和尚のひとりごとNo149「寒さ越え 山笑うころ 春彼岸」
春山の草木が一斉に芽吹き出し、山全体が明るく感じられる様になり始めました。春になるとどことなく山が笑っている。そんな様子を感じると気分も明るくなり、心が浮き立つ心持ちになります。木々が芽吹いてくると、虫や動物たちもゾロゾロと動き出し始めます。野山が益々賑やかになり、あちらこちらから鳥たちの鳴き声も聞こえて参ります。
山鳥のホロホロと鳴く声聞けば 父かとぞ思う 母かとぞ思う(行基菩薩)
山鳥がホロホロと鳴く声を聞いた時、もしかするとその山鳥の声は遠く離れている父が呼ぶ声か、或いは母が呼ぶ声か。その様に遠く離れた人に想いを寄せていただくと、何とも言えない懐かしい気持ちになるものです。この歌を詠まれたとされている行基菩薩は奈良時代に活躍された僧侶で、近畿地方を中心に貧民救済や治水、架橋など社会事業、社会福祉事業を熱心に行いました。今でも行基菩薩が造ったとされる溜め池や橋、お堀などが各地に遺っており、今日でもその場所に住む人々の生活には必要不可欠なものとなっております。
大阪市東住吉区に「行基大橋」という行基菩薩が造ったとされる橋があります。大和川を渡る国道26号線上の四車線ある立派な橋です。しかし行基菩薩が架けたという史実はなく、そもそも現在の道が出来たのは江戸時代中期以降で行基菩薩の居られた時代には道すら無かったとされております。昭和になってから最寄りのバス停は「矢田行基大橋」と名付けられ、近くの郵便局は「東住吉行基橋局」と、近年になってから行基菩薩を偲ぶ地名が付けられているそうです。地元には「行基菩薩安住之地」という石碑があり、また古くは「行基池」という溜め池があった為、近辺に行基菩薩の地名をこぞって付けたと言われています。何はともあれ、行基菩薩の弟子や孫弟子の働きが行基菩薩の功績に転じたのでしょう。橋が無ければ向こう岸へは渡れない。何とかして向こう岸に渡りたい。その地域に住む人々の願いを適えるべく立派な橋を架けられた。そこには菩薩と尊称されるお方の慈悲の心があり、何の見返りも利権も求めない、ひたむきに尽力された姿が伺われます。
今住む世界を「此岸(しがん)」と言い、仏様の在します世界を「彼岸(ひがん)」と頂戴します。亡き人の居られる彼岸に往くには、その国土を創られた阿弥陀様の名前を呼ぶだけです。南無阿弥陀佛とお念仏を申し、阿弥陀様の御力、他力によって向こう岸へ渡らせていただけるのであります。この世で縁あった方とまた会える、今は向こう岸から見てくださっている。その想いを春に鳴く山鳥に馳せ、日々共々にお念仏申して過ごして参りましょう。