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和尚のひとりごとNo264「法然上人御法語第二十四」
前篇 第24 別時念仏(べつじねんぶつ)
【原文】
時々(ときどき)別時(べつじ)の念仏(ねんぶつ)を修(しゅ)して、心(こころ)をも身(み)をも励まし、調(ととの)え、すすむべきなり。
日々(ひび)に六万遍(ろくまんべん)七万遍(しちまんべん)を称(とな)えば、さても足(た)りぬべき事(こと)にてあれども、人(ひと)の心様(こころざま)は、いたく目(め)慣(な)れ、耳(みみ)慣れぬれば、いらいらいと、すすむ心(こころ)少なく、明け暮れは悤々(そうそう)として、心(こころ)閑(しず)かならぬ様(よう)にてのみ疎略(そりゃく)になりゆくなり。
その心をすすめんためには、時々別時の念仏を修すべきなり。然(しか)れば善導(ぜんどう)和尚(かしょう)も懇(ねんご)ろに励まし、恵心(えしん)の先徳(せんとく)も詳しく教えられたり。
道場(どうじょう)をもひき繕(つくろ)い、花香(けこう)をも供(そな)えたてまつらん事(こと)、ただ力の堪(た)えたらんに随(したが)うべし。また我(わ)が身(み)をも殊(こと)に清めて道場に入(い)りて、或(あるい)は三時(さんじ)、或(あるい)は六時なんどに念仏すべし。もし同行(どうぎょう)など数多(あまた)あらん時(とき)は、代(か)わる代(が)わる入(い)りて、不断念仏(ふだんねんぶつ)にも修(しゅ)すべし。斯様(かよう)のことは、各々(おのおの)、様(よう)に随(したが)いて計(はか)らうべし。
勅伝第21巻
【ことばの説明】
別時念仏(べつじねんぶつ)
あるいは如法念仏。特別な時間と場所(道場)を定めて、そこにおいてひたすらに称名念仏に励むこと。
これに対比して、通常の念仏を「尋常念仏(じんじょうねんぶつ)」、死に際して行う念仏を「臨終念仏(りんじゅうねんぶつ)」と呼ぶ。
別時念仏は念仏に対する懈怠(なまけ)や怠りを正す目的で実施されるものである。
然(しか)れば善導(ぜんどう)和尚(かしょう)も懇(ねんご)ろに励まし…
…恵心(えしん)の先徳(せんとく)も詳しく教えられたり
善導大師『観念法門』、恵心僧都源信『往生要集』にても、別時念仏の功徳が明かされ、勧められていること。
不断念仏(ふだんねんぶつ)
または常念仏。慈覚大師円仁が唐より将来した作法で、もとは比叡山で修された常行三昧(じょうぎょうざんまい)に含まれるもの。日時を定めて、間断なく念仏を唱え続ける行法。
浄土宗においては別時念仏の一環として、特定の日時にわたって昼夜を問わず口称の念仏をひたすらに行ずることが元祖上人の在世時より行われた。
【現代語訳】
時には別時の念仏を修めて、身も心もともに励まし、調子を整えて、(我が心を念仏へと)薦めていくべきです。
毎日のように六万遍も七万遍も唱え続ければ、確かにそれで念仏が不足しているという訳ではありません。しかし人の心の在り様というものは、例えば常に見慣れ、聞き慣れてしまうと、つい焦燥感がつのったり、その行為を薦めようという気持ちも薄れ、日々の暮らしに追われ、心穏やかな境地からはすっかり離れてしまい、結果的に念仏自体も
疎かとなってしまうものです。
そのような心の習わしを(念仏へと)誘おうとするのであれば、時には別時念仏を修めるべきであります。だからこそ彼の善導和尚は親身になって私たちに(この別時念仏を修めるよう)励ましの言葉を残し、徳高き先達である恵心僧都源信もそれは詳らかに教えて下さっています。
(別時念仏の為にと)道場を見事に設えたり、花や香を供えることについては、ただ力及ぶ範囲に留めて差し支えありません。また、特に自分の身体を浄めることは忘れずに、あるいは三時に及ぶ(6)時間にわたり、あるいは六時におよぶ(12)時間といった具合に念仏を行うべきです。またもし同じ志持つ者多数であるならば、代わる代わる交替で道場に入って修め、常に念仏の声が途切れることのない不断念仏として勤めるのが望ましいことでありましょう。このようなことは、その時々の状況・条件を考慮して決めて行けば宜しいのです。
