和尚のひとりごとNo951「こころの声に耳を澄まそう」

顔をじっくり見てみると不思議な事に気がつきます。何が不思議か?顔の中には二つ有るものと、一つしかないものがあります。目が二つ、耳も二つ有ります。ところが口は一つだけです。日常の働き、それぞれの普段の仕事量を考えると実に不思議です。目というのは何の仕事をするのか。目は見るのが仕事です。他にはあまり働きはありません。一つしか仕事が無いのに目は二つ有ります。耳は聞くのが仕事です。耳もまた二つ有ります。ところが口はどうでしょうか?話をするのが口です。食べるのも口です。風邪をひいて鼻が詰まれば、息の出し入れは口がしないといけません。口は二つも三つも働きがあるのに一つしかなく、一つしか仕事が無い目と耳は二つ有ります。何故そうなっているかが、歌で詠まれています。2022gogatu
   『人間は耳が二つに口一つ 多くを聞いて少し言う為』
 いかがでしょうか。多くを聞いて少し言う為に、耳は二つで口は一つだそうです。この歌は、「二つの目は、しっかり活用して世間の事を見なさい。世間の事はしっかり二つの耳で聞きなさい。けれども聞いた事、見た事は半分しか喋らない様に」と口は一つしかないと戒めているのです。果たして私達はその様に使えているでしょうか。人間は見なくてもいいと言われても、見たくなるのが性分です。何でも聞きたくなり、更に見た事、聞いた事を一つしかない口で、二倍三倍も喋って噂話に花咲かせるのが愚かな人間の性分です。
 今もなお新型コロナウイルスという目に見えないウイルスに脅かされる日々です。この二年程の間に生活様式も随分変わってきました。また物の買い占めがあったり、ウイルスに罹った人への思いやりのない言葉を耳にしたり、その様な事をしてしまう人の心を恐ろしく感じる時もあります。私達の目には見えないウイルスを恐ろしく感じ、心も動揺してしまうのです。
   目に見えず 耳に聞こえず 手に触れず 心に触れる弥陀の御光(みひかり)
 私達を日々お照らしくださっている阿弥陀様の救いの御光も目には見えません。しかし目には見えないけれども阿弥陀様の御光は私達を常に照らしてくださっているのです。それに気づかせて頂いたならば、阿弥陀様のお慈悲の心を頂いて、思いやりの心を持って人々に接していく事が出来るのです。そして今まで日常で当たり前に出来ていた事が、本当は大変に有り難い事で、沢山の方々、沢山の物事のご恩の中で生かされていた有り難さを、改めて知る事が出来ていくのではないでしょうか。「世の中の全てを“おかげさま”と喜べる人は幸せです」これは浄土宗の大本山、百万遍知恩寺・第七十五世法主、服部法丸(はっとりほうがん)台下のお言葉です。今は困難な時ではあるけれども、よく考えてみたならば、沢山のご恩の中にいる私だと喜ばせて頂く。そう受け取る事でこの世を幸せと生かさせていただけるのです。そして、お念仏の御教えをお示しくださいました法然上人のご恩を想い、共々にお念仏を申して暮らして参りましょう。