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和尚のひとりごとNo126「五存七欠」

お経はインドの言葉であるサンスクリット語から中国語に翻訳されていることは、和尚のひとりごとNo123で紹介いたしましたが、今回は浄土宗の経典である「浄土三部経」の翻訳にまつわるお話です。

「無量寿経」と「阿弥陀経」のサンスクリット語の経典名は同じで「スカーヴァティー・ヴィユーハ」といい、「極楽の荘厳」「極楽の美しい様子」という意味があります。確かに「無量寿経」と「阿弥陀経」には極楽がどんなところかが書かれています。「極楽経」や「極楽の荘厳経」などとはせずに、それぞれの経典の題名に阿弥陀様のお名前と別名(無量寿佛)が付けられたのは、翻訳された方の智恵の結晶でしょう。

翻訳の歴史ミステリーとまでは、いきませんがちょっとした謎があります。それは、「無量寿経」の「五存七欠」(ごぞんしちけつ)と呼ばれるものです。

「無量寿経」は12回翻訳されたとありますが実存しているのは5部で残りの7部が現存していないことです。

現存しない7部は、経典名や誰が翻訳したという記録なども残っているようですが、不思議なことです。

このような経典の翻訳には、「○存×欠」という翻訳された記録はあるけれど現物がないということが多数あります。「阿弥陀経」も3回訳されているけれども2部はあり1部がない「二存一欠」があります。

現在では、この「無量寿経」の7部に関して、実は翻訳されていなかったのではないかという説が有力なようでが、真相は如何に?

 和尚のひとりごとNo125「3・11」

 

平成23年3月11日、あれから7年。もう7年でしょうか、まだ7年でしょうか。皆様それぞれ、日々の生活に追われての7年だったと思われます。被災された方、そうでない方、大震災を期に様々な思いを抱きながら今日まで歩んでこられたと思います。しかしながら、被災地から遠く離れた地に住んで、日常を平穏に過ごしておりますと忘れがちな防災意識であります。3月11日を迎え、もう一度あの時を振り返り、今一度見つめ直す機会であります。今、私達に何が出来るのか。どの様な支援が出来、これからどの様に過ごしていけば良いのか。

 人間一人一人では微力なものであります。しかし一人一人は微力であっても、同じ目的に向かい、気持ちを一つに、力を合わせて行動を共にすれば、大きな力となり、素晴らしいカタチを創り上げるものです。

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 今、玉圓寺に出来る事。震災でお亡くなりになった方々の御回向、復興祈願法要、檀信徒様方から頂いた義捐金を災害復興の為に役立てさせていただく事等。まだまだ必要な復興へ向けての窓口としてお役に立てればと思います。我々の住むこの美しい地球の為に、平和を願い、平穏無事な生活を願うばかりです。ご先祖様方が築き上げてきた国々。大震災を経験した日本から、世界の生きとし生けるもの全てが幸せでありますように!これからもお念仏を称えて共々に精進して参りましょう。Smile The Earth!!

和尚のひとりごとNo124「歩みの はやさ それぞれ」

 

 『ウサギとカメ』という寓話があります。足の速いウサギと足の遅いカメが競争したところ、足の速いウサギは勝つと過信して途中で居眠りを始めてしまい、その間カメは休む事なく歩き続け、ウサギが目を覚ました時にはカメが先にゴールに辿り着いていたというお話です。過信して思い上がり、自惚れ油断してしまうと物事を逸してしまうという戒めになっています。歩みは遅くとも着実に真っ直ぐ進む事で、最終的には大きな成果を得る事が出来るという教訓であります。

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 仏教は信仰と修行の二本柱です。浄土宗においては南無阿弥陀仏と御念仏を申せば、最期臨終の夕べには必ず阿弥陀様に迎えに来ていただき、西方極楽浄土へ往生させていただけるという御教えが信仰です。そしてその事を素直に信じ、只ひたすら南無阿弥陀仏と御念仏を申し続ける事が修行であります。信行双修(しんぎょうそうしゅ)と言われ、信仰の「信」と修行の「行」との両方を片寄りなく修めるように教化しています。

 信心についてはたった一度の御念仏で阿弥陀様は必ずお迎えに来てくださると信じ、行については一生涯続けて励むべきであると言われます。一生涯続ける事を念仏相続と申しますが、何故一生涯御念仏を申し続ける必要があるのでしょうか。それはたった一度の御念仏でも救われるからといって、毎日続けて御念仏を申していなかったら遂には口から南無阿弥陀仏の御念仏が出てこなくなり、御念仏の事すら忘れてしまう様になってしまうからであります。ですから一生涯、南無阿弥陀仏と申し続けてくださいと御念仏の相続を勧めています。

 

 雨そそぐ 軒の下石 くぼみけり 難きわざとて 思いすてめや

 

 軒下の硬い石であっても何年も絶え間なく雨だれに打たれ続けると窪んでゆきます。何事も休まず怯まず、急がず慌てず、辛抱強く継続して努力する事が大切です。仏道修行も休まず怯まず、急がず慌てず継続していく事が大事です。浄土宗の御念仏は阿弥陀様のお救いを信じて、ただ南無阿弥陀仏とお称えするだけの易行であります。いつでもどこでも誰にでも出来る易しい修行であります。毎日数回、数分でも結構ですので南無阿弥陀仏と共々に申し続けて日々過ごして参りましょう。