浄土宗月訓カレンダー

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和尚のひとりごとNo1055「ひとりじゃない そばにいるよ」

   山家富貴銀千樹(さんかのふうきぎんせんじゅ)2022hatigatu
   漁夫風流玉一簑(ぎょふのふうりゅうぎょくいっさ)

 黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖、隠元(いんげん)禅師が『三籟集(さんらいしゅう)』に記された句です。

一句目は、「山に暮らす人々(木こり)にとっての素晴らしいところは、冬になり樹々が雪で覆われ、一面銀世界になる風景」。

二句目は、「漁師さんにとって風流を感じるのは、簑笠(みのがさ)を着けて船上に立った時、簑笠に付いた水滴が寒さで凍りつき、それが太陽に照らされてキラキラと光るのを見る事」という内容です。

木こりや漁師にとっての仕事は「死」と隣り合わせの環境です。さらに冬になるとより一層厳しさを増し、命をかけて仕事をしても全く報酬のない時もあります。けれどもそんな過酷な状況でありながら、一面の銀世界や、簑に付いた輝く雫を眺め、「趣(おもむき)のある風情(ふぜい)だなぁ。」と楽しむ心こそが生きている醍醐味、幸せであると言うのです。
 「この世は実に苦しみの世界である。」と仏教を開かれたお釈迦様は説かれました。お経では、「一切皆苦(いっさいかいく)」と記されています。自分の思い通りにはいかない世の中です。ましていつかは「死」を迎えなればならない無常(むじょう)の世の中です。しかしそんな苦しみの世の中でありながら、何を楽しみとし、隠元禅師が記された上句の様に何を風流と感じていけるかで、今、幸せな生き方と思えるかどうかにつながるのです。
 お念仏の御教えは、最期臨終の夕べには必ず阿弥陀様がお迎えに来てくださり、西方極楽浄土へと生まれさせていただけると説きます。私たち人間の目には見えない仏様の世界ですが、目には見えないからこそ妙味(みょうみ)であり、味わい深く尊い信仰として受け入れていけるのです。平和な社会になり、平穏無事な日々を願わない人はいません。けれども、どんな穏やかな生活が続いたとしても命終えていかねばならないのが自然の摂理です。しかしながら、命終えて全て終わりではなく、生まれていく後の世があり、お念仏をご縁として再会出来る御浄土があるのです。その信仰を心の支えとして、素直に受け入れたならば、いつも亡き人が側に居て見守ってくださっていると感じ入れるのです。
 同行二人(どうぎょうににん)という言葉があります。先に御浄土に往かれた方が、いつも影のごとくに寄り添って、「ひとりじゃない。そばにいるよ」と見守っていてくださるのです。
その御教えを心の支えにして共々にお念仏申して暮らしてまいりましょう。

和尚のひとりごとNo1018「星空の彼方にあなたを想う」

 七月七日は七夕(たなばた)と言われ、古来から伝わる祭り事の一つです。この時期の夜空で一際輝いて見える二つの星、“こと座”のベガ(織姫星)と“わし座”のアルタイル(彦星)から創作された物語が七夕のいわれです。天空で一番偉い神様(天帝)には織女(しょくじょ)<織姫>という娘が居ました。織女は神様達の着物を織る仕事をしており、天の川の辺りで毎日熱心に機(はた)を織っていました。天帝は熱心に働く年頃の織女に、対岸で牛を飼っている真面目な青年、牽牛(けんぎゅう)<彦星>と見合いをさせ、やがて二人は結婚しました。しかしお互い愛し合っていた二人は、毎日遊んで過ごし、やがて織女は機を織らなくなり、牽牛は牛の世話をしなくなりました。これに怒った天帝は二人を天の川の両岸へと引き離してしまいました。けれども今度は二人とも毎日泣き暮らすだけで仕事になりません。そこで天帝は、「二人が真面目に働くのならば年に一度、七月七日の夜にだけ逢わせてやろう。」と約束しました。これが七夕伝説のお話です。古(いにしえ)の人々は星座を眺め、季節の星の動きに従って物語を創り出し、想いを寄せていかれたのです。2022 7gatu

