Monthly Archives: 8月 2021

和尚のひとりごと「伝道掲示板420

mureewo

”眼の前にある一本の樹を伐るのではなく
自らの煩悩の林を伐採せよ。
危険はその林より生ずる。
煩悩の林とその下生えを悉く伐採して
その林より逃れた者となれ。”
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板419

yokubou1


”喧嘩や争い、悲嘆にくれる事、憂い、物惜しみや慢心、

傲慢さや悪口は一体どこから現れるのでしょうか?ご教示ください。”

”それらは偏愛より起こる。
喧嘩や争いには物惜しみが伴い、争いが生じれば悪口も生じる。

世間に蔓延っている偏愛や貪りは欲望を縁として生じる。
またそれは来世に対する期待と成就へと人を導いてゆく。

この世界には快いものと不快なものとがあり、それらを縁として欲望が生じる。
また物質として立ち現れる対象には発生と消滅とがあることを見て
目に見えた対象にとらわれた一方的な断定が下される。

怒り、偽りのことば、疑いの心
これらも同様に快いものと不快なものがある時に立ち現れる。
人が疑いの念を抱くならば、智慧ある人に学べ。
智慧ある道の人はこれらを知って教えを説くであろう。”
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板418

osienihidenn

”アーナンダよ。
比丘の集いは私に何を期待するのか?
私は内外に隔てなく法を説いてきた。
今や如来には
「比丘の集いは私のものである」とか
「私は比丘の集いを導こう」というような思いは存在しない。
内外の隔てなく法を説いた私には
弟子たちに隠すような教えに対する師の握りこぶしはない。”
『遊行経』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板417

zaisann

またこのようにも説かれる。
”飲酒を勧める人、賭博を勧める人
夜遊びに誘う人、不善なる行いを勧める人
このような人々は友ではなく避けるべきである。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板416

sinriwomite

如何なる者が生き易いのか?

”恥を知ろうとせず、烏のように図々しく
他人を責め、ふてぶてしく
心汚れた者は、生活し易い。

恥を知り、常に清らかなものを目指し
執着を離れ、慎んで
真理を見て清らかに暮らそうと思う者は
生活し難い。”
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板415

jikoga

”どこをどのように捜しても自己よりも愛おしいものは見出せなかった。
さように誰にとっても自己こそが愛おしい。
だからこそ、自己を愛おしいと思う者は
他を害することがあってはならない。”
『相応部経典』

