伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板381

kennjinn

”悪を為す人の特質とは何であるか?
罪の何たるかを知らず、止める事もせず
罪を行っている事を知らされるのを嫌がる事である。

では善を為す人の特質とは何であるか?
善と悪について知っており、もし悪だと分かれば即座に止め
罪を行っている事を知らされれば感謝する。

かくの如く、悪人と善人は異なっているのである。

愚かな人は、たとえ親切を示されても感謝する事をしない。
賢い人は、親切を示されれば感謝し、一切のものに対して感謝の念を絶やさない。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板380

ikiteiki

”バラモンよ
私には、全部で14頭いるはずの牛がいなくなり、とうとう六日目になってやっと見つかるといった悩みはない。
田に種を蒔いたが、育った菜種に満足がいかないとった悩みはない。
穀物の倉に鼠が入り、中身をすっかり食い尽くされたといった悩みはない。
放置された寝床に蚤や虱がわいて眠れないといった悩みはない。
七人娘が悉く連れ合いを亡くし、それぞれに息子たちがおり、将来を心配せねばならぬといった悩みはない。
妻が眠りの間に夫を足で蹴って寝付けないといった悩みはない。
早朝から借金取りに責め立てられる心配もない。
だからこそ私は幸せなのである。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板379

kakusya

悟りを開いた者の容色の
明るく朗らかなることを見よ。
彼は過去の悲しみを想い返すこともなく
未来に思い煩うこともなく
およそ今考えるべきことにのみ目を向けているのである。

愚かなる人々を見よ。まるで刈り取られた葦のように萎れている・
それは過去の悲しみを想い返すしては打ちひしがれ
未来に思い煩っているが故である。
『相応部経典』諸天相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板378

subetre

”さあ、比丘たちよ
汝らに告げよう。
全ての事象は留まることなく過ぎ去ってゆく。
怠ることなく勤め励みなさい”

最後の言葉を残して
クシナガラの地にて釈尊は入滅された。

和尚のひとりごと「伝道掲示板377

mokuteki

人が樹々の芯を求めて林に踏み入るとき
枝葉を得たのみで満足するならば
これは愚かと言うべきである。

そなたたちは生老病死の苦しみと
心の憂いや苦悩を離れんが為に道を求めている。
それにも関わらず、ほんの僅かな名誉を人々から得たのみで
他よりも自らが優れていると驕り、他を謗るのは
あたかも芯を求めて枝葉で満足している
愚か者の如くである。

和尚のひとりごと「伝道掲示板376

kawawo

ここに長い旅路を続ける人がいる。
彼の目前に河が現れ、道が阻まれたとしよう。
河の此岸は危険極まりない道であり、彼岸は安全に思える。
彼は筏によって向こう岸に無事渡り終えることができた。
そこで彼はこのように思案した。
「この筏のおかげで私は安全なこちら岸に渡り着くことができた。
この大層、役に立った筏を
これからも担ぎ持って行こう」と。

果たしてこの者は、筏に対して
為すべき行為を為しているであろうか?

目的が果たされたならば、もはやその筏は置いていくべきものであろう。
教えも同様である。
いかに勝れた教えであろうとも、所期の目的が果たされたならば執着せずに捨ておくべきものとなる。
ましてや悪しき教えについてはなおさらである。

和尚のひとりごと「伝道掲示板375

wagami

さて我々の身心はどうだろうか?
身も心も原因と条件によって出来上がっているものである。
従ってここには実体というものがない。
原因と条件によって成り立っているものであるから
常ならざるものであり、思いのままにならぬものである。
あたかも王が自ら統治する国において
願い通りに賞罰を与えることが出来るにも関わらず
願わないのに老い、何一つとしてわが身については思いのままにならぬが如くである。

自らの心を見よ。
善を為そうと欲してもままならず
悪を為さずと欲しても望み通りにはならない。

和尚のひとりごと「伝道掲示板374

hutono

”牛飼いを見よ。
彼らは秋の収穫期を迎えると、飼っている牛を小屋に閉じ込めてしまう。
それは収穫物を荒らされたり、牛が殺されてしまうのを避けるためである。

人の心も同様に
悪しき事から結果する禍を見て
自らの心を閉じ込めて
悪しき思いから遠ざかるようにせねばならない。
貪り、怒り、損なう心を打ち砕いて
それらのない心を育てなければならぬ。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板373

hihanennryou


解脱を成し遂げた如来は、死後どこへ再生するのでしょうか?
ヴァッチャの問いに対して釈尊が答えて仰った。

「火は何を原料として燃えているのであろうか?」
「それは燃料があるからこそ燃えているのです」
「それではその燃料が底を尽いたとき、
燃え盛る焔は一体どこへ行くのであろうか?」
「火はただ消えるのみで
どこかへ行ってしまうのではないのです」

如来の死後もかくの如くである。

和尚のひとりごと「伝道掲示板372

hihanennryou

解脱を成し遂げた如来は、死後どこへ再生するのでしょうか?
ヴァッチャの問いに対して釈尊が答えて仰った。

「火は何を原料として燃えているのであろうか?」
「それは燃料があるからこそ燃えているのです」
「それではその燃料が底を尽いたとき、
燃え盛る焔は一体どこへ行くのであろうか?」
「火はただ消えるのみで
どこかへ行ってしまうのではないのです」

如来の死後もかくの如くである。