この時期(旧暦の七月)に降る雨は、催涙雨(さいるいう)と呼び、織姫と彦星の流す涙と考え、梅雨の長雨を楽しんで受け入れていかれたのです。

 浄土宗は最期臨終に阿弥陀仏という仏様にお迎えに来ていただいて、西方極楽浄土に生まれさせていただく御教えです。この世で命終えても全てが終わりではなく、後の世に生まれていく世界があると説きます。さらに有り難い事にお念仏を縁として、この世で縁あった方と後の世も再会出来るのです。阿弥陀様に迎えていただく為に「南無阿弥陀佛」と、阿弥陀様の名を唱えるのです。

阿弥陀様は仏になる前に、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)として、兆載永劫(ちょうさいようごう)という極めて長い時間ご修行されました。全ての人々が救われていく道を考えに考えぬいて、
「私の名を呼べば必ず救い摂ってやろう。もし我が名を呼ぶだけでは救い摂る事が出来ないならば、私は仏とはならない。」
という誓いを立てて修行していかれたのです。結果、阿弥陀仏という仏様になられました。
それは阿弥陀仏という仏の名を呼ぶだけで西方極楽浄土に迎えとっていただけるという証なのです。お釈迦様は以上の様な法蔵説話(ほうぞうせつわ)という話を説かれました。無常の世で苦しむ人々の為、死に別れ、立ち直る術を見出せない遺族の為にお釈迦様が示されたみ教えなのです。私たちには推し量る事の出来ない信仰の世界です。私たちには到達出来ない境地にまで達せられたお釈迦様であるからこそ示された世界であります。しかし西方極楽浄土があり、阿弥陀様に迎え摂っていただいたならば、この世で縁あった方と再会出来るという事は、死別という苦しみを少しでも癒してくれる御教えとなるのです。御浄土に想いを寄せて、後の世でまた会えるという信仰を心の支えに、共々にお念仏を申して過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo989「称えるうちに雲晴れて」

 私達は日々多くの方々のお世話になっています。直接的な人間関係だけではなく、間接的な物流もあります。毎日の食事一つ摂らせて戴くのも、沢山の人々が関わって食事を戴けるのです。食作法(じきさほう)と言って、食事を戴く前に唱える短いお経が御座います。R4rokugatu

 功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り 
                          彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る

これは『五観(ごかん)の偈(げ)』と言われる経文の一つです。唐代の南山(なんざん)律宗(りっしゅう)の開祖・道宣(どうせん)が著した、『四分律行事鈔(しぶんりつぎょうじしょう)』を宋代に黄庭堅(こうていけん)が僧俗<僧侶と民衆>の為に分かり易く記したものです。日本では曹洞宗の開祖・道元禅師(どうげんぜんじ)の著作、『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』に引用されました。

 「功の多少」を計るとは、目の前の食事がこうして出来てきたのは沢山の人々の手が加えられている、その結果であるという事。その事に感謝致しましょうという意味です。

 「彼の来処」を量るとは、食べ物一つ一つが、料理として出来上がってきたその由来の事です。一体どの様な御縁で、こうして私の口に入る事になったのか?どの様に育てられ、どういう経緯で我々の口に入るに至ったのかという事です。お米ならば種から苗、そして田んぼで農家の方々育てられて、魚ならば海や川で泳いでいるところを漁師に捕まえられて、牛や豚なら手間暇かけて育てられたのです。何かしらの環境で育ち、そして縁あって今その命を私達が頂戴しているという事を知りましょうというのが、「彼の来処」を量るという意味です。

 漁師の夫婦が法然上人に教えを授かったエピソードがあります。
「自分達は漁師で子供の頃から魚を獲って生活しています。朝夕、魚の命を絶って生業としているのです。殺生(せっしょう)を行う者は地獄に落ちて苦しんでいかねばならないと聞きますが、何とかこの苦しみを免れる方法はないのでしょうか。」と法然上人に悩みを相談しました。すると法然上人は、「あなた方の様な立場であっても阿弥陀様は必ずお救いくださいます。何よりも食事を戴かないと生活出来ない私達人間です。
人のお役にたっているのです。南無阿弥陀佛の一声一声を必ず阿弥陀様は聞いて下さいます。それによりお浄土に生まれて往く事が出来るのです。」と答えられました。これを聞いた夫婦は心が晴れ渡り感激で涙にむせび喜びました。その後は、昼間は漁に出て仕事に励みながら「南無阿弥陀佛」。
夜は夫婦共に声をあげて夜もすがらお念仏を唱え続けて暮らしていかれました。やがて臨終の後には往生を遂げる事が出来たと記されています。
<『法然上人絵伝 巻34(高砂浦)』>

