偈文

和尚のひとりごと「伝道掲示板256」

出棺偈

如来本誓(にょらいほんぜい) 一毫無謬(いちごうむびゅう)

願仏決定(がんぶつけつじょう) 引接精霊(いんじょうしょうれい)

源信僧都『往生要集』中の臨終行儀では、「我を引摂し給え」としていると言う。
迎接式(こうしょうしき 出棺式)に際に唱える。

(意味)
弥陀が誓われた誓願に一切の誤りはない
どうか必ず亡者を浄土へ迎えて頂きますように

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板247」

聞名得益偈

(書き下し文)
その仏の本願の力、名を聞きて往生せんと欲すれば
皆悉くかの国に到って、自おのずから不退転に致る

(意味)
彼の仏の本願の力によりて
その名号を聞き、往生するぞと願うならば
皆必ず彼の国に到り、自ずと不退転の位の菩薩となる

在家者の追善のための回向文として、日常的に唱えられる偈文。
出典は『無量寿経』の「東方偈」より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板246」

降魔偈

(書き下し文)
門々不同にして八万四なるは、無明と果と業因とを減ぜんがためなり
利剣はすなはちこれ弥陀の号なり、一声称念すれば罪みな除こる

(意味)
法門が各々異なり実に八万四千にもおよぶのは
衆生の無明(おろかさ)と業の結果とその原因とを除き滅せんが為である
切れ味鋭い剣とは、これ阿弥陀如来の名号に他ならない
ひとたび称すれば、罪障すべて除かれるからである

新亡の霊に対する回向文(精霊回向文)、また「利剣名号の文」とも呼び百万遍念仏を修する際に摂益文の代わりにこの偈を称える。
枕経・通夜・迎接式・荼毘式・収骨式など、在家の葬儀式の際の回向文として用いられている。
善導大師『般舟讃』より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板245」

還相回向偈

(書き下し文)
誓ひて弥陀の安養界に到り、穢国に還来して人天を度せん
願はくはわが慈悲際限なくして、長時長劫に慈恩を報ぜん

(意味)
私たちは阿弥陀如来のおわします極楽世界に到って、
さらにのちにはこの娑婆世界に戻り還って苦悩に沈む人々を覚りの彼岸にまで渡すことを誓います
私の慈悲の心が果てしなく、未来永劫にわたり仏の慈悲心へのご恩に酬いられることを願います

能化(僧侶)の回向の際に唱える。
遷化した能化が、往生ののち、苦しむ衆生を救わんと再び此土に帰り来たることを念じる。
一切衆生の済度を志す菩薩のあるべき姿を表現する。
善導大師『法事讃』より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板244」

心浄偈

(書き下し文)
世界に処すること虚空の如く、蓮華の水に著せざるが如し
心の清浄なること彼に超えたり。稽首して無上尊を礼したてまつる

(意味)
釈尊はまるで果てなき虚空のようにこの世界におわし
蓮華のはなが泥水に触れずに咲くように浄らかである
その御心が清浄なること、この蓮華を遥かに凌駕している
こうべを深く垂れて、この上なき尊き人に礼拝致します

現在は僧侶に対する回向文(能化回向文)として用いられるが、元来は釈尊に対する回向文(釈迦回向文)であった。
他宗では食作法の際や授戒の際に唱えられるという。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板243」

自信偈

(書き下し文)
みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難(かた)きがなかに転(うた)たまた難し
大悲を伝えてあまねく化するは、まことに仏恩(ぶっとん)を報ずるに成る

(意味)
自ら信じ、かつ他をして信じさせること
これは困難ある中にもまた輪をかけて難しいことである
仏の大いなる慈悲の心を、あまねく全ての人々に伝えることは
誠に仏の大恩に報いることに他ならない

また念仏者の心構えを端的に示した文。
列祖の回向に唱える偈文として用いられることから、御忌会など列祖の法要、また説教・法話・講演会など教えを伝える場面において、最初に「開経偈」を唱え、終わりにこの偈文を称える慣わしである。
善導大師『往生礼讃』初夜礼讃偈より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板242」

讃仏偈

(書き下し文)
仏の諸々の功徳を讃えるに 分別心ある事なく
よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ

(意味)
仏の優れた特質を讃えるに
そこには分け隔てする心はなく
速やかに功徳の大いなる宝の海を満たして下さいます

仏の功徳を讃える回向文で、開眼式・撥遣式・浄焚式・晋山式などで用いられる。
元は世親菩薩の『往生論』から。善導大師『観経疏』、同じく『往生礼讃』にも出る。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板241」

敬礼偈

(書き下し文)
天人大覚尊を敬礼す。
恒沙の福智皆円満し 因縁果正覚を成ず。
住寿凝然として去来なし

(意味)
天人にも譬えられる大いなる正覚を得た尊き師に敬って礼拝致します。
ガンジス川の砂粒の数と同様にはかり知れない仏の福徳と智慧は円かに完成され
修行の結果としての覚りを成就され
その寿(いのち)は常に留まり、決して去ってしまうことはない


別名「釈迦回向文」。
釈尊に対する回向文で、釈尊が安置される際に唱えられている。
『大乗本生心地観経』より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板240」

本誓偈

(意味)
阿弥陀仏がかつて立てられた誓願は
極楽世界へ開かれた最も肝要なる門(入口)である
心が定まり禅定の境地にあって行う善き行い、そして反対に散乱した日常心にて修める修行なども
ともに同じく極楽往生に向けて回向し(振り向けて)
速やかにもはや再生することのない境地(覚りの境地)を得よう

弥陀仏に対する回向で唱えられる回向文。
本誓とは本願に同じ。元の誓願(ちかい)という意味で、法蔵菩薩と呼ばれた正覚前の修行時代の阿弥陀如来が、かつて衆生救済の為に立てた四十八の誓願を指す。
この偈文自体は善導大師『観経疏』玄義分の冒頭の十四行偈(発願帰敬偈)からの抜粋である。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板239」

献供偈

(意味)

この味わいと色味、香りを、ここに招いた御仏に供養致します。
そしてこの度、この食を施した者に、はかり知れないほどの功徳が届きますように。

仏前もしくは霊前にて御膳を供える際に唱えるもので、”波羅蜜(パーラミター)”は菩薩が実践すべき六つの徳目に含まれるは布施波羅蜜のこと。見返りを求めず惜しげなく施すことを意味する。
本来は浄土宗の食作法(正式な食前の作法)において唱えるべき偈文に「呪願偈(じゅがんげ)」があり、これはそこから転用されたもの。
「此食色香味しじきしきこうみ 上献十方仏じょうこんじっぽうぶつ 中奉諸賢聖ちゅうぶしょげんじょう 下及六道品げぎゅうろくどうほん 等施無差別とうせむしゃべつ 随感皆飽満ずいかんかいほうまん 令諸りょうしょ(今こん)施主得せしゅとく 無量波羅蜜むりょうはらみつ」『新学行要鈔』
これによればこの食によって諸仏から六道輪廻の有情を含む全てに施さんと志すが、ここでは今この道場に奉請した仏に対する供養という形をとっている。
また特定の施主がいるときは”令今施主得”、特定の施主が決まっていないときは”令今諸施主得”とする。

合掌