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和尚のひとりごとNo400「慈恩会」
晩秋を迎えた11月13日には、毎年、奈良の薬師寺ならびに興福寺にて慈恩会(じおんね)の法会が行われています。両寺は古都奈良を代表する由緒ある寺院ですが、わが国で最も古く伝わった仏教宗派である法相宗の大本山でもあります。
慈恩会は法相宗の宗祖とされる慈恩大師基(じおんだいしき)が入滅された日にその忌日法要を営み、その学徳を偲ぶとともに、学僧たちが一堂に会し論義法要を勤めるものとされています。
インド以来の伝統では、僧侶は経典や論書を学び、その知見に基づいて禅定の実践に励んできました。現在でもなお盛んに行われているチベット僧侶たちの論議・質疑応答は、まさにその伝統を今に伝えるものであり、我が国においては天台や南都において今に伝えられます。
さて慈恩大師基は632年から682年にかけて中国唐の時代に在世した僧であり、15年に及ぶインド留学を成し遂げて645年に帰朝したかの玄奘三蔵の弟子にあたります。伝承では中央アジアと漢人の両方の血をひいていたとも言われています。 玄奘は数多くの経論を持ち帰り、太宗の庇護のもと国家的事業として経論の漢語への翻訳を進めましたが、玄奘自身が最も心を寄せていたのは唯識と呼ばれる学問でありました。
そして天竺で本場の唯識を極めた玄奘の教えを忠実に受け継いだのがこの慈恩大師基であります。 法相宗の宗名は「法相」すなわち具体的個物や現象の現れ方を考究していくことで物事の真のあり方を悟ることを目指す宗であったことから来ています。
最終的には唯識の理、あらゆる現象が私たちの認識作用に還元可能であること、つまり私たちが世界をかくの如く認識しているそのままの姿では物事は実在しないことを如実に覚ることで正覚を得るとします。
ところで我が国で最初に火葬にされた人は飛鳥朝の道昭であり、道昭は玄奘から親しくインド伝来の唯識を学びそれを我が国に持ち帰りました。これが法相宗の初伝であるとされています。 爾来奈良の諸寺、のちにはあらゆる宗派の学僧たちにとっても、法相唯識と仏教の基礎学とされる俱舎の学問は必須のものとされてきました。しかしながらその難解さ故、唯識三年俱舎八年とも呼びならわされてきました。仏教各宗には様々な教えがありますが、基礎学問としての俱舎・唯識を修めてこそ、自宗の教えを確実に理解できると考えられていたのです。 そして慈恩大師には、我が宗祖法然上人も主著『選択集』において引用している『西方要決』という書物も伝えられています。西方往生に対する疑難を会釈し、その往生を勧めたものであるとされているのです。