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和尚のひとりごとNo141「三心」

 

法然上人の一枚起請文に、次のような一節があります。

「三心四修(さんじんししゅ)と申すことの候そうろうは、

皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり」

 ここに言われる「三心(さんじん)」とは、阿弥陀さまが建てた西方浄土に往生しようとする者が持つべき三種の心構えのことです。

浄土宗で大切にしている『観無量寿経』には、こう説かれています。

 第一に「至誠心(しじょうしん)」とは「まことの心、真実心」のこと、

 第二に「深心(じんしん)」とは「仏の本願を深く信じる心」のこと、

 そして第三に「回向発願心(えこうほつがんしん)」とは、あらゆる行為を全て西方極楽浄土への往生の願いへと振り向けることだとされています。

 簡単に言えば、「三心」とは私たちの極楽往生への切なる願いです。

 法然上人によれば、極楽往生への条件であるこの「三心」さえも、『南無阿弥陀仏』とおとなえして必ず往生するのだ、と思い定める中に自然に備わってくるというのです。

 難しく考える必要はありません。

 まずは仏が説示され法然上人が勧められるお念仏を申し、慈悲に満たされた阿弥陀如来の浄土に生まれることを願おうではありませんか。

和尚のひとりごとNo140「ぬくもりに やすらぐ」

 

 江戸時代後期に活躍された浄土宗の僧侶に徳本上人(とくほんしょうにん)というお方が居られます。徳本上人は紀伊の国、現在の和歌山県日高町の農家に生まれました。四歳の時、一緒に遊んでいた友達が亡くなり、「友達はどこへ行ったの?また会えるの?」と母親に尋ねました。すると母親は「死んだ人にはもう会えないのよ」と答えてしまいました。しかし泣き叫ぶ我が子を見るに偲びず、「今の別れを嘆くよりは、阿弥陀様を頼り、南無阿弥陀佛のお念仏を唱えれば極楽浄土でまた会う事が出来ますよ」という浄土の御教えを教え諭しました。四歳の子には難しい教えかと思われたのとは裏腹に、この教えが我が幼子の心の奥底に深く刻み込まれ、いつとなく南無阿弥陀佛のお念仏を唱えて過ごす様になったと言われています。

 二十七歳の時に得度式、僧侶になる為の儀式を受け、「徳本」の名を頂いて出家致しました。日々の食事は豆の粉一合、或いは少量のそば粉のみと、生涯を通じて粗食であったと言われています。明け方二時、三時に起きると、立って座っての礼拝(らいはい)を行い、日中はお念仏を唱えながら山中を歩き回られ、睡眠時間は二、三時間程度で亡くなるまで横になって寝る事はなかったと伝えられております。想像を絶する荒修行をし、心を戒め、身を律して、南無阿弥陀佛とお念仏を唱えて日本全国を行脚し、庶民の苦難を救った逸話が各地に残されております。

 

 ありがたや 天は笠なり 地は足駄 たといこけるも 六字の上に

 

 これは徳本上人の詠まれた御歌です。「笠(かさ)」は、雨や雪、直射日光を防ぐ為に頭に被る道具です。「足駄(あしだ)」とは通常の下駄よりも歯がやや高い高下駄で、専ら雨天時の履物として使用されたそうです。そう考えるとこの御歌は、雨の日に詠まれたものでしょうか。雨が降っているのにもかかわらず、降る雨をしのぐ笠も持たず、また雨宿りをする場所も求めず、徳本上人はただ一人、雨の中を念仏申して歩んでおられたのでしょう。雨でぬかるんだ道中、滑って転ぶ事もあります。転べば大怪我をする事もあるでしょう。しかしこけたとしても、阿弥陀様に守られている。たとえ道中で命尽きたとしても、阿弥陀様に迎えとっていただける。その思いを、「たといこけるも六字の上に」と表現されております。「六字」とは南無阿弥陀佛の六文字の御名号の事です。雨が降ってくる「天」そのものを「笠」、ぬかるみの「大地」を「足駄」と捉え、阿弥陀様の御慈悲の大きさを表しておられると同時に、いつでも阿弥陀様に包まれ見護られて、生かされている思いが感じられます。11gatu

徳本上人の様な荒行には足元にも及びませんが、私達も共々にお念仏を申し、大いなる阿弥陀様の御慈悲に見護られているそのぬくもりを感じ、安らぐ日々を送らせていただきましょう。