和尚のひとりごとNo186「心は同じ花のうてなぞ」
「シャボン玉」という童謡があります。子供の頃に聞いたり、歌った事のある方も多いと思います。
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた
かぜかぜ吹くな シャボン玉飛ばそ
野口雨情(のぐち うじょう)さんの書かれた詩です。野口雨情さんは宗教的な意味合いの深い詩を沢山創られております。この詩でシャボン玉は儚い命を表しています。日本でお念仏の御教えを弘めてくださった法然上人は、我々の儚い命を「朝露(あさつゆ)の如し」と示されました。葉っぱの上の露は、いつ落ちて消えるか判りません。たとえ葉の上に残っていたとしても、陽に照らされれば、いずれ消えていきます。我々の命というものは朝露の様に、或いはシャボン玉の様に儚い命であります。屋根まで飛んだシャボン玉はいくつあるでしょうか。飛ばずに消えたシャボン玉もあるでしょう。色々な御縁を頂戴して皆、一生懸命生きています。どんな一生を送ったとしても、「屋根まで飛んでこわれて消えた」の詩と同様に、いずれ亡くなっていかねばならないのがこの世での命です。
野口雨情さんの子供さんは生まれてすぐに亡くなったそうです。或る日、雨情さんの近くの子供達がシャボン玉を飛ばして遊んでいました。それを見た雨情さんは、「もし我が子が生きておったなら、今頃はこの子供達と一緒に楽しく遊んでいただろうな。」その様に亡き幼子(おさなご)に想いを馳せて書いた詩だと言われています。大正時代のお話ですから、その当時は幼くして亡くなる子供が多くいました。今の様に医療技術も、食事の面でも恵まれていなかった時代です。雨情さんはその後、何人かのお子様を授かっておられますが、幼くして亡くした子供の事はいつまでも忘れられずに、この「シャボン玉」の詩に託されたと言われています。「かぜかぜ吹くなシャボン玉飛ばそ」は、「諸行無常の風よ、吹いてくれるな」そんな思いで、親の切なる願いで書かれたのだと思われます。諸行無常の世の中ですから、たとえ屋根まで飛んでも消えていかねばなりません。しかし「必ず御浄土に参らせていただく。間違いなく阿弥陀様に迎えとっていただいて、西方極楽浄土に往生させていただくのだ。」と、口に南無阿弥陀佛とお念仏を唱えるのが浄土宗のお念仏です。この世で命尽きても、後の世は御浄土の蓮の台(うてな)に生まれさせていただける。そして縁ある方とまた再会出来ると思い定めて、日々共々にお念仏申して過ごして参りましょう。