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和尚のひとりごとNo123「音写」(おんしゃ)
2月に入りました。2月15日は「涅槃会」(ねはんえ)があります。「涅槃会」については、和尚のひとりごとNo41をご参照ください。
「涅槃」とは、迷いのなくなった境地、悟りを得た状態のことです。
「涅」とは、黒い土とか黒いという意味があり、「槃」は、タライ 平たい鉢のことです。ここから悟りを得た状態を意味するのは、無理があります。
お釈迦さまの時代の言葉のサンスクリット語に「ニルヴァーナ」(nirvâna)という言葉があります。この言葉の音(発音)だけをとって、漢字を当て字したものが、「涅槃」だからです。
このように言葉の音だけをとって漢字にすることを「音写」(おんしゃ)と呼び、お経には数多く用いられています。
私たちが普段からお称えしているお念仏「南無阿弥陀佛」も音写されたものです。
「南無」は「ナーモ」(namas)というサンスクリット語で「帰依する」という意味を持つ言葉を音写したもので、「阿弥陀」は、「アミターユス」(Amitâyus)と「アミターバ」(Amitâbha)と二つの言葉を音写されたものです。
「アミターユス」は「はかりきれない寿命をもつ」、「アミターバ」は「はかりきれない光明をもつ」という意味があり、どちらも阿弥陀さまのお名前で、「無量寿仏」「無量光仏」とお呼びすることも御座います。
浄土宗のお経「無量寿経」の無量寿は阿弥陀さまのことです。
音写されたものの中には、言葉の他にも、人の名前が多くあります。
「阿弥陀経」では、舎利弗(しゃりほつ)という言葉が多く出てきますが、こちらは、お釈迦さまのお弟子さんのお名前です。
音写がお経をわかりにくい物にしている要因のひとつかもしれません。
分からない単語はそういう言葉だと思って、お経を読んでみれば、少し分かりやすくなるのではないでしょうか。
和尚のひとりごとNo122「やさしい言葉を贈ろう」
「鬼は外、福は内」と節分の日には掛け声をかけ、豆を撒いて、年齢の数だけ豆を食べ厄除けを行います。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じ、それを追い払う為のお祓い行事が節分会の始まりと言われています。古来から目に見えない災禍をもたらすものに対して「鬼」と称し、お祓いの対象としてきたようです。また自分にとって都合の悪い相手に対しても「鬼」と呼び、目に見える人間を対象として悪口としても使われます。気にくわないと、ついつい他人の悪口を言ってしまう愚かな私達であります。
戒律といって仏教徒の守るべき戒めと規則を記した書物には口に関する事柄が沢山あります。「不妄語」(嘘、偽りを言わない)・「不両舌」(二枚舌を使ったり、陰口を言わない)・「不悪口」(他者を誹謗、中傷しない)・「不綺語」(噂話や世間話、心にもない綺麗事など無駄口をたたかない)等、発言についての行為を戒めています。「口は災いの元」と言われるように、口から出た言葉一つで相手を傷つけ、自分自身をも傷つけてしまうのが言葉の恐ろしさです。それだけに発言には気をつけるようにとの戒めであります。
ひとつのことばで なかなおり
ひとつのことばで 頭が下がり
ひとつのことばで 心が痛む
ひとつのことばで 楽しく笑い
ひとつのことばで 泣かされる
ひとつのことばは それぞれに
ひとつの心を持っている
きれいなことばは きれいな心
やさしいことばは やさしい心
ひとつのことばを 大切に
ひとつのことばを 美しく
たった一言で喧嘩する事もあれば、相手と仲良くなるのも言葉の力です。出来るだけ良い言葉を使うように心がけ、毎日笑顔で過ごすようにしたいものであります。