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和尚のひとりごと「浄土宗総大本山巡る旅第一回」
浄土宗大本山 金戒光明寺、百万遍知恩寺 団参日帰り心の旅
平成30年5月8日 曇り空のなか京都へ出発しました。
午前中に金戒光明寺さんに参拝、堂内を案内していただいた上人(お坊さん)のお話がおもしろく、「虎の間」では三匹の虎が描かれているふすま絵を開けると虎が二匹になるというお話も笑い声につつまれながら聞きました。
写真撮影が禁止だったのでお見せできないことが残念ですが、今回は貴重なお像も拝見させて頂きました。法然上人の涅槃像です。厨子(ずし)に入ったお像で普段は公開されていないそうです。私も初めて拝見しました。
金戒光明寺さんには、法然上人の手形(一枚起請文の原本には法然上人の手形が押されています)を写したものがあり、手をあわさせてもらい、法然上人の手が小さかったことに驚きました。案内の上人(お坊さん)のお話では、手形を押したときは、亡くなる少し前で、力強く押せなかったからからとのことでした。
昼食のあとに、百万遍知恩寺さんに参拝、知恩寺さんといえば、百万遍大念珠繰りです。
大殿(だいでん)にて百万遍大念珠の数珠繰りをしました。
大殿とは、法然上人をお祀りしているお堂で、御影堂(みえいどう)とも呼びます。
お話して頂いた知恩寺さんの上人(お坊さん)によると、百万遍の法然上人のお像が若く一番ハンサムな姿をされていますとのことでした。確かに、凛々しいお姿をされていました。
参加された檀信徒の皆さまもよい一日だったと喜んでいただけました。
10月に予定している「鎌倉の大本山光明寺と大本山増上寺 団参一泊二日の旅」に皆さまの参加を玉圓寺一同お待ちしています。
和尚のひとりごとNo129「心の弦 張り過ぎず ゆる過ぎず」
梅と塩で「あんばい」と読みます。程度、具合、加減の事で、本来は「えんばい」と読み、塩と梅酢を合わせた調味料の事でした。その味加減の丁度良い物を「えんばい」と呼んだそうです。また「按排(あんばい)」という言葉もあり、上手く処置する事や、具合の良い事を意味し、「塩梅(えんばい)」と「按排(あんばい)」の意味が良い具合にするという点で似ていた為、「塩」と「梅」の「えんばい」も「あんばい」と読まれるようになったそうです。お風呂に入って丁度良い湯加減の時に、「良い塩梅」と言いますが、熱くなし、ぬるくなしが「良い塩梅」であります。
お釈迦様の弟子にソーナという大層真面目で熱心な修行僧が居られました。毎日毎日、朝から晩まで一生懸命に修行を積む弟子でありましたが、いくら修行を積んでもなかなか悩み、苦しみを断ち切れない。それどころか次から次へと欲望が込み上げてくる。少しも心安らぐ事がないと嘆かれていたそうです。もう諦めて、修行を辞めてしまおうかと思い詰めていた時、お釈迦様はソーナに声をかけられました。
「ソーナよ、琴はどの様に弾けば良い音が出るであろうか。良い音で響くであろうか。琴の弦を強く張り過ぎれば、音は詰まって響かない。それどころか強く弾きすぎると弦が切れてしまう。だからと言って弦が緩すぎては振動する事もなく音も出ない。張り過ぎず、ゆる過ぎず、丁度良い加減の時に良い音が生まれるものです。真面目に熱心に修行する事は大切ですが、適度の余裕、心のゆとりも忘れてはなりませんよ」と申されました。
浄土宗をお開き下さった法然上人は一日に六万遍、七万遍ものお念仏を申され続けたそうです。我々にはなかなか修める事の出来ない数であります。しかし或る人が法然上人に、「お念仏を申している時に眠たくなって、ついついお念仏のお勤めを怠ってしまいます。こんな時はどうやって、この妨げを除けばよいのでしょうか」とお尋ね申したところ、「目が覚めた時にお念仏を申されたら良いでしょう」とお答えになられたと言います。大層尊い事であります。我々には無理せず、唱え続け易い仕方を御教導くださいました法然上人であります。
ソーナの様な加減の過ぎた修行ではなかなか続かないものであります。一日に六万遍ものお念仏はなかなか修められない我々であります。何事も張り過ぎず、ゆる過ぎず、良い塩梅が勤め易いものです。お念仏も日々の生活におきましても、無理せず良い塩梅を心がけ、日々穏やかに過ごして参りましょう。