和尚のひとりごとNo264「人の輪が人の和に」

「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」<森信三(もりのぶぞう)>  森信三さんという方が遺されたお言葉です。明治時代の終わり頃に生まれ、大正、昭和と教育者として活躍し、平成4年に亡くなられた哲学者でもあります。2020hitigatu

 私達は生まれた時から沢山の人々に出会っています。幼少の時、少年時代、青年期は主に学校を中心に、成人してからは自身を取り巻く社会の中で、親兄弟以外にも先生と呼ぶ人、先輩、後輩、数えだしたら切りがない程多くの人達との出会いがあります。

人との出会いは、自分が歩んできた道で出会う人々です。ですからその道を歩まない人にとっては出会えない縁です。しかし会った人に対して、「出逢えた人」と受け止めるかどうかは本人次第であります。人と会う場合には「会う」と「逢う」の漢字が当てられます。「会う」とはただ単に人と人とが顔を合わせる場合、又は或る場所で対面する時に用います。「逢う」と記載すると、親しい人や思い入れがある人と顔を合わせたり、運命的な対面を意味する場合が多いようです。その時々に「逢うべき人だった」と受け止めるかどうかは自分の心一つという事になります。まして「一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」となるとどうでしょうか。

少しでもタイミングがずれると出逢えなかった縁かもしれない。そのように受け止めると、今この時に出逢えている人との繋がりに重みを感じるはずです。森信三先生のこの言葉は絶対的な真理というわけではありません。しかしそのように受け止める事で、人との繋がりや出逢った人との関係を大事にしていく心が育てられる事でしょう。  人は決して独りでは生きてはいけません。支え合って生きていかねばならないものです。どんなに強がっていても心くじける事があります。その時に支えてくださる人が側にいるだけでどんなに心強くなれる事でしょう。人と人ですから、仲の良い時もあれば、時には喧嘩する時もあるでしょう。

共に笑いあえる時もあれば、悲しみ憂える時もあるのが人の世であります。この世を世間(せけん)と言います。元は仏教語で、移り変わり壊れゆく迷いの世界の事を世間と言います。この世間では全て自分の思い通りに上手くいく事はなく、人との繋がりも然りです。しかしせっかく出逢った人との縁でありますからその縁を大事に、そこから人の輪、繋がりを大切にし、出来るだけ楽しく過ごしたいものです。

「一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に出逢えた人」と共に受け止めさせていただき、日々和やかに過ごして参りましょう。