和尚のひとりごとNo598「善きことはゆっくり動く」

rokugatu

昔々ある国に天下一の大泥棒が居ました。この天下一の大泥棒、とあるお寺に祀られている黄金の仏足石、金で造られた仏様の足形を盗んでやろうと企てます。しかしそう易々と簡単に盗めるものではありません。この大泥棒は一思案、お寺へ向かい、「和尚さん、私には妻と一人の息子が居ました。しかし二人とも病気で死んでしまい、私はもう生きていく夢も希望もありません。仏門に入って修行をしたいのです。」と嘘をついて出家する事にしました。大泥棒は髪を剃り落とし、お坊さんになったのです。大泥棒は皆の信用を得て、安心させてからお宝を盗んでやろうと思い立ったのです。ひとまず真面目に修行しているふりをし、一生懸命説法を聞き、勉強をしているふりをし、適当にお経も覚え、毎日お念仏や仏事に勤める事にしました。
 ひと月が経ち、ふた月が経ち、「あわてるな、もう少し辛抱しよう。」み月経ち、半年が過ぎ、「いやいやまだまだ。ここで仏足石を盗んだのでは足がつく。」一年二年三年四年…、「狙うは金のお宝仏足石。」五年六年七年八年、「いやいやまだまだ阿弥陀佛。」九年十年十五年…、「金のお宝阿弥陀佛。」二十、三十、四十年…、「南無阿弥陀佛、阿弥陀佛。」気づけばお寺の御住職になってしまいました。すると黄金の仏足石の祀られてあるこのお寺には尊いお坊さんが居られると町中の評判になり、大勢の善男子善女人が住職の説法を聞きに来るようになりました。元は天下一の大泥棒です。しかしそんな事は誰も知りません。大泥棒自身ももう黄金の仏足石を盗み出す必要が無くなりました。何故ならもう彼はこの仏足石のあるお寺の住職になってしまわれたのですから。今となっては、お宝を盗む為にこの寺にやってきた事すら忘れております。
 この世は善い行いを為そうと思ってもなかなか出来難い世界です。誘惑も多く、悪しき欲望が起こりやすい環境であるからです。ですから直ぐに仏様のような素晴らしい人柄になる事は不可能です。しかし仏様の真似は出来ます。それが仏道修行です。


『仏を真似て念仏し 先ずは浄土に往生す』


 仏様を真似て、今この世で仏様のように生きるとは、「南無阿弥陀佛」とお念仏を申していく事です。そしていずれ西方極楽浄土に往生させていただき、そこで私達自身が仏と成らせて頂くのです。悪しき習慣や自分自身の至らないところを変えようと努力してみても、直ぐに良くなるものではありません。全ては日々の積み重ねと、環境によってゆっくり変わっていくものです。それはちょうどカタツムリの歩みは遅くとも、着実に前へ前へと進んでいくようなものです。急ぐことなく出来る範囲で善い行いを心がけ、共々にお念仏申して過ごして参りましょう。