 私達は食事の際に生きとし生けるものの命を頂戴して暮らしています。食事に関わらず知らず知らずのうちに罪を造っている時もあるものです。報恩と感謝、反省を繰り返しながら、日々お念仏を申して心晴れやかに過ごして参りましょう。

 

和尚のひとりごとNo951「こころの声に耳を澄まそう」

顔をじっくり見てみると不思議な事に気がつきます。何が不思議か?顔の中には二つ有るものと、一つしかないものがあります。目が二つ、耳も二つ有ります。ところが口は一つだけです。日常の働き、それぞれの普段の仕事量を考えると実に不思議です。目というのは何の仕事をするのか。目は見るのが仕事です。他にはあまり働きはありません。一つしか仕事が無いのに目は二つ有ります。耳は聞くのが仕事です。耳もまた二つ有ります。ところが口はどうでしょうか?話をするのが口です。食べるのも口です。風邪をひいて鼻が詰まれば、息の出し入れは口がしないといけません。口は二つも三つも働きがあるのに一つしかなく、一つしか仕事が無い目と耳は二つ有ります。何故そうなっているかが、歌で詠まれています。2022gogatu
   『人間は耳が二つに口一つ 多くを聞いて少し言う為』
 いかがでしょうか。多くを聞いて少し言う為に、耳は二つで口は一つだそうです。この歌は、「二つの目は、しっかり活用して世間の事を見なさい。世間の事はしっかり二つの耳で聞きなさい。けれども聞いた事、見た事は半分しか喋らない様に」と口は一つしかないと戒めているのです。果たして私達はその様に使えているでしょうか。人間は見なくてもいいと言われても、見たくなるのが性分です。何でも聞きたくなり、更に見た事、聞いた事を一つしかない口で、二倍三倍も喋って噂話に花咲かせるのが愚かな人間の性分です。
 今もなお新型コロナウイルスという目に見えないウイルスに脅かされる日々です。この二年程の間に生活様式も随分変わってきました。また物の買い占めがあったり、ウイルスに罹った人への思いやりのない言葉を耳にしたり、その様な事をしてしまう人の心を恐ろしく感じる時もあります。私達の目には見えないウイルスを恐ろしく感じ、心も動揺してしまうのです。
   目に見えず 耳に聞こえず 手に触れず 心に触れる弥陀の御光(みひかり)
 私達を日々お照らしくださっている阿弥陀様の救いの御光も目には見えません。しかし目には見えないけれども阿弥陀様の御光は私達を常に照らしてくださっているのです。それに気づかせて頂いたならば、阿弥陀様のお慈悲の心を頂いて、思いやりの心を持って人々に接していく事が出来るのです。そして今まで日常で当たり前に出来ていた事が、本当は大変に有り難い事で、沢山の方々、沢山の物事のご恩の中で生かされていた有り難さを、改めて知る事が出来ていくのではないでしょうか。「世の中の全てを“おかげさま”と喜べる人は幸せです」これは浄土宗の大本山、百万遍知恩寺・第七十五世法主、服部法丸(はっとりほうがん)台下のお言葉です。今は困難な時ではあるけれども、よく考えてみたならば、沢山のご恩の中にいる私だと喜ばせて頂く。そう受け取る事でこの世を幸せと生かさせていただけるのです。そして、お念仏の御教えをお示しくださいました法然上人のご恩を想い、共々にお念仏を申して暮らして参りましょう。

