No963「地蔵十王経」

Q. 五七日目に閻魔大王の審判が下り、行き先が決定されるのですか?

※最近私は友人宅の五七日に参加した折、葬家の家族にそう伝えてみんなで閻魔大王に極楽往生の陳情を行いました。

A.  人は亡くなってから49日間の間に次の新たな生命を受けると考えられています。これを中陰(中有)と呼んでいます。この言葉の意味は、次の生命に至るまでの中間の生存(プロセス)という意味です。そして生前の行いや思いは人それぞれ異なります。従いまして人によっては49日間を待たずに次の生命を得る方もいれば、最後の49日目までこの世界に残っている人もいると考えられます。この期間に香を絶やさぬように言われてきたのは、肉体は持たずともよい香りを楽しむことが出来ると考えるからです
さて私たちになじみ深いお話では、閻魔大王(えんまだいおう)が生前の行いを審判し、その結果で往き先が決まるというものです。詳しくはこのように伝えられています。
まず最初の七日間(初七日 しょなのか)には、不動明王が生前の殺生の行いを調べます。
次の二七日(ふたなのか)には、釈迦如来が生前の盗みの行為について調べます。
続く三七日(みなのか)には、文殊菩薩が生前の不貞について調べます。
四七日(よなのか)には、普賢菩薩が生前についた嘘について調べます。
そして五七日(ごしちにち)には、閻魔大王(もしくは地蔵菩薩)が生前の罪状全般を調べます。
六七日(むなのか)には、弥勒菩薩が生まれ変わりの条件を吟味し、最後の七七日(しちしちにち)に、薬師如来が六つの世界(六道)の中から往き先を選び、晴れて次の生まれ変わりが決まるというものです。
この考え方は仏教の中陰の考え方と中国の道教が習合したもので、さらに鎌倉時代に成立した『地蔵十王経』に至るとなじみ深い三途の川や奪衣婆の登場を見ることにもなります。
ただしこれらを経験して生還した人はおりませんし、生まれ変わると全て忘れてしまうと言われています。自信をもって死後にこれらの審判を受けるのだと断言できる方はいらっしゃらないでしょう。
このような考え方が広く流布した背景には、次の生命を得るにあたっては、それまでの人生での行いを全て清算して新たなスタートを切る準備期間が必要だと考えられたからではないでしょうか。また人は生きていく上で誰もが善い行いだけではなく時には後ろめたい行いをしたり、心に思ったりするものです。それをあとから後悔するよりは、生前から善き行いを心掛けて心の安心を得ていたい、そのような願いが込められているのかも知れません。


 さて私たち浄土宗の教えでは、直接的に死後どうなるのかについてはあまり問題にはしません。それは生前のお念仏によって臨終を迎えた時には必ず仏と聖衆の来迎があり、極楽へと迎え取られてゆくと考えるからです。先立たれた方の後生を良き方向へと導くこと、追善の回向で故人の冥福を祈ることは誠に尊いことです。しかしながらお念仏による往生を願う皆さまは、是非とも平生のお念仏の生活の中で心の安心を得て頂きたいと考えます。

※あくまでも「和尚のひとりごと」の見解です。