Monthly Archives: 7月 2018
和尚のひとりごとNo134「フィリピン記」
玉圓寺の随身、隆心です。先日、フィリピンのマニラに行く機会がありました。
あまり時間はありませんでしたが、マニラ大聖堂とサン・アグスチン教会を見学しました。
マニラ大聖堂は大司教座というマニラのカトリックキリスト教の本拠地だそうです。
中に入ると天井が高く広い空間で奥行きがありました。まわりを見ると柱にモニターとスピーカーがあり、司祭さんの話が聞こえるようになっていることに感心しました。また告解部屋もあり興味深かったです。
次はサン・アグスチン教会です。フィリピンで一番古い教会で、博物館も併設されています。
博物館はフィリピンでの布教の歴史にまつわる物がたくさん展示されており楽しめました。
教会に入り正面を見ると、十字架でもイエス・キリスト像でもなく見知らぬ人のお像がお祀りされていました。
フィリピンでのキリスト教の布教に貢献され、聖人に列せされてこの教会の名前の由来になった聖オーガスティン(アグスチン)という方だそうです。
後方には、地震で落ちた教会の鐘が展示されており、ガイドの方が、重さが、3.4トンもある大きな鐘と自慢げに説明されるので、「知恩院の鐘楼(しょうろう)は70トンもあってもっと大きいぞ」と心の中で叫んでしまい、後になって少し後悔しました。
また、教会の中には、納骨堂?のような所があり、火葬したお骨を納めることができるとのことで、土葬とばかり思っていたのでびっくりです。
興味深いフィリピンの旅でした。
和尚のひとりごとNo133「倶会一処」
東日本大震災から7年が経過致しました。「震災幽霊」という言葉を聞いた事があるでしょうか。被災地に於いて「既に亡くなった人を見た」とか、「突然電話のベルが鳴った」とか、「亡くなった人の声が聞こえた」等、被災地で不思議な体験をされた方が居られるそうです。これが「震災幽霊」として震災直後から噂されている霊的現象であります。心理学者によると、「日常的に強いストレスがかかっている状態で霊的なモノが見えた様に感じる」と解説されています。或いはまた、「遺族が被災者の突然の死を徐々に受け入れる為につくられる心を修復する為のプロセスである」とか、「まだ死を認められない為に幽霊という存在をつくり上げている」等、様々な解釈がなされています。数多くの犠牲者を出し、全てのものを破壊した未曾有の大災害によって未だに多くの人々が心に傷を負った状態であり、その傷の深さは計り知る事が出来ないものです。
その様な「震災幽霊」、津波で亡くなった人を見たという噂を聞きつけて、同じ様に津波で幼い子供を亡くした母親が、「幽霊でもいい、もう一度子供の姿を見られるのなら、もう一度子供に会えるのならば」と、津波が押し寄せてきた辺りを夜通し、我が子の名前を呼んで歩き続けたそうです。「もう一度会いたい。お願い出てきてちょうだい」お母さんは祈る様に夜が明ける迄歩き続けられました。毎晩、海岸沿いに出かけられては我が子の名前を呼ぶ事を数ヶ月も続けられたそうです。けれどもこのお母さんは、噂されている様な「震災幽霊」を見る事もなく、我が子に再び会う事も出来なかったそうです。
この世において故人と再び会い、語り合う事は不可能であります。しかし、いずれ自分自身が今生での命を終え、西方極楽浄土に往生したならば亡き人と出会えるのです。『阿弥陀経』というお経の中に、「倶会一処(くえいっしょ)」と説かれ、まさに亡き人と一つの処で倶に会う事が約束されています。「宿縁(しゅくえん)」と言って、この世での縁が虚しいものでないならば、後の世で再び会う事が出来る。その場所が西方極楽浄土であり、その為の手段が南無阿弥陀佛のお念仏であります。お念仏を申して阿弥陀様にお願いしたならば、最期臨終の夕べには間違いなく阿弥陀様に迎えとっていただき、西方極楽浄土へ生まれさせていただける。そうして縁ある亡き人と再会出来る。その事を一つの生きがいとして、共々に日々南無阿弥陀佛とお念仏を申して過ごして参りましょう。