和尚のひとりごとNo921「咲いて誇らず」

 春になり野山に花々が咲き始めて参りました。冬の間は土にしっかり根を張り巡らせて、春になると花を咲かせるのです。綺麗に咲き出した桜の花も冬の間は地中に根を張り、花を咲かせる準備をしていたのです。桜は開花時がピークだと思うのは私達の勝手な見方です。誰の目も惹かない時期であっても一所懸命に生きているのです。
 4月8日は仏教を開かれたお釈迦様の誕生日です。およそ2500年前、現在のネパール領であるルンビニーという所で誕生されました。お釈迦様は、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と仰られました。「この世界において私ほど尊い存在はない。」と宣言されたのです。決してお釈迦様一人だけが尊いという、傲り(おごり)高ぶった意味ではありません。私達一人一人、誰もが唯一無二の存在であり、生きる意味のある尊い存在で、誰にも惑わされる事はないという事です。
 極楽浄土に咲く蓮の花は、「青色青光(しょうしきしょうこう)・黄色黄光(おうしきおうこう)・赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)・白色白光(びゃくしきびゃっこう)」と『阿弥陀経』というお経に描かれています。「青色の蓮の花は青色に輝き、黄色の蓮の花は黄色に輝き、赤色の蓮の花は赤色に輝き、白色の蓮の花は白色に輝く。」と説かれているのです。それぞれの花がそれぞれの色で誇らしく咲き輝いているのです。私達もそれぞれの立場で一人一人輝く存在であります。しかし、他の人と比べると妬み(ねたみ)や嫉み(そねみ)という人を羨む(うらやむ)心が起こり、争いごとの種となってしまいます。他人と比較する心から解放されないと、本来の輝きを取り戻す事は出来ません。そもそも私達は一人で生きていく事は出来ないのです。決して自分一人の力だけで花咲かせ、輝いているのではありません。ご先祖様から戴いた命を頂戴し、沢山の人々の助けと御恩を戴いて今、生かされているのです。2022sigatu

   花は枝によって支えられ
   枝は幹によって支えられ
   幹は根によって支えられている
   土にかくれる根は見えない
   外からは何も見えない
   咲いた花見て喜ぶならば
   咲かせた根元の恩を知れ   ( 浄土宗尼僧 小林良正 良正庵 庵主 )

 今、生きているのは目には見えない人々の支えがあってこそです。咲かせてくれた根元があるのです。輝きは根元があってこそ輝くのであり、周りの人々が輝かせてくれるのです。胸張って咲き誇る存在であっても、誇り威張っていては輝いているとは言えません。お互い助け合い、共に輝かせあって参りましょう。

和尚のひとりごとNo890「縁距離を大切に」

さきだたば おくるるひとを まちやせん はなのうてなの なかばのこして

 上記の古歌、「先立たば遅るる人を待ちやせん花の台の半ば残して」に曲を付して、『蓮(はちす)のうてなの御詠歌(ごえいか)』として浄土宗では尊く詠われています。「私が先に御浄土に生まれましたら、後から御浄土に来られるあなたの為に、蓮の台(うてな)を調(ととの)えてお迎えいたします。」という意味です。歌の原型は、中国でお念仏の御教えを弘められた唐の時代の僧侶・善導大師の『般舟讃(はんじゅさん)』<『依観経等明般舟三昧行道往生讃(えかんぎょうとうみょうはんじゅざんまいぎょうどうおうじょうさん)』一巻>という書物に見られます。この書物は御浄土を願い阿弥陀仏の徳を讃えていく、お勤めの方法を明らかにしたものです。原文は次のような文章です。

   一到即受清虚楽 願往生 (一たび浄土に到りぬれば即ち清虚の楽を受く 往生を願う)
   清虚即是涅槃因 無量楽 (清虚は即ちこれ涅槃の因なり 無量の楽しみ)
   表知我心相憶念 願往生 (我が心を表知して相い憶念し 往生を願う)
   各留半座与来人 無量楽 (おのおの半座をとどめて来たる人に与う 無量の楽しみ)

2022sanngatu

 「清虚(しょうこ)の楽」とは煩悩のけがれを離れた静かな楽しみの事です。一たび御浄土に往けば心身ともに悩み苦しみが一切なく、心穏やかに過ごしていけるのです。「涅槃(ねはん)」とは覚りを開いた仏の境地に至る事です。まさに御浄土に往けば仏となっていく身であるので、何の苦しみもなくなるのです。そして御浄土から人間世界を思い、遅れてやって来た人には蓮の台の半座を開けましょう。それが御浄土に往った時の楽しみになるのです。
 現況の新型コロナウイルスで生活し難い日々が続いています。一日も早く平穏無事な日々が来る事を願うばかりです。しかし疫病が終息したとしても死なない社会が来るわけではありません。現代日本は多死社会と言われ、少子高齢で誕生する命よりも亡くなっていかれる方の人数の方が多い社会です。またその亡くなり方も多種多様であり、死と隣り合わせの世の中です。どんなに死を忌み嫌い遠ざけたとしても誰もが必ず受けていかねばならないのが死の縁です。お念仏は死の苦しみをどう乗り越えていくかという事に対して説かれた究極の御教えです。今この世で縁あった人と後の世で再会出来ると思う心が、死に別れ、遺された私たちの救いとなるのです。お念仏を縁として後世でまた会えるのです。亡き人とお浄土で再会出来ると思える心が既にお念仏の御利益(ごりやく)だと頂戴し、再会した時には良い報告の出来る生き方を共々に心がけて参りましょう。