和尚のひとりごと「安居

8月はお盆の季節です。以前にもご紹介したようお盆は『仏説盂蘭盆経』に基づく行事であり、その中で神通力に勝れた仏弟子目連尊者は、餓鬼道に落ちて苦しむ母親を救う為に、釈尊の教示に基づいて安居を終えた僧たちに供養してその功徳により母親を救いました。この話にあやかって、悪趣に落ちたあらゆる生類やご先祖様を供養してその追福を祈るというのが古来より我が国に伝わるお盆の行事です。そしてその時期というのは旧暦7月15日とされています。これは僧が一カ所に定住して修行する「安居(あんご)」の修行が終わるのがこの時期だからであります。
「安居」は「夏安居(げあんご)」「夏行(げぎょう)」「夏籠(げごもり)」とも呼ばれ、雨季(雨の季節)や歳(年月)を意味する梵語のヴァールシカに由来します。インドの雨期には非常多くの雨が降り、川も氾濫し、地面が隠れるほどの水量となるのも決して稀ではありません。そのような時期に外を出歩くことで草木虫などを踏み、無用な殺生を行ってしまうのを避ける為に、釈尊によって定められたのがこの安居であると伝えられています。この安居は元来は陰暦4月16日からの三か月間、普段は遊行している僧侶たちが一カ所に集まり外出することなく過ごすというもので、伝承では釈尊自身は覚りを開かれてより20年ほどは年間を通して定住するということはなかったとされますが、やがて主に2カ所で安居を行うようになったとも言われています。
ちなみにこの安居の習慣は後世に至るまで厳格に守られていました。インドへの長い旅を成し遂げた玄奘三蔵も、旅の途中で安居の季節になると一カ所に留まる事を旨としていたと伝えられています。
また安居を行う場所は当初は自然の洞窟や木陰、雨をしのげる程度の庵などであったでしょうが、やがて有力な信者たちにより場所や施設が寄進されるようになりました。中でもよく知られたのが祇園精舎でありましょう。
当時の有力であったコーサラ国首都シュラーヴァスティー(舎衛城)に長者スダッタという者がいました。彼は孤独な身よりなき者たちに惜しみない施しを行った者(給孤独長者 ぎっこどくちょうじゃ)と称され、釈尊に帰依したのちに遊行僧が雨季(安居時)に逗留するための場所を提供しようと志しました。その為に選ばれた園林の所有者がジェータ(祇陀 ぎだ)太子であり、祇陀と園林を合わせて祇園と呼ばれています。またスダッタは土地獲得のためには土地に黄金を引き詰めるほどの出費も惜しまなかったというのは有名な話ですが、この祇園精舎の遺構には、現在も釈尊自身が説法した会堂などが残されています。
さて安居安居明けには僧侶たちは互いに安居中の行いが規則(律)に違えていなかったかを確認し、反省(懺悔)を行います。これを自恣(じし)と呼び、『盂蘭盆経』でも釈尊は自恣の僧たちに施すことを勧められました。また安居明けを祝って在家者による盛大な寄進が行われる習慣は、現在の南方仏教にも伝わっています。
このように長い安居が明けるこの時期は日本ではまさに夏まっさかり、まさに仏教における夏の一大イベントでありました。
ところで古い経典を紐解くと、釈尊が理想とされていたのは、定住と所有を避け、常に遊行(移動する事)を旨とする頭陀に徹する沙門の姿であります。それが現在普通に見られるように一カ所に大勢の僧侶が定住する在り方に変わっていったのも、この安居の習慣が定常化した事に始まり、またそれは常に衣食住を寄進してくれる在家者の存在に支えられていたことは忘れてならないでしょう。

和尚のひとりごと「伝道掲示板414

yokutokareta

花の麗しく艶やかなるも
香りなき花もあるように
善く説かれた言葉も
実践せざれば実りなし。

花の麗しく艶やかなり
芳しき香りある花があるように
善く説かれた言葉を
実践すれば実りあり。

人が花を摘み、重ねて華鬘を作すように
人としての身を受け、死すべき身であるならば
多くの善業を為せ。

栴檀も多伽羅(タガラ)も茉莉花(マツリカ)も
花の香りが風に逆らって進むことはない。
しかし善業を為した人の香りは
風をものともせずに進み、あらゆる方向に薫ずる。
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板413

tyuudoukoso

求道者が避けるべき二つの偏った道
一つは欲楽にふける卑しき生活であり
もう一つは自らの心身を苛む道である。
二つの偏った生活を離れた上で
智慧を培うことを第一に進む中道を私は示そう。

それは正しき見方、正しき思惟、正しき言葉、身体による正しき行い
正しき生活、正しき努力、正しき注意、正しき精神統一
これらこそが涅槃へと至る正しき八つの道である。
『律蔵大品』より

不苦不楽の中道は釈尊最初の説法として最も多くの経典で伝承されている。

和尚のひとりごと「伝道掲示板412

sakegatai

万人にとり為しがたい四つの事がある。
それは老いる身でありながら、老いない事。
病む身でありながら、病まない事。
死すべき身でありながら、死なない事。
滅ぶべき身でありながら、滅びない事。

これら避け難い四つの事柄に人々は悩み苦しむが
覚者の教えを受けた者は悩み苦しむ事はない。
これらが決してが避け難い事を如実に知るが故に。
『増支部経典』より