和尚のひとりごとNo751「弥陀の心に染まる」

秋も深まり紅葉の季節となりました。山の木々が赤や黄色に色づいていく様子に信仰の深まりを喩えて、法然上人は次のようなお歌を詠まれました。
  阿弥陀仏(あみだぶ)に 染むる心の 色に出(い)でば 
        秋の梢(こずえ)の たぐいならまし
 「阿弥陀仏のお念仏信仰に染まっていく心が色に現れるというような事があるならば、まるで秋に木々の梢が赤く染まっていくようなものでしょう。」という意味です。「色に出でば」という事は、信仰がその人の体全体から表れ出てくるという事です。お念仏申す事によって人格が形成される、そのお姿を紅葉にかけ合わせてお詠みになられたお歌です。お念仏は尊い善い修行です。お念仏を申す事によって信仰深い立ち居振る舞いになり、尊い人柄になってくるものです。2021jyuuitigatu
 明治時代の終わり頃、一人の強盗殺人犯が山梨刑務所で死刑になりました。刑が執行される前、「何か食べたい物があったら申し出よ。誰か会いたい人が居るなら申し出よ。」と伝えられると死刑囚は即座に、「母に会いたい。」と申し出ました。死刑囚の母親がすぐに呼ばれました。皆はここで母と子の別れが演じられると思ったのですが違いました。死刑囚の男は母を見るなり、突然母の顔に唾を吐きかけて「お前があの時、俺を叱ってくれていたら、こんな事にはならなかった。」と叫んで狂った様に泣き出したそうです。
 「あの時」とは、死刑囚が子供の頃の事。母と子は二人して芝居見物に行きその帰り、もう日も暮れて足許が暗かったので子供は他の人の草履を間違えて履いてしまいました。それは自分が履いて来た物よりも、ずっと上等の履物でした。「お母さん、草履を間違えた。」と少年が言うと母はニッコリ笑って、「良いじゃないか、お前、得をしたんだよ。」と褒めてくれたそうです。この時、少年は母がどうすれば喜ぶかという事を肌身で知ったのでしょう。
 それから次々に人の物を盗むようになって、それを母に見せると、その都度、母は「良いじゃないか。もらっておけば。」と怒る事もなかったそうです。子供に優しすぎた、甘やかし過ぎたのです。それから彼の泥棒人生が始まり、ついに死刑囚に迄なってしまったのです。彼が「あの時、叱ってくれていたら。」と言ったのは、最初に彼が草履を間違えてしまった時、「悪い事をしたね。」とか「相手の人が困っているだろうから、謝りに行こうね。」と言ってくれていたらという事です。しかしこの死刑囚は、刑務所に居る間に教誨師と言って、一人の僧侶に出会われました。お念仏の御教えに出遇われたのです。死刑の恐怖から思わず知らず母親に唾を吐き、罵声を浴びせましたが、その後、「お母さん。この俺が悪かったんだ。ごめんな。もう俺は先に命を終えます。これで今生のお別れとなりますが、仏様に迎えとっていただいて西方極楽浄土に生まれさせていただきます。そして今度は有難くも尊くも、こんな俺が仏となってお母さんとまた会える事を願っております。お浄土でまた会える日を待っております。こんな俺でゴメンなさい。どうか亡き後も見守ってください。さようなら、ありがとう。」と刑を受けていかれたそうです。
 「一人の母は百人の教師に勝る」と言われます。親の一挙手一投足がその子の心に共鳴し、子の運命を左右していると思うと親は襟を正さずにはおれないのではないでしょうか。環境によっては悪人にもなってしまう我々人間であります。出来るだけ善い行いを心がけ、私達を救ってくださる阿弥陀様のお力を信じてお念仏をお称えして過ごして参りましょう。

※思わず知らず=「無意識のうちに」という意味です