和尚のひとりごとNo668「法然上人御法語後編第十七」

百万遍(ひゃくまんべん)(『往生浄土用心』)

百万遍(ひゃくまんべん)の事(こと)。
仏(ほとけ)の願(がん)にては候(そうら)わねども、小阿弥陀経(しょうあみだきょう)に、「若(もし)は一日(いちにち)、若(もし)は二日(ににち)、乃至(ないし)七日(しちにち)、念仏申す人、極楽に生ずる」と説かれて候(そうら)えば、七日(しちにち)念仏申すべきにて候(そうろう)。
その七日のほどの数は、百万遍に当り候(そうろ)うよし、人師(にんじ)釈(しゃく)して候(そうら)えば、百万遍は、七日(なぬか)申すべきにて候(そうら)えども、堪え候(そうら)わざらん人は、八日(ようか)九日(ここのか)などにも申され候(そうら)えかし。
さればとて、百万遍申さざらん人の、生(う)まるまじきにては候(そうら)わず。一念十念(いちねんじゅうねん)にても生まれ候(そうろ)うなり。一念十念にてもうまれ候(そうろ)うほどの念仏と思い候(そうろ)ううれしさに、百万遍の功徳(くどく)を重(かさ)ぬるにて候(そうろ)うなり。

勅伝第23巻より

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【言葉の説明】
百万遍(ひゃくまんべん)
一〇〇万回の念仏を期間七日間または一〇日間と限って唱える事。そもそも数一〇〇万回の念仏は数珠繰りの起源となった『木槵子(もくげんし)経』に由来する。

仏(ほとけ)の願(がん)
『大無量寿経』に説かれた阿弥陀仏(法蔵菩薩)の四十八願。

人師(にんじ)
権威ある先人。ここでは道綽禅師を指し、史上初めて念仏の数量を問題にしたと伝えられる。、迦才『浄土論』によれば、道綽は『阿弥陀経』に基づいて一〇〇万回の念仏を創唱したという。


【現代語訳】
百万遍(百万回の念仏)についてお話します。
阿弥陀仏の四十八願で誓われたものではありませんが、『阿弥陀経』には「もし一日、または二日、あるいは七日に至るまで、念仏を称える人は極楽世界に生まれる」と説かれているように、七日間にわたって念仏を申すべきであります。
その七日にわたる念仏の数は(称えれば)百万回の念仏になると、先師は(この『阿弥陀経』について)注釈しておられますので、この百万回の念仏は七日間で称えるべきでありますが、もしそれが出来ない人は、八日、九日にも及んで(百万回に達するように)称えるようにして下さい。
そうは言っても、念仏が百万回に及ばない人には往生が叶わないという訳ではありません。一回や十回の念仏でも極楽に生まれるのであります。そのようにして一回や十回の念仏でも往生できる嬉しさのあまり、自ずと百万回の念仏の功徳を重ねることになるのであります。


念仏の尊さはその数にあるのではない。しかし数を重ねるごとに念仏による往生への確信は強まり、念仏の功徳も増すことでありましょう。念仏のみ教えに触れるご縁は人さまざまであれば、結べたご縁に基づいて、仏の言葉を信受し、念仏に励めばよい。法然上人の結論はやはりここにあると思います。