和尚のひとりごとNo690「称え続けてわかること」

 日本のプロ野球界のみならずアメリカメジャーリーグで活躍されたイチロー選手(鈴木一朗)。四十五歳で引退するまで、目を見張る大活躍でありました。イチロー選手のことを、「生まれ持っての天才」という人もいます。もちろん恵まれた身体能力は有るかもしれませんが、それでも毎日毎日、人の二倍、三倍と練習されていた結果です。ダラダラと怠けて過ごしていては決して良い結果を残せません。イチロー選手はインタビューの中で、「努力せずに何か出来るようになる人のことを『天才』と言うのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何か出来るようになる人のことを『天才』と言うのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力をせずに打てるんだと思うならそれは間違いです。」と答えられております。やはり人の何倍も努力、精進され続けた結果でありましょう。20121kugatu
 浄土宗の御教えは、ただひたすらに「南無阿弥陀佛」とお念仏を称えて日々続けて頂くことです。「日課称名(にっかしょうみょう)」と言って毎日何百遍と「南無阿弥陀佛」と称え続けることを勧めています。称え続けて頂く手助けとして念珠(お数珠)があります。法然上人は、「念珠を博士(はかせ)にて舌と手とを動かすなり。」と申されました。博士(はかせ)とはリズムよく、自分のペースでという事です。自分のペースで、時には他の人とリズムを合わせて念珠を頼りに口で、「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」とお称えし、手で念珠を繰り、お念仏を申し続けるのです。法然上人は、「世間の歌を歌い、舞を舞うすら、その拍子に随うなり。」と念珠を持つ理由として喩えてくださっております。歌を歌ったり、ダンスを踊る時でもリズミにのった方が歌い易く、踊り易いものです。ウォーキングされる時もリズムよく、自分に合ったペースで調子にのった方が前へ進み易いものです。お念仏もお称えし易い様に、また日々続け易いように、お念仏を申す助けとなるのがお数珠であります。
 毎日毎日となるとなかなか続け難いものと感じるかもしれません。お念珠を持っていても怠け心が起こってくるのは人間の性であります。しかし、「今日はお念仏申していないなぁ。」と思うということは未だそこに想いがあるという尊いことでもあります。「毎日何百遍も大変やなぁ。」「出来るかどうか自信がないなぁ。」と思われるかもしれません。しかし私が申すお念仏ではなく、阿弥陀様が申させてくださる、阿弥陀様が申す私に育てて下さるのだと、阿弥陀様にウェイトをおいてみてください。自分に重きを置くと、「ちょっと無理やなぁ。」「難しそうやなぁ。」という気持ちになってしまいます。私が申すのではなく申させてくださる私に、阿弥陀様がしてくださるのだとお受け取り頂き、日々お念仏申して過ごして参りましょう