和尚のひとりごとNo338「自恣と安居」

前回盂蘭盆の由来を紹介した際に出てきました「自恣(じし)」という言葉ですが、これは”pravāraṇā(プラヴァーラナー)”というインドの言葉から来ています。これは安居も終りに近づいた最終日(陰暦の七月一五日)に、安居に参加した僧たちが互いに懺悔(さんげ)し合うこと、つまり戒律に牴触した行為を為したのであれば、それを告白し訓戒し合うという儀式を指します。この「自恣」を通して、参加者は身心清浄となり、安居は解散することになります。


さて「安居(あんご)」とは、夏(雨期)の一定期間、出家者が一ヶ所に籠り、静かに瞑想修行をおこなったり、仏の教えの学びを深める期間のことです。

釈尊(ブッダ)以来、沙門と呼ばれた仏教僧団の出家者の生活は遊行を旨とするとされて来ました。「遊行(ゆぎょう)」とは、諸国を巡り歩きながら修行を行い、ただ托鉢によって得た食をのみ頼って生活することです。「樹下石上(じゅげせきじょう)」とも言われるこの生活スタイルは、執着を断つ為、言わば「少欲知足」を旨とする本来の出家者のあり方を示しています。そして自分の足で歩める全世界をその生活の場とする、何事にもとらわれない自由な生き方でもあります。

中国の僧院にて 無事安居を終えた僧たちの姿

中国の僧院にて
無事安居を終えた僧たちの姿

その遊行生活の例外が雨期の三ヵ月行われる安居となります。一説ではこの安居の習慣は仏教に限らず、インド諸宗教における古くからの習わしであり、非常な豪雨に見舞われることもある雨期に出歩くことで、誤って小さな生物を踏み殺してしまうことを避ける為であったとも言われています。

釈尊の時代、仏教僧団に喜捨された有名な祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん、祇園精舎)や
竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)は、釈尊や仏弟子たちの安居の場となり、そこで釈尊によりさまざまな教えが説かれたと伝えられています。