伝道掲示板
和尚のひとりごと「伝道掲示板529」
世尊カッサパは言った。
”生き物を殺すこと、殴る、切る、縛る、盗む、嘘をつく
裏切る、騙す、益のない学問を学ぶ、他人の妻と通ずること
これらが生ぐさである。肉を食するのが生ぐさなのではない。
欲しいものがあるといても立ってもおられず、美味に目がなく
汚らわしき生活を交え、行為の報いなどないと豪語し
平静さを失って、なおかつ頑迷なる人々
これらが生ぐさである。肉を食するのが生ぐさなのではない。
自暴自棄であり、残酷であり、人前ではへつらいを見せ
陰では悪口を言う
友を裏切り、無慈悲で傲慢であり、けちで他に与えぬ人々
これらが生ぐさである。肉を食するのが生ぐさなのではない。”
『スッタニパータ』より
和尚のひとりごと「伝道掲示板528」
”どこにあろうとも、汝に恐怖が起こったならば
身に戦慄が走ったならば、身の毛もよだつ思いをしたならば
我を憶念せよ
釈迦族より出た尊き師は敬われるべき人であり
完全なる悟りを開いた人であり
ブッダとなられた人であると
そうすれば恐怖が起ころうとも
戦慄が走ろうとも、身の毛もよだつ思いが過ぎろうとも
それらは取り除かれるであろう。
もし我を憶念できないならば
法を憶念せよ
法は師によりて善く説かれしものであるから
もし法も憶念できないならば
尊き修行者たちの集いを憶念せよ
もし汝が「僧」を憶念するならば
恐怖が起ころうとも
戦慄が走ろうとも、身の毛もよだつ思いが過ぎろうとも
それらは取り除かれるであろう。”
『相応部経典』帝釈相応より
和尚のひとりごと「伝道掲示板526」
”自己を抑制して悪を作さず、若き時分も中年になっても、聖者は自己を抑制することに変わりない。
彼は他に悩まされることはない。
諸々の賢者たちは、彼こそが聖者であると知っている。
他者から施されたものによって生活し、器の上部、真ん中、また下に残った食物のいずれを得ても
施した者を褒めず、貶めず、罵らない。
諸々の賢者たちは、彼こそが聖者であると知っている。
淫欲を断ち、いかなるうら若き妙齢の女性にも心惹かれず
傲り、怠りを離れて、束縛より脱している者
諸々の賢者たちは、彼こそが聖者であると知っている。
この世の中を理解して、最上の真理を見て、激流を超えて大海原を渡りきったかくの如き人
束縛を破り、依存を離れ、煩悩の汚れなき人
諸々の賢者たちは、彼こそが聖者であると知っている。”
『スッタニパータ』より
和尚のひとりごと「伝道掲示板525」
”あらゆるものに打ち勝って、すべてを知り尽くし、かくも聡明であり
すべての事物の汚れとは無縁であり、すべてを捨て、愛執を滅ぼして解脱を成し遂げた人
諸々の賢者たちは、彼こそが聖者であると知っている。
智慧の力を備えて、戒めと誓いを守り、心の統一により禅定の楽しんで
落ち着いた心で注意深く、執着とは無縁であり、荒ぶることもなく、煩悩の汚れを離れた人
諸々の賢者たちは、彼こそが聖者であると知っている。
ただ独り歩み、怠ることなく、毀誉褒貶に心動かされず
まるで物音に動じない獅子の如く、また網にはかからぬ風の如く
そして泥水に汚されぬ蓮の花の如くに
他に導かれることなく、他を導く、そのような人
諸々の賢者たちは、彼こそが聖者であると知っている。”
『スッタニパータ』より
和尚のひとりごと「伝道掲示板524」
”執着がなく、既に覚っており、疑いを持たず、不死の境地に達した者
私はこのような人をこそバラモンと呼ぶ。
いまここにおいて、功徳や、罪や、執着の対象を克服し
悲しまず、愛着しない、浄らかな人
私はこのような人をこそ真のバラモンと呼ぶ。
曇りなき月のように、汚れなく、清く、澄み渡り、濁りなく
快楽もなく、再び生まれ変わることのない人
私はこのような人をこそ真のバラモンと呼ぶ。
前を遮る障碍、険しき道、迷いの生死輪廻の洪水を乗り越えて完成し
瞑想に励み、何事にも心かき乱されることなく、思い煩いなく
穏やかなる人
私はこのような人をこそ真のバラモンと呼ぶ。
この世界に存する欲望の対象、それらをすべて切り捨てて
どこにも住まいを持たずに行脚し
欲望によって再び生まれ変わることのない人
私はこのような人をこそ真のバラモンと呼ぶ。
この世界に存する渇望、それらをすべて切り捨てて
どこにも住まいを持たずに行脚し
渇望によって再び生まれ変わることのない人
私はこのような人をこそ真のバラモンと呼ぶ。
人の世において私たちを縛り付けておくもの
天界にあって神々を縛り付けるもの
それら一切の束縛を乗り越えて解放された者
私はこのような人をこそ真のバラモンと呼ぶ。
快も不快も共に切り捨て、浄らかに涼やかに
煩悩の炎に焼かれることなく、所有するものに執着せず
世界中で最も優れた勇者
私はこのような人をこそ真のバラモンと呼ぶ。”
『スッタニパータ』より