい。

 

そして、私達浄土宗檀信徒には、鎮西忌(ちんぜいき)があります。

鎮西忌は、浄土宗第二祖(二代目)の聖光房弁長上人(しょうこうぼうべんちょうしょうにん)の年忌法要です。

鎮西とは、九州の別称であり、平安時代末から鎌倉時代にかけて九州のことを鎮西と呼ばれていたことにはじまります。

聖光房弁長上人は鎌倉時代の人で九州を中心に活躍されていたことから、鎮西上人と呼ばれています。そして、上人の忌日法要を鎮西忌と呼んでいます。

 

平成29年2月現在 知恩院の御影堂は改修工事中で仮の御影堂にてお勤めされておられ、

仮の御影堂には三上人のお像がお祀りされています。

真ん中のお像が、法然上人。法然上人に向かって右側にお祀りされているのは知恩院第二世の源智上人。そして、左側にお祀りされているのが聖光房弁長上人です。

 

余談ではありますが、現在の浄土宗は大きく分けますと、二つに分かれます。

浄土宗を開かれたのは法然上人ですが、その跡(あと)を継がれた方によって分かれています。

一つは、私たちの聖光房弁長上人を二代目とする知恩院を本山とする浄土宗。

もう一つは、証空上人を二代目とする浄土宗。

私たちは「鎮西派」、証空上人を二代目する浄土宗は「西山派」(せいざんは)と呼ばれています。