和尚のひとりごとNo843「今こそよく聴きよく遺す」

  お釈迦様の御弟子様の一人で多聞第一(たもんだいいち)と称された方が居られます。阿難(あなん)尊者(そんじゃ)と言われる弟子です。阿難はお釈迦様のお側に二十数年間付き従い、常に説法を聞いていたので多聞第一と呼ばれるようになりました。また記憶力にも優れ、今日読まれるお経は阿難が伝え聞いたものが多いとされています。お釈迦様が亡くなる時まで一緒に居られた阿難尊者は、師が亡き後、自分はどのように生き、何を頼りとしていけばいいのかを尋ねました。すると師匠であるお釈迦様は、「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」、「自らを灯火(ともしび)頼りとし、法を灯火、頼りとしなさい」と仰られました。このお言葉については様々な解釈がなされていますが、自分自身の信仰と御受け取りください。自分自身の信じる道をしっかりと歩み、仏法を信じて生きていくという事。浄土宗ではお念仏の御教えを頼りとして生き切ってくださいという事です。この世は思い通りにならない世間と受け入れたならば、あとは自分の心の内をしっかりと省みて、正しい教え信じる事が大事です。2022nigatu
 自分自身を信じる、自分の心の内を省みるとは、自分自身の至らなさ、愚かさを省みるという事です。信機(しんき)と言います。法然上人は、「始めには我が身の程を信じ、後には仏の願を信ずるなり。」と、先ず始めには我が身の程、自分自身とはどの様な人間であるのか、その事を先ず始めに考え、省みて、それから仏の願、必ず救ってくださるという教えを信じなさいとお示しくださっております。
 何故、先に我が身の程を考えていく必要があるのか。それは我が身の程を知らずに、仏の願いを先に信じたならば、貪りや怒り、憎しみといったものが起きてきた時、自分は卑しい者だと思い、こんな私では到底救われないと仏の本願そのものを疑ってしまうからです。ですから、先ず初めに愚かな我が身である事を省みて、至らない自分の身の程を信じて参りましょうという事です。自分はこんな愚かな人間であるという事をしっかりと認め、受け入れてから、こんな愚かな自分だからこそ仏様に救いとって頂けるのです。阿弥陀様に救い取って頂くしかないのだという思いに至るという事であります。
 我が身の程を省みたならば、次に西方極楽浄土を信じ、阿弥陀様を信じ、お念仏を信じていく。その信仰、信心を持ってお念仏の行を怠らず日々精進していただき、阿弥陀様のお救いくださる力にただただ身を任せ、信仰が深まれば深まる程、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という謙虚な心にさせていただきたいものです。

和尚のひとりごとNo812「幸せへのスタート」


 ある大学で教授が「クイズの時間です!」と大きな壺を一つ取り出し教壇に置きました。その壺に教授は一つ一つ大きな石を詰めていきました。壺が一杯になる迄石を詰めて学生達に聞きました。「この壺はもう満杯か?」教室中の学生が「はい。」と答えました。「本当にそうだろうか?」そう言うと教授は教壇の下からバケツ一杯の小石を取り出しました。そしてその小石を壺の中に流し込み壺を振りながら、石と石の間を小石で埋めていきました。そしてもう一度聞きました。「この壺は満杯か?」すると一人の生徒が、「多分違うだろう。」と答えました。教授は「そうだ。」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出しました。それを石と小石の隙間に流し込んだ後、三度目の質問をしました。「この壺はこれで一杯になったのだろうか?」学生達は声を揃えて、「いいや。」と答えました。教授は水差しを取り出し、壺の縁迄なみなみと水を注ぎました。彼は学生達に最後の質問を投げかけます。R4itigatu

