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和尚のひとりごと「彼岸」
春と秋にやって来るお彼岸は、それぞれ昼の長さと夜の長さが等しくなる「春分の日」「秋分の日」を中心として前後3日間の計7日間にわたって営まれます。ところで「彼岸(向こう岸)」とは何を意味しているのでしょうか?一般的には死者の赴く世界、あるいは太陽が沈む西方の彼方にある極楽浄土を指していると理解されているでしょう。
この言葉は仏教の故地であるインドでは「pāram パーラム」と呼び、迷いの世界であるこちら岸(此岸)に対して、迷いを離れた悟りの世界である向こう岸(彼岸)を意味します。
向こう岸へ渡り切ることで、乗り越えてあとにすべき世界、それが私たちの住む迷いの世界(娑婆世界)であります。そしてそれは容易には渡れない川であるが故に、釈尊はしばしば「激流」に譬えています。釈尊生前の説法を色濃く反映していると言われる初期経典においては次のように説かれています。
”この世において誰が〈激流〉を渡るのであろうか? この世において誰が大海を渡るのであろうか?
身体をしっかりと支えてくれる寄る辺のない深い海に入って、誰か沈まない者はいるだろうか?”
「常に戒をたもち、智慧あり、よく精神統一をなして、自らの心を内省し、またよく注意している人、こうした人こそが渡りがたい〈激流〉を渡ることができる。」
世間(私たちの生きている世界)についてよく理解した上で、尊ぶべき真理を見、〈激流〉を渡り切ったこのような人、束縛を脱して、煩悩の汚れを離れた人、このような人を賢者たちは「聖人」であると知っている。
神霊よ、聞くがよい。
それら煩悩が起って来る原因について知っている人々は、その煩悩を取り除くことができる。
彼らは渡りがたい、そして未だ誰も渡り切っていないこの〈激流〉を渡り、もはや次の新たな生存をその身に受けることはない。
大切なことは、渡り切ることがたとえ誠に困難であってもそれは実現可能であり、現にそれを体現して悟りを開かれた釈尊がいたという事実でありましょう。弟子たちによって脈々と伝えられたその言葉は「経」として私たちに示されているのです。
ところで伝統的な仏教に対して新たな救済の方法論を打ち出したのが大乗仏教です。しばしば「大きな乗り物」に譬えられるこの教えは、大乗仏教という「大きな乗り物」によってより多くの衆生を向こう岸へ渡すことを目指していると理解できるでしょう。
ではその大乗経典において「彼岸」はどのように説かれているのでしょうか?宗派を超えて親しまれている『般若心経』を見てみましょう。
この経典のタイトルは『般若波羅蜜心経』と言います。『般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)』とは「Prajñā-pāramitā、プラジュニャーパーラミター」の音写であり、「彼岸に渡る(悟りに至る)為の深い洞察」を意味します。この経典は大部の『大般若経』の内容の真髄をまとめたお経であると言われますが、その末尾は「即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか)と、結ばれます。この経典を翻訳したとされる玄奘三蔵は、インドの言葉から中国語(漢語)に訳すに際して、その正確さに拘るとともに様々な工夫を凝らしました。ここでは経典のタイトルや最後の一文はあえて中国語に意訳せず、元のインドのサンスクリット語の音をそのまま写しているのです。それはそうする事によって、元の言葉の音が持つ力を残したかったからであると言われています。
現代語訳を参考にすればこのような意味を持っています。
「往ってしまった方よ、往ってしまった方よ。完全に彼岸へと至った方よ。その悟りに幸いあれ。」
覚りを開いたブッダとその悟りを讃えた言葉、ここでも「彼岸」は「悟りの世界」を意味しています。
さて中国浄土教の歴史において特筆されるべき善導大師は、その著『観無量寿経疏』の中で「太陽が真東より昇り真西に沈む春分と秋分の日は、沈む太陽を見ながら、その彼方にある西方浄土に想いを馳せるのに最も適している」と記されているそうです。かつて西方の彼方を見ながら、その彼方にある浄土を観想した人々の想いは、確かに現在の私たちの心に受け継がれています。自らが極楽浄土へ往生できることを心より願い、かつて私たちを慈しんでくれた亡き人への感謝の気持ちを新たにできる、彼岸はまさにそのような季節であります。