Monthly Archives: 7月 2022
和尚のひとりごとNo1024「袈裟1」
昔から僧侶と袈裟(けさ)は切っても切れない関係にあると考えられてきたように、そもそもは出家した僧侶は俗服を捨て袈裟のみを身につけるべきとされていました。袈裟(けさ)とはインドのサンスクリット語であるkaṣāya(カシャーヤ)を音写(おんしゃ)した言葉です。これは赤褐色を意味すると言われていますが、これがまた壊色(えじき)や染衣(せんね)と訳されたり、糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ばれたりするのは、一般の人がかえりみない布の小片を綴り合わせて染色したものが袈裟として用いられた為です。具体的には墓所などに打ち捨てられた(一般の人々にとりすでに不要となり金銭的価値がなくなった)衣服などを集め、縫い合わせて染め直したものを仏教僧は身につけていたという事になります。
この事が意味しているのは、仏道修行にとって最も肝要な欲望を抑えなくしていく事、つまり無所有(むしょう)(所有を出来る限り避ける事)を徹底させる為であったと考えられています。
十大弟子 頭陀行(ずだぎょう)第一と讃えられた摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ)は、お釈迦さまより、身につけていた袈裟を送られて一生涯大切にしたと言われ、その仏直伝の袈裟はインドを旅した玄奘三蔵も拝観されたといわれています。
和尚のひとりごとNo1018「星空の彼方にあなたを想う」
七月七日は七夕(たなばた)と言われ、古来から伝わる祭り事の一つです。この時期の夜空で一際輝いて見える二つの星、“こと座”のベガ(織姫星)と“わし座”のアルタイル(彦星)から創作された物語が七夕のいわれです。天空で一番偉い神様(天帝)には織女(しょくじょ)<織姫>という娘が居ました。織女は神様達の着物を織る仕事をしており、天の川の辺りで毎日熱心に機(はた)を織っていました。天帝は熱心に働く年頃の織女に、対岸で牛を飼っている真面目な青年、牽牛(けんぎゅう)<彦星>と見合いをさせ、やがて二人は結婚しました。しかしお互い愛し合っていた二人は、毎日遊んで過ごし、やがて織女は機を織らなくなり、牽牛は牛の世話をしなくなりました。これに怒った天帝は二人を天の川の両岸へと引き離してしまいました。けれども今度は二人とも毎日泣き暮らすだけで仕事になりません。そこで天帝は、「二人が真面目に働くのならば年に一度、七月七日の夜にだけ逢わせてやろう。」と約束しました。これが七夕伝説のお話です。古(いにしえ)の人々は星座を眺め、季節の星の動きに従って物語を創り出し、想いを寄せていかれたのです。
この時期(旧暦の七月)に降る雨は、催涙雨(さいるいう)と呼び、織姫と彦星の流す涙と考え、梅雨の長雨を楽しんで受け入れていかれたのです。
浄土宗は最期臨終に阿弥陀仏という仏様にお迎えに来ていただいて、西方極楽浄土に生まれさせていただく御教えです。この世で命終えても全てが終わりではなく、後の世に生まれていく世界があると説きます。さらに有り難い事にお念仏を縁として、この世で縁あった方と後の世も再会出来るのです。阿弥陀様に迎えていただく為に「南無阿弥陀佛」と、阿弥陀様の名を唱えるのです。
阿弥陀様は仏になる前に、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)として、兆載永劫(ちょうさいようごう)という極めて長い時間ご修行されました。全ての人々が救われていく道を考えに考えぬいて、
「私の名を呼べば必ず救い摂ってやろう。もし我が名を呼ぶだけでは救い摂る事が出来ないならば、私は仏とはならない。」
という誓いを立てて修行していかれたのです。結果、阿弥陀仏という仏様になられました。
それは阿弥陀仏という仏の名を呼ぶだけで西方極楽浄土に迎えとっていただけるという証なのです。お釈迦様は以上の様な法蔵説話(ほうぞうせつわ)という話を説かれました。無常の世で苦しむ人々の為、死に別れ、立ち直る術を見出せない遺族の為にお釈迦様が示されたみ教えなのです。私たちには推し量る事の出来ない信仰の世界です。私たちには到達出来ない境地にまで達せられたお釈迦様であるからこそ示された世界であります。しかし西方極楽浄土があり、阿弥陀様に迎え摂っていただいたならば、この世で縁あった方と再会出来るという事は、死別という苦しみを少しでも癒してくれる御教えとなるのです。御浄土に想いを寄せて、後の世でまた会えるという信仰を心の支えに、共々にお念仏を申して過ごして参りましょう。