和尚のひとりごとNo277「三千大世界」
先日、「三千大世界とは、なんですか」と尋ねられました。
経典に度々出てくる”三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)”とは、仏教の宇宙観を端的に表す言葉です。原語ではtri-sāhasra-mahā-sāhasra-loka-dhātu(トリ・サーハスラ・マハ―・サーハスラ・ローカ・ダートゥ)、舌を噛みそうな言葉ですが、意味は訳語の通り、これは一言でいえば全世界、全宇宙を言い表しています。
仏教の世界観では最小単位となる一個の世界の中心には、高さが八万由旬(ゆじゅん)にも及ぶ非常に高い山がそびえています。これを須弥山(しゅみせん)と呼びます。八万由旬とは約57万6千キロメートル、とてつもない高さですね。これはインドから見上げたヒマラヤ山がモデルになっていると言われています。そして山頂には天界の住人(神々)が住んでいるといわれ、地下深くには地獄(naraka、奈落)が存在します。須弥山を取り囲むように海や大陸(四大洲)があり、私たちの住む南閻浮洲(なんえんぶしゅう)もここにあります。さらにこの世界は地輪や水輪といった様々な材質の地層で構成され、世界にはその果てがあります。
この最小単位の世界を須弥山世界と呼びますが、その須弥山世界が千個集まって小千世界となり、その小千世界が千個集まったものが中千世界、さらに中千世界が千個集まったものが大千世界(三千大千世界)となります。ざっと計算すれば一つの世界がおよそ10億個集まったのが三千大千世界という訳です。
そしてこれらの世界はこの宇宙空間のあらゆる方向に広がっている。そして各々に有情(”衆生”に同じ、心ある生き物)の営みがあると考えます。
この須弥山世界は決して永遠不滅のものではなく、非常に長いスパンで生成(始まり)と破滅(終わり)を繰り返しており、その運動の大本には有情の業の力があると言われています。私たち自身の思いや行為の積み重なりこそが大きな力となっています。
また須弥山世界というのは一人の仏(ブッダ)が教化する範囲であるとも定義されています。実は伝統的には一つの世界には一人のブッダしか現れないと考えられており、私たちの生きる娑婆世界における仏さまとはそのまま釈尊その人のことを指しました。しかも釈尊滅後、当面は仏の不在期間が続き、やがて皆さんご存知の末法の時代に至ります。それがやがて一つの世界には仏は一人だが、そのような世界が無数に存在し、それぞれに仏さまがいらっしゃるはずだと考えられるようになったのです。
宇宙空間には無数の銀河がちらばり、その中には私たちの住むような環境も決して珍しいものではない。
そのように説く現代の宇宙論も連想させるような考え方が、古来より伝承されてきた世界観に見出されるというのは興味深いことです。