 「私の言いたい事が分かるだろうか?」すると一人の学生が手を挙げました。「どんなにスケジュールが一杯でも最大限の努力をすればまだ予定を詰め込む事は可能だという事です。」それを聞いた教授は「そういう考えもあだろうが今私の言いたい事とは違う。」と言いました。「今回の重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私達に示してくれる教えは、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度と無いという事なんだ。つまり水や砂を先に入れてしまうと、もう大きな石を入れる事は出来ない。さて君達の人生にとって“大きな石”とは何ですか?」と教授は話し始めました。「それは、仕事であったり、志であったり、夢や目標であったり。ここで言う“大きな石”とは、君達にとって一番大事なものです。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。もし小石や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。」

 このお話での壺とは「人生の時間」の比喩であり、大きな石とは「人生の大切な何か」の比喩です。皆さんにとっての“大きな石”とは何か、先に入れるべきものは何でしょうか。人によって「壺」の大きさは異なります。人生が長い人もいれば、短い人もいます。その様な意味で壺の大きさは人によって異なります。しかし自分自身の一生涯の時間はどこまで続くのかは誰にも分かりません。その時間をいたずらに無駄にしてしまう過ごし方、有効な時間の使い方は様々です。大きな石は、人生の大切な何かです。

 浄土の御教えはこの世で命終える時に阿弥陀様にお迎えに来ていただいて、西方極楽浄土に生まれさせていただくという御教えです。先ずは“信仰”という大きな石を先に納めていただいて、日々の日常を幸せに過ごしていただければと思います。先に後世(ごせ)を確立して現世(げんぜ)を穏やかにお念仏を申して過ごして参りましよう。

和尚のひとりごとNo781「見上げる空に仏のひかり」

  阿弥陀とはアミターバというサンスクリット語の音写です。意味の上から漢字を充てると無量光となります。字の如く量り知れない程の眩(まばゆ)い光で生きとし生ける者を照らしてくださり、お救いくださる佛様です。『無量寿経』の中で阿弥陀佛の光明の働きには十二種類あると説かれ、阿弥陀様を別の名で誉め讃えられています。
 1・無量光佛(むりょうこうぶつ)
        量り知る事の出来無い光を放たれる佛様。202112gatu
 2・無辺光佛(むへんこうぶつ)
         際限が無い光を放たれる佛様。
 3・無礙光佛(むげこうぶつ)
         遮るものが無い光を放たれる佛様。
 4・無対光佛(むたいこうぶつ)
         他に比べるものが無い光を放たれる佛様。
 5・燄王光佛(えんのうこうぶつ)
         輝きが一番である光を放たれる佛様。
 6・清浄光佛(しょうじょうこうぶつ)
         色合いが例えようの無い美しさである光を放たれる佛様。
 7・歓喜光佛(かんぎこうぶつ)
         安楽を与える光を放たれる佛様。
 8・智慧光佛(ちえこうぶつ)
          無明の闇を滅する光を放たれる佛様。
 9・不断光佛(ふだんこうぶつ)
          いつも遍(あまね)く照らしている光を放たれる佛様。
10・難思光佛(なんじこうぶつ)
          人智を超えている光を放たれる佛様。
11・無称光佛(むしょうこうぶつ)
           特徴以外で称える事が出来無い光を放たれる佛様。
12・超日月光佛(ちょうにちがっこうぶつ)
           太陽や月以上の輝きである光を放たれる佛様。
 以上の様な素晴らしい御光(みひかり)で私達をお照らし下さっている阿弥陀様です。しかしその様な御光に照らされているのだとは、なかなか信じ難いのも事実です。実際に目で見る事が出来ないからです。
 或る上人が阿弥陀様の御前でひたすら南無阿弥陀佛とお念仏を申しておられました。普段はお寺の住職として勤める日々。追善回向といって亡くなった方への供養の為に称える事の多かったお念仏です。或る日、一人で阿弥陀様を拝見しながら無心にお念仏を申していると、阿弥陀様がキラキラと輝き光明を放っているお姿に見えたそうです。その輝く佛様を拝見した時に自然と涙がこみ上げてきたと言います。科学的な知識で解明すれば、佛前に灯(とも)された蝋燭がユラユラと揺れて、その光が仏像に反射して光っていたという事にすぎません。しかし、佛様を素直な心で拝んでみると、「今まさに目の前に阿弥陀様が居られ、光明を照らして見護ってくださっている。」その様に感じ入り感涙したのです。
 仏様の光明は見ようと思って見られるものではない人智を超えた御光です。法然上人は、「愚鈍(ぐどん)の身になして」と、知恵知識を身につけて立派になる必要はないとおっしゃられました。今の自分の素直な姿のまま阿弥陀様を拝み、ひたすらお念仏を申していく。その様な素直な心に信仰が深まっていくものです。智者ぶらず、素直な心で日々お念仏を申して過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo751「弥陀の心に染まる」

