Monthly Archives: 9月 2020

和尚のひとりごと「伝道掲示板139」

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早島鏡正師『ゴータマ・ブッダ』より

入滅を予感したブッダは頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)の姿で横たわったが
背後に悲しみ咽ぶ従者アーナンダの声をきく。
悲しみを諫め四半世紀にわたり道行をともにした弟子にかけた言葉。
「およそ、生じ、存在し、作られ、破壊されるべきものであるのに、それが破壊しないようにということが、どうしてありえよう…」

いつの世でも時を共にした者の死は悲しい。
果てしない長大なる時間の流れに比べれば、それがほんのつかの間のあいだでのことであったとしても。
そしてブッダは臨終に際し、再び諸行無常の理を説き
残された者が自らの修行の完成の為に、怠ることなく励むように諭した。

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ロリヤン・タンガイ(現在のパキスタン)出土の仏涅槃浮彫

和尚のひとりごと「伝道掲示板138」

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 Om・Mani・Padme・Hum
Padme(パドマ)とは泥中にあっても決して泥に染まらない蓮の華のこと
観音浄土への転生を望む高原の仏教徒たちの切なる願い

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和尚のひとりごと「伝道掲示板137」

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“菩薩正念(しょうねん)を以て世間を觀(み)るに
一切(すべて)皆(みな)業縁(ごうえん)より得たり
一切法(すべてのもの)を觀察(み)るに悉く因縁より起る
生なきが故に滅なし”

因縁所生であることは実体として存続し得ないことを意味する
実体として存在しないのであれば
それが滅することも生ずることも成立し得ないであろう..


60巻本『華厳経』を訳出した仏陀跋陀羅は天竺(てんじく)禅師とも称された。
同学の僧伽達多(サンガダッタ)とともに罽賓(カシミール)に至った際に中国僧の智厳に請われ東行を決意したという。

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現在のインド、ジャンムー・カシミールにある仏教僧院に描かれた仏たち

和尚のひとりごと「伝道掲示板136」

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“佛言はく、一切の法の自性は本来寂静にして、自性涅槃なり、
涅槃の故に自性は認むべからず、故に自性なしと説きぬ
諸法は衆生が相ありと執計せるが故に有り
然れどもこれ假の名にして實は無きなり
次に諸法は因縁によりて成りたるものなれば假に有るものにして實はなきなり
次に諸法の本性は見るべからず、聞くべからず生もなく滅もなきなり”

諸法を成り立たせる原因と条件があって初めて名としての体を持つ。
従って自性は存在しない。
そして我々衆生が見かけの世界に相貌ありと計らうが故に有る。
従って実体なき仮のものである。
『解深密経』は仏の深密の教えが解明された経であり
唯識の深義(じんぎ)が闡明されている。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板135」

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仏教は唯心を説く。
この世の森羅万象はただただ夢の如きものに過ぎないと..

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和尚のひとりごとNo349 ほっと一息

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本日 9月25日は彼岸明けとなります。
気づけばお寺の庭の彼岸花が咲いていました。
何かと慌ただしい世相ですが、心和む一コマでした。

合掌

 

 

和尚のひとりごとNo348「法然上人御法語第三十」

前編 第30 一期勧化(いちごかんげ)

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~念仏の声するところ、皆わが遺跡となるべし~

【原文】

法蓮房(ほうれんぼう)申(もう)さく、「古来(こらい)の先徳(せんとく)みなその遺跡(ゆいせき)あり。しかるにいま精舎(しょうじゃ)一宇(いち

う)も建立(こんりゅう)なし。御入滅(ごにゅうめつ)の後(のち)、何処(いずく)をもてか御遺跡(ごゆいせき)とすべきや」と。

上人(しょうにん)答(こた)え給(たま)わく、「あとを一廟(いちびょう)に占(し)むれば遺法(ゆいほう)遍(あま)ねからず。予(わ)が遺跡は諸州(しょしゅう)に遍満(へんまん)すべし。ゆえいかんとなれば、念佛(ねんぶつ)の興行(こうぎょう)は、愚老一期(ぐろういちご)の勧化(かんげ)なり。されば念仏を修(しゅ)せん所(ところ)は、貴賤(きせん)を論(ろん)ぜず、海人(かいにん)・漁人(ぎょにん)が苫屋(とまや)までも、みなこれ予(わ)が遺跡なるべし」とぞ仰(おお)せられける。

勅伝第37巻

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【ことばの説明】

法蓮房(ほうれんぼう)

法蓮房信空。久安二年(一一四六)より安貞二年(一二二八)に在世。

法然上人の最初の弟子と言われ、師に常随、門弟の中でも有力な人物。

 

遺跡(ゆいせき)

過去に存在した人物の事績に関連した場所や建物のこと。ここでは特に祖師である法然上人にゆかりの寺院を指す。

 

一廟(いちびょう)

廟は墓所のことで、祖先や祖師、また貴人の霊を祀ってある場所。

 

苫屋(とまや)

とまぶきの粗末な家。

 

 

【現代語訳】

法蓮房信空、法然上人に申すには、

「古来より高徳なる先人たち、皆それぞれの遺跡(ゆいせき)があります。しかしながら未だ師は寺院の一つも建立さておりません。御入滅ののち、残された私たちは一体どこを御遺跡とすべきでありましょうか?」。

法然上人、それに対しお答えになるには、

「遺跡というものをたった一つの墓所に限ってしまえば、残すべき仏法は決して行き渡らないでしょう。私の遺跡はむしろ諸国に万遍なく行き渡ったほうがよい。それは念仏が盛んに行われることは、私が生涯を賭けてきた活動であるから。従って、念仏の声が響くところは、身分の貴賤に関わらず、漁師たちの住む質素な建屋でさえも、皆悉く私の遺跡とすべきなのです」と。

 

 

法然上人がその生涯を賭けて、自ら実践し、広め、人々をそこへ導いた念仏の教え、それはまさに、場所を問わず時を選ばず行える一行です。

そのことを改めて実感させて頂ける御法語であります。

合掌

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板134」

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「一切衆生に悉く仏性あり」
涅槃経にはこのように説かれる。
煩悩の穢れは外からやってきたものであり
心の浄らかな本性は決してけがされることはない。
しかしながらその境地に至ることの何と困難なことであろうか?

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大日如来坐像 運慶作

和尚のひとりごと「伝道掲示板133」

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現世は迷いの有漏路より覚りの彼岸へと歩む途上に他ならない
ちょっとそこらでひとやすみ
雨が降ろうが風が吹こうが構うことはない
稀代の禅僧はこれを詠んだが故に一休と呼ばれるようになったという。

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一休禅師ゆかりの寺

和尚のひとりごと「伝道掲示板132」

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アーチャン・チャー(1918年-1992年)は、タイの東北部ウボンラーチャターニー県出身の僧。
上座部仏教に関心を寄せる多くの外国人に門戸を開き、数多くの瞑想寺院を建てた。

アチャン・チャー (1)

アーチャン・チャー