No794伝道掲示板520」 2021年12月14日 和尚のひとりごと「伝道掲示板520」 ”生き物を害することなかれ害させることなかれ他人が害するのを容認するなこの世界に存在する動じない強き者どももまた動揺している弱き者どものあらゆる生き物に暴力を振るってはならぬ また私の教えるところを信ずる者はどんなものであっても、何処にあってもそうと知りながら与えられていないものは手に取るなまた他人が与えられていないものを手に取るのを容認するな盗みの行為はあらゆるものについて許されない”『スッタニパータ』より
No793「伝道掲示板519」 2021年12月13日 和尚のひとりごと「伝道掲示板519」 ”多くを語るから賢いのではない。穏やかに、敵意なく、恐れを克服した人彼こそが賢者なのである。 多くを語るから法を実践する者なのではない。たとえ少しでも教えを聞き真理を見、おろそかにしない人彼こそが道を実践する者なのである。 頭髪が白くなったから長老となるのではない。ただ歳を重ねた者は虚しく年老いた者に過ぎない。”『ダンマパダ』より
No792「伝道掲示板518」 2021年12月12日 和尚のひとりごと「伝道掲示板518」 ”全て生きとし生ける者たちは暴力に怯えている。全ての生類は死を恐れている。我が身に引き比べて殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 全ての生きとし生ける者たちにとって己が生命ほど愛おしいものはない。我が身に引き比べて殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 全ての生きとし生ける者たちは安らぎを求める。もし暴力によりて生き物に危害を加えるならばその者は己の安らぎを求めていても、死後に安らぎを得ることはない。”『ダンマパダ』より
No791「伝道掲示板517」 2021年12月11日 和尚のひとりごと「伝道掲示板517」 ”諸々の欲望の充足によって得られる楽しみがある。かたや諸々の欲望の対象から離れることによって感ずる苦痛がある。もしこれが欲望の対象から得られる楽しみであるとすれば欲望から離れることによる苦痛の方が優っている。 真(まこと)ならざるの道に従って生きて長命を全うすることもあれば真の教(のり)に従って生命絶たれることもある。もし真(まこと)ならざるの道に従って生命長らえるならば真に適った道を歩む上での死の方が優っている。”『長老偈』ゴーダッタ長老の言葉より
No789「伝道掲示板516」 2021年12月9日 和尚のひとりごと「伝道掲示板516」 ”我は愚者であるそのように知るならば彼は既に賢者である。愚者でありながら自らを賢者であると思いなす者これこそ真の愚者である。”『ウダーナヴァルガ』より
No788「伝道掲示板515」 2021年12月8日 和尚のひとりごと「伝道掲示板515」 私は見た。教えを保つ在俗の信者たちが”全て種々なる欲望は、その対象たるや儚いものに過ぎない”と語るのを。彼らは未だ諸々の宝珠や耳飾り、そして妻子に対する期待を抱いている。彼らは物事の理を知らないが故に、貪りや欲望を断ち切る力はなくたとえ上のように語ろうとも、妻子や財に依存する者たちである。『長老偈』イシディンナ長老の言葉より
No787「伝道掲示板514」 2021年12月7日 和尚のひとりごと「伝道掲示板514」 同情をしめす愚かな友よりも賢き敵の方がましだ。同情をしめす愚者は私を地獄へと引きずり込むものなのだから。『ウダーナヴァルガ』より<
No786「伝道掲示板513」 2021年12月6日 和尚のひとりごと「伝道掲示板513」 悪魔波旬(パービマン)が釈迦に言った。”子を持つ者は我が子について喜び牛を持つ者は我が牛について喜ぶ。このように人は自ら所有するものについて喜ぶ。所有するものがない人には喜びがない。” 師は答えた。”子を持つ者は我が子について憂い牛を持つ者は我が牛について憂う。実に所有という執着のみなもとがない人は憂うことがない。”『スッタニパータ』より
No785「伝道掲示板512」 2021年12月5日 和尚のひとりごと「伝道掲示板512」 ”ここに四人の人がいて東西南北の四方に矢を放ったとする。そしてその矢が地上に落ちる前に駆けて行ってその矢を受けることの出来る者はまことに足の速い者であろう。 しかし比丘らよこれよりももっともっと速いものがある。それは人の寿命の移り行く速さである。だからこそ常に怠らず勤めなさい。”『相応部経典』譬喩相応より
No784「伝道掲示板511」 2021年12月4日 和尚のひとりごと「伝道掲示板511」 ”いくら他者から称賛されても彼自身が自己を定められていないならば他者の称賛は実に虚しいものである。何故かと言えば、彼自身が未だ自己を定められていないのだから。 また他者よりいくら非難されても彼自身の心がよく定められているならばそれら他者の非難は実に虚しいものである。何故かと言えば、彼自身が既によく自己を定め心を安立させているのだから。”『長老偈』シリマント長老の言葉より