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和尚のひとりごとNo1055「ひとりじゃない そばにいるよ」
山家富貴銀千樹(さんかのふうきぎんせんじゅ)
漁夫風流玉一簑(ぎょふのふうりゅうぎょくいっさ)
黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖、隠元(いんげん)禅師が『三籟集(さんらいしゅう)』に記された句です。
一句目は、「山に暮らす人々(木こり)にとっての素晴らしいところは、冬になり樹々が雪で覆われ、一面銀世界になる風景」。
二句目は、「漁師さんにとって風流を感じるのは、簑笠(みのがさ)を着けて船上に立った時、簑笠に付いた水滴が寒さで凍りつき、それが太陽に照らされてキラキラと光るのを見る事」という内容です。
木こりや漁師にとっての仕事は「死」と隣り合わせの環境です。さらに冬になるとより一層厳しさを増し、命をかけて仕事をしても全く報酬のない時もあります。けれどもそんな過酷な状況でありながら、一面の銀世界や、簑に付いた輝く雫を眺め、「趣(おもむき)のある風情(ふぜい)だなぁ。」と楽しむ心こそが生きている醍醐味、幸せであると言うのです。
「この世は実に苦しみの世界である。」と仏教を開かれたお釈迦様は説かれました。お経では、「一切皆苦(いっさいかいく)」と記されています。自分の思い通りにはいかない世の中です。ましていつかは「死」を迎えなればならない無常(むじょう)の世の中です。しかしそんな苦しみの世の中でありながら、何を楽しみとし、隠元禅師が記された上句の様に何を風流と感じていけるかで、今、幸せな生き方と思えるかどうかにつながるのです。
お念仏の御教えは、最期臨終の夕べには必ず阿弥陀様がお迎えに来てくださり、西方極楽浄土へと生まれさせていただけると説きます。私たち人間の目には見えない仏様の世界ですが、目には見えないからこそ妙味(みょうみ)であり、味わい深く尊い信仰として受け入れていけるのです。平和な社会になり、平穏無事な日々を願わない人はいません。けれども、どんな穏やかな生活が続いたとしても命終えていかねばならないのが自然の摂理です。しかしながら、命終えて全て終わりではなく、生まれていく後の世があり、お念仏をご縁として再会出来る御浄土があるのです。その信仰を心の支えとして、素直に受け入れたならば、いつも亡き人が側に居て見守ってくださっていると感じ入れるのです。
同行二人(どうぎょうににん)という言葉があります。先に御浄土に往かれた方が、いつも影のごとくに寄り添って、「ひとりじゃない。そばにいるよ」と見守っていてくださるのです。
その御教えを心の支えにして共々にお念仏申して暮らしてまいりましょう。