和尚のひとりごと「安居」
8月はお盆の季節です。以前にもご紹介したようお盆は『仏説盂蘭盆経』に基づく行事であり、その中で神通力に勝れた仏弟子目連尊者は、餓鬼道に落ちて苦しむ母親を救う為に、釈尊の教示に基づいて安居を終えた僧たちに供養してその功徳により母親を救いました。この話にあやかって、悪趣に落ちたあらゆる生類やご先祖様を供養してその追福を祈るというのが古来より我が国に伝わるお盆の行事です。そしてその時期というのは旧暦7月15日とされています。これは僧が一カ所に定住して修行する「安居(あんご)」の修行が終わるのがこの時期だからであります。
「安居」は「夏安居(げあんご)」「夏行(げぎょう)」「夏籠(げごもり)」とも呼ばれ、雨季(雨の季節)や歳(年月)を意味する梵語のヴァールシカに由来します。インドの雨期には非常多くの雨が降り、川も氾濫し、地面が隠れるほどの水量となるのも決して稀ではありません。そのような時期に外を出歩くことで草木虫などを踏み、無用な殺生を行ってしまうのを避ける為に、釈尊によって定められたのがこの安居であると伝えられています。この安居は元来は陰暦4月16日からの三か月間、普段は遊行している僧侶たちが一カ所に集まり外出することなく過ごすというもので、伝承では釈尊自身は覚りを開かれてより20年ほどは年間を通して定住するということはなかったとされますが、やがて主に2カ所で安居を行うようになったとも言われています。
ちなみにこの安居の習慣は後世に至るまで厳格に守られていました。インドへの長い旅を成し遂げた玄奘三蔵も、旅の途中で安居の季節になると一カ所に留まる事を旨としていたと伝えられています。
また安居を行う場所は当初は自然の洞窟や木陰、雨をしのげる程度の庵などであったでしょうが、やがて有力な信者たちにより場所や施設が寄進されるようになりました。中でもよく知られたのが祇園精舎でありましょう。
当時の有力であったコーサラ国首都シュラーヴァスティー(舎衛城)に長者スダッタという者がいました。彼は孤独な身よりなき者たちに惜しみない施しを行った者(給孤独長者 ぎっこどくちょうじゃ)と称され、釈尊に帰依したのちに遊行僧が雨季(安居時)に逗留するための場所を提供しようと志しました。その為に選ばれた園林の所有者がジェータ(祇陀 ぎだ)太子であり、祇陀と園林を合わせて祇園と呼ばれています。またスダッタは土地獲得のためには土地に黄金を引き詰めるほどの出費も惜しまなかったというのは有名な話ですが、この祇園精舎の遺構には、現在も釈尊自身が説法した会堂などが残されています。
さて安居安居明けには僧侶たちは互いに安居中の行いが規則(律)に違えていなかったかを確認し、反省(懺悔)を行います。これを自恣(じし)と呼び、『盂蘭盆経』でも釈尊は自恣の僧たちに施すことを勧められました。また安居明けを祝って在家者による盛大な寄進が行われる習慣は、現在の南方仏教にも伝わっています。
このように長い安居が明けるこの時期は日本ではまさに夏まっさかり、まさに仏教における夏の一大イベントでありました。
ところで古い経典を紐解くと、釈尊が理想とされていたのは、定住と所有を避け、常に遊行(移動する事)を旨とする頭陀に徹する沙門の姿であります。それが現在普通に見られるように一カ所に大勢の僧侶が定住する在り方に変わっていったのも、この安居の習慣が定常化した事に始まり、またそれは常に衣食住を寄進してくれる在家者の存在に支えられていたことは忘れてならないでしょう。