Monthly Archives: 5月 2022

和尚のひとりごとNo975「偉人の名言99」

R4-5-18

真田 幸村(信繁 のぶしげ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将

大阪夏の陣で、徳川方から高禄で誘われたときの言葉

約束は自分自身との約束でもある

SanadaYukimura

No972「五重相伝Q&A 4」

Q. 五重相伝を受けて戒名をいただきました。(○譽○○禅定門)その戒名に不満があれば変更は可能ですか

A. 五重相伝で授かった戒名は誠に尊いものです。何故ならばお念仏の奥義を受け継ぐ得難い機会を得て、その儀式の中で授かったお戒名だからです。

生前に授与された戒名をもし変えたいのであれば、それは可能かもしれませんが、五重相伝で授かった戒名とは少し意味合いが異なって参ります。

その点は是非ともご留意ください

※あくまでも「和尚のひとりごと」の見解です。

No969「お念仏を称え続ける」

Q. 浄土真宗門徒は極楽(彼らはお浄土と呼んでいる)へ必ず行けるというが
 浄土宗は必ずしも約束されていないんですよね
  ※浄土真宗の場合閻魔大王の審判がないと聞きました

お浄土と呼び、極楽と呼んでも、その意味するところは異なりません。阿弥陀さまが一切の衆生を救うために建立された西方の仏国土の事です。
浄土真宗の教えでは、極楽への往生は既に定まっている事と考えるとうかがったことがあります。またお念仏を称えることも積極的には勧められないそうです。それに対して浄土宗では、極楽往生を望み仏が示して下さったお念仏という実践を伴えば必ず往生が叶うのだと考えます。
それは私たちが最も大切にしている浄土三部経の中の『仏説無量寿経』の中にこのように書かれているからです。
「あらゆる世界の衆生が、真実のこころをもって深く信じて極楽への往生を願い、十遍南無阿弥陀仏と称えたにもかかわらず、往生しないということがないようにしたい」(浄土宗大辞典)より。
これはかつて修行時代の阿弥陀さま(法蔵という名のお坊さんでした)が、悟りを開いて仏となることを目指すにあたりたてた誓いの中で最も大切な第十八目の願の内容です。私たちは他ならぬ仏のこのお言葉を信受してお念仏に励むのです。


そして生涯にわたりお念仏を続けることには、もう一つ大事な意味があります。私たちは凡夫です。たとえ極楽への往生が決まっていると頭で理解していても、疑いの念が起こり、不安となり、ときには教えへの不信感さえも生まれるかも知れません。しかしたとえどんな時でもお念仏を続けていれば、極楽往生への確信は深まり、余計な思いは心より去って、往生に必要な心のまことさえも自ずと培われるのです。

※あくまでも「和尚のひとりごと」の見解です。