秋も深まり紅葉の季節となりました。山の木々が赤や黄色に色づいていく様子に信仰の深まりを喩えて、法然上人は次のようなお歌を詠まれました。
  阿弥陀仏(あみだぶ)に 染むる心の 色に出(い)でば 
        秋の梢(こずえ)の たぐいならまし
 「阿弥陀仏のお念仏信仰に染まっていく心が色に現れるというような事があるならば、まるで秋に木々の梢が赤く染まっていくようなものでしょう。」という意味です。「色に出でば」という事は、信仰がその人の体全体から表れ出てくるという事です。お念仏申す事によって人格が形成される、そのお姿を紅葉にかけ合わせてお詠みになられたお歌です。お念仏は尊い善い修行です。お念仏を申す事によって信仰深い立ち居振る舞いになり、尊い人柄になってくるものです。2021jyuuitigatu
 明治時代の終わり頃、一人の強盗殺人犯が山梨刑務所で死刑になりました。刑が執行される前、「何か食べたい物があったら申し出よ。誰か会いたい人が居るなら申し出よ。」と伝えられると死刑囚は即座に、「母に会いたい。」と申し出ました。死刑囚の母親がすぐに呼ばれました。皆はここで母と子の別れが演じられると思ったのですが違いました。死刑囚の男は母を見るなり、突然母の顔に唾を吐きかけて「お前があの時、俺を叱ってくれていたら、こんな事にはならなかった。」と叫んで狂った様に泣き出したそうです。
 「あの時」とは、死刑囚が子供の頃の事。母と子は二人して芝居見物に行きその帰り、もう日も暮れて足許が暗かったので子供は他の人の草履を間違えて履いてしまいました。それは自分が履いて来た物よりも、ずっと上等の履物でした。「お母さん、草履を間違えた。」と少年が言うと母はニッコリ笑って、「良いじゃないか、お前、得をしたんだよ。」と褒めてくれたそうです。この時、少年は母がどうすれば喜ぶかという事を肌身で知ったのでしょう。
 それから次々に人の物を盗むようになって、それを母に見せると、その都度、母は「良いじゃないか。もらっておけば。」と怒る事もなかったそうです。子供に優しすぎた、甘やかし過ぎたのです。それから彼の泥棒人生が始まり、ついに死刑囚に迄なってしまったのです。彼が「あの時、叱ってくれていたら。」と言ったのは、最初に彼が草履を間違えてしまった時、「悪い事をしたね。」とか「相手の人が困っているだろうから、謝りに行こうね。」と言ってくれていたらという事です。しかしこの死刑囚は、刑務所に居る間に教誨師と言って、一人の僧侶に出会われました。お念仏の御教えに出遇われたのです。死刑の恐怖から思わず知らず母親に唾を吐き、罵声を浴びせましたが、その後、「お母さん。この俺が悪かったんだ。ごめんな。もう俺は先に命を終えます。これで今生のお別れとなりますが、仏様に迎えとっていただいて西方極楽浄土に生まれさせていただきます。そして今度は有難くも尊くも、こんな俺が仏となってお母さんとまた会える事を願っております。お浄土でまた会える日を待っております。こんな俺でゴメンなさい。どうか亡き後も見守ってください。さようなら、ありがとう。」と刑を受けていかれたそうです。
 「一人の母は百人の教師に勝る」と言われます。親の一挙手一投足がその子の心に共鳴し、子の運命を左右していると思うと親は襟を正さずにはおれないのではないでしょうか。環境によっては悪人にもなってしまう我々人間であります。出来るだけ善い行いを心がけ、私達を救ってくださる阿弥陀様のお力を信じてお念仏をお称えして過ごして参りましょう。

※思わず知らず=「無意識のうちに」という意味です

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