和尚のひとりごと「伝道掲示板364」
”牛飼いダニヤはこのように言った。
成年に達した牛もいれば、未だ乳に頼る幼い牛もいる。
既に孕んだ牝牛もいれば、やがて交尾を行うであろう牡牛もいる。
そしてこれら牡牛たちの主である牡牛さえもいる。
天の神よ もし雨を降らさば降らせ。
釈尊は仰った。
私には成年に達した牛もいなければ、未だ乳に頼る幼い牛もいない。
既に孕んだ牝牛もいなければ、やがて交尾を行うであろう牡牛もいない。
そしてこれら牡牛たちの主である牡牛さえもいない。
天の神よもし雨を降らさば降らせ。”
牛はかけがえのない財産である。
在家にある身にとってそれは天が及ぼす災害に対しても備えとなるだろう。
しかし家なき身となった釈尊にとり
執着に値する財を持たない事こそ、将来に対する何の気苦労や慮りも持つ必要のない
真の自由の証であった。