時と場所を定めてひたすらに一行に徹するという行法は、古くは『般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)』に説かれる般舟三昧(仏立三昧 ぶつりゅうざんまい)や、天台の常行三昧(じょうぎょうざんまい)が知られますが、これらはその実践によって仏や浄土の姿を観想しようと試みる難行でした。それに対してここに説かれる別時念仏は、称名念仏の懈怠を正し、その価値を改めて認識させる為に行われるものであります。
仏の本願に誓われた念仏が口称念仏であることを明かした善導大師自身は、念仏三昧により三昧発得の人であったと伝えられています。念仏の功徳はかくあるべし。しかしながら善導大師そして法然上人が見出された口称念仏は、能力至らぬ凡夫がただひたすらに仏の名を称えることにより救われる教えでもあります。
時を変え、場所を変えることで、より一層の信心を持って、新たな気持ちで念仏が申せるのであればそうすればよい。念仏為先。元祖上人の思いがまじかに感じられる御法語であります。
合掌
和尚のひとりごと「一枚起請文と法然上人」
一枚起請文は元祖法然上人御自身に帰せられるもので、長年にわたり師事した勢観房源智(せいかんぼうげんち)上人の請いに応じて著わされました。時に建暦2年正月23日、実に往生を遂げられる2日前のこと、私たちはこの一枚起請文を、元祖を慕いその教えを守り伝える者たちに対して、念仏を斯く捉え実践すべきであると導いて下さっている御遺訓(ごゆいくん)または(制誡 せいかい)であると受けとめています。
さて『一紙小消息(いっしこしょうそく)』とともに日々のお勤めでも拝読されることの多いこの『一枚起請文』、法然上人が残された遺文である御法語の中でも最も知られたものの一つです。
「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし(知識ある者としての振舞いを忘れ、ただひたすらに念仏せよ)」、この一節に要約されるように、念仏の教えとその実践の肝要な点が述べられています。
江戸期の学僧義山は「広くすれば選択集 縮むれば一枚起請なり」、つまり詳しく述べれば『選択本願念仏集』となるが、その要点を約(つづ)めればこの『一枚起請文』となると断じました。『選択本願念仏集』は、一代仏教を全て学ばれた法然上人が、浄土の教えを全仏教の中に明確に位置づけ、その価値を宣揚した主著であります。
また天竜寺の桂州(けいしゅう)禅師は「一紙に大蔵経を含むもの」と評しました。かつて法然上人は、比叡山中黒谷別所にあった報恩蔵(ほうおんぞう)に籠り一切経(大蔵経に同じ。インドより伝承された全ての教え)を五回通読し、漸く見出された「一心専念弥陀名号」の一文に弥陀の救済の真理を見出されました。その真理こそがこの御法語に表現されているのだから、まさに仏の教えの真髄がそこに含まれているという訳です。臨済宗の一休禅師も『狂雲集(きょううんしゅう)』で「伝え聞く法然生き如来」と記し、凡夫と同じ立場から語りかけるこの御法語を称えます。
「浄土宗の安心起行この一紙に至極せり(浄土宗の安心・起行(信仰と行い)はこの一紙に極まっている)」と締めくくられるこの『一枚起請文』とともに、元祖 三日月(みかづき)の御影が私たちを見守って下さっている掛軸が玉圓寺に伝えられています。
「月影を雲の上にてうつしては西へ行べきしるべとも見よ」
三日月の御影は建久二年の春、後白河法皇の勅によりて右京権大夫隆信(うきょうのごんのだいぶたかのぶ)が法然上人の真影をうつしたものに始まり、自身も生涯に亘り上人を崇敬したと伝えられています。紫雲(しうん)は奇瑞(きずい)の証(あかし)、まさに遭い難き仏法の妙味が元祖の御姿(みすがた)を通して表れでているようです。
これからも寺宝として守り伝えて参ります。