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和尚のひとりごとNo128「50回忌」

先日、「50回忌は、お祝いだから赤いロウソクを立てたほういいと聞いたのですが、どうしたらいいですか」と聞かれました。

 

宗派や地域の習慣によって違いがありますが、50回忌は、お仏壇の開眼法要と同じく慶事(お祝い事 おめでたい事)の法要でそので、赤いロウソクやお赤飯などをお供えし、お布施の袋は紅白の水引のものを使うところが多いようです。

なぜ慶事かというと、50回忌で、故人さま一霊のご供養から、先祖代々各々之精霊の一霊としてご供養にさせていただくことがおおいですが、そのことがおめでたいわけではなく、50年というのは、家が子の世代から孫の世代へと変わるぐらいの年月であり、それだけ家が続いたことがおめでたいわけです。そして、長い間ご供養させていただくことができたことのお祝いという意味があるようです。

また、別の方の年忌法要と重なる場合は、年忌法要に合わせたお供えが良いかと存じます。

赤いロウソクを使うのは習慣的なもので、絶対にしなければならないということではないからです。

初めの質問に対しては、「赤いロウソクがあれば使ってください。なければ、普段使っているものでいいですよ」というのが答えになります。

大切なのは供養する心です。心がこもっていれば、赤でも白でもどのような色のロウソクでもよいかと思います。

和尚のひとりごとNo127「天上天下唯我独尊」

 

 この地球上には沢山の生物が住んでいます。人間を含め、あらゆる動物、昆虫、微生物が共存しています。名前が付いているだけでも120万種類、未発見のものを含めると800万種類とも1000万種類以上とも言われています。その一つ一つを数え上げると恐ろしい数字になります。その中で人間として生まれ出る確率を計算された方がおられます。人体構造からその確率を計算すると、およそ1400兆分の1だそうです。又ある学者さんは1億円の宝くじに100万回連続して当たる確率と計算されました。いずれにしてもこの世の中に今、人間として生まれ出、私という自分自身が生きている事は奇跡と言えるでしょう。仏様の教えを説かれたお釈迦様はこの奇跡を「盲亀浮木の譬え」としてお説きくださいました。

「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀が住んでいる。その目の見えない亀、盲亀が百年に一度、海面に顔を出す。また広い海には一本の丸太の木が浮いていて、その木の真ん中には小さな穴が空いている。亀の顔が出る位の小さな穴。その浮木は風の吹くまま波に揺られ、東へ西へ、北へ南へと漂っている。そして百年に一度浮かび上がる盲亀が、浮かび上がった拍子に、たまたまこの浮木の穴にヒョイと頭を入れ、穴から顔を出す事があるであろうか?人間に生まれるという事はこの盲亀が浮木の穴から顔を出すよりも難しい事である」と説かれました。

 sigatu以上が「盲亀浮木の譬え」というお話で、人間に生まれ出た有り難さ、今、生きている事の尊さをお説きくださいましたお釈迦様であります。「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とは、お釈迦様が誕生した時に七歩歩まれ発せられた言葉です。六道という六つの苦しみの世界を抜け出る教えを説かれたので七歩歩まれたとされ、右手で天を左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と言葉を発せられたというお釈迦様を崇め奉っての御伝記です。「この世の中に唯一無二の存在として生まれた出た自分であり、誰とも代わる事の出来ない人間として、この命のままで尊い」という意味であります。人の価値は他人と比較して優劣を決めるものではありません。人はそれぞれ他の人にはない持ち味があり、その持ち味を生かし、それぞれが自分らしく生きていく事が大切であります。

 無駄な命、無意義な人間は存在しません。人それぞれ果たすべき大事な使命、生きる意義があるものです。お互いの役割を尊重しながら、社会の一員として生活して参りましょう。