伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板401

sinriwomireba

”他の者たちを見よ
彼らは私たちがいずれは滅びゆく存在であることを認識しようとしない。
我々はその事を認識し自らを制する事ができる。
彼らも同様に認識するならば、諸々の確執は静まるであろうに。

彼らはこの道理を知らずにあたかも不死なる存在の如くに振る舞う。
彼らもこの道理を弁えるならば、病にあふれたこの世界にあって
病に犯されずにいることが出来ように。”
『長老偈』サビヤ長老の言葉より

かつて異教を奉じていた遍歴の行者サビヤは
王舎城は竹園精舎にて釈尊に見え
三宝に帰依し仏弟子となった。

和尚のひとりごと「伝道掲示板400

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”この世のまことの姿を見ずに
まことではない姿を見ようとするものは
ついに真実に達し得ない”

美しい遊女に心惹かれ
修行もままならない仏弟子がいたという。
その遊女が死んでしまったのち
死体が腐乱するのに任されたその姿を釈尊は弟子に見せた。
世界が無常であるとは、美しい姿もその様相を保ち得ない事を意味する。

和尚のひとりごと「伝道掲示板399

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常に心を落ち着かせて食を節制する者は
健康に長寿を保つ事ができる
『相応部経典』拘薩羅相応(コーサラ・サンユッタ)より

食事の際に忘れずにこの言葉を唱える事。
釈尊の教示に従ったコーサラ国王は節食を実現し健康なる生涯を全うしたという。

和尚のひとりごと「伝道掲示板398

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同じく”幸せ”について。

身を慎んで、清らかな行為を心掛け
貴き誠の教えを見る眼を養え
そして涅槃(やすらぎ)を体得せよ
これこそがこの上なき幸せである。

世俗の事柄に接したときも、心動揺せず
憂う事なく、汚されず、安らかであれ
これこそがこの上なき幸せである。

このように行えば、如何なる物に対しても敗れる事なく
あらゆる事柄に関して幸福を実現できる
このような者こそがこの上なき幸せに達する事ができる。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板397

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同じく”幸せ”について。

悪行を離れ 酒を慎み
徳のある行いをゆるがせにしない事
これこそがこの上なき幸せである。

尊敬の念を忘れず、自らは謙遜して
満足する事を心掛け、時をみて教えに耳を傾ける事
これこそがこの上なき幸せである。

耐え忍び、柔和な言葉を使い
道を歩む人を訪ね、、適切な時に教えを訊ねる事
これこそがこの上なき幸せである。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板396

yokumanabi

同じく”幸せ”について。

学識を深め
熟練し
生活を律することを学び
言葉がこよなき醇正なものであること
これこそがこの上なき幸せである。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板395

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もろもろの愚者に近寄らず
もろもろの賢者に親しむこと
敬うべき人々を敬うこと
これこそがこの上なき幸せである。
『スッタニパータ』より

サーヴァッティー市のジェータ林にあった「孤独な人々に食を給する長者」の園
祇園精舎にて釈尊の語った言葉である

和尚のひとりごと「伝道掲示板394

yokubou

”世の中の裕福な者たちを見よ。
迷いのさ中にある彼らは財をなしても施すことをしない。
貪りによって、より一層の財を求め、より一層欲の対象を追い求める。

王は他国を打ち負かして、土地を制し、海辺に達するまでも地を占領し
そればかりでは満足せず、さらに海の彼方までをも征服しようとする。”
『長老偈』ラッタパーラ長老の言葉より

ラッタパーラは良家のバラモン出身で釈尊のもとにて出家
阿羅漢となったのち、実家を訪ねるが
比丘たちに対する恨みを持つ家人に罵倒されたのち
息子だと気づいた父親や元妻に還俗を懇願される。
その際に、出家のありようを詩句をもって示したという。

和尚のひとりごと「伝道掲示板393

waga

”師曰わく。
私は怒ることなく、心の頑なさを克服した。
マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。
我が小屋を覆っていたものは剝ぎ取られ、炎の如く貪り欲する心も消えてしまった。
天の神よ、もし望むなら、雨を降らせるがよい。

私の筏は組まれ、よく整えられており、既に私はその筏で激流を渡り終えた。
彼岸に達した私にはもはや筏は不要である。
さあ天の神よ、もし望むなら、雨を降らせるがよい。”
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板392

hitosiku

”人は生まれ(出自)によって卑しき人となるのではない。
生まれによってバラモン種となるのでもない。
ただその者の行為によって、卑しき人にもなり、バラモンにもなる。”
『スッタニパータ』より

釈尊はカーストの身分制度でいうところのシュードラやバラモンの事を言っているのではない。
卑しいこと、貴いことはその事とは次元を異にする問題である。
生きとし生ける者が等しく生老病死の苦悩を抱えていると喝破した釈尊が示された
平等観がここにも表現されている。