和尚のひとりごと「伝道掲示板357

tokiniwa

”婆羅門が問うて云わく。
時に心は澄み渡り
学んだことも実によく理解できている。
しかし時には心が混迷し
何一つ理解できない事がある。
これはどういうことであろうか?

釈尊は答えて云わく。
ここに水を湛えた器があるとしよう。
それが赤や青色に染まっていたら
その水面に自らの顔をそのありのままに映すことは難しいだろう。
同様に、心が欲によって濁らされている時には
ありのままに映らないのである