伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板242」

讃仏偈

(書き下し文)
仏の諸々の功徳を讃えるに 分別心ある事なく
よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ

(意味)
仏の優れた特質を讃えるに
そこには分け隔てする心はなく
速やかに功徳の大いなる宝の海を満たして下さいます

仏の功徳を讃える回向文で、開眼式・撥遣式・浄焚式・晋山式などで用いられる。
元は世親菩薩の『往生論』から。善導大師『観経疏』、同じく『往生礼讃』にも出る。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板241」

敬礼偈

(書き下し文)
天人大覚尊を敬礼す。
恒沙の福智皆円満し 因縁果正覚を成ず。
住寿凝然として去来なし

(意味)
天人にも譬えられる大いなる正覚を得た尊き師に敬って礼拝致します。
ガンジス川の砂粒の数と同様にはかり知れない仏の福徳と智慧は円かに完成され
修行の結果としての覚りを成就され
その寿(いのち)は常に留まり、決して去ってしまうことはない


別名「釈迦回向文」。
釈尊に対する回向文で、釈尊が安置される際に唱えられている。
『大乗本生心地観経』より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板240」

本誓偈

(意味)
阿弥陀仏がかつて立てられた誓願は
極楽世界へ開かれた最も肝要なる門(入口)である
心が定まり禅定の境地にあって行う善き行い、そして反対に散乱した日常心にて修める修行なども
ともに同じく極楽往生に向けて回向し(振り向けて)
速やかにもはや再生することのない境地(覚りの境地)を得よう

弥陀仏に対する回向で唱えられる回向文。
本誓とは本願に同じ。元の誓願(ちかい)という意味で、法蔵菩薩と呼ばれた正覚前の修行時代の阿弥陀如来が、かつて衆生救済の為に立てた四十八の誓願を指す。
この偈文自体は善導大師『観経疏』玄義分の冒頭の十四行偈(発願帰敬偈)からの抜粋である。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板239」

献供偈

(意味)

この味わいと色味、香りを、ここに招いた御仏に供養致します。
そしてこの度、この食を施した者に、はかり知れないほどの功徳が届きますように。

仏前もしくは霊前にて御膳を供える際に唱えるもので、”波羅蜜(パーラミター)”は菩薩が実践すべき六つの徳目に含まれるは布施波羅蜜のこと。見返りを求めず惜しげなく施すことを意味する。
本来は浄土宗の食作法(正式な食前の作法)において唱えるべき偈文に「呪願偈(じゅがんげ)」があり、これはそこから転用されたもの。
「此食色香味しじきしきこうみ 上献十方仏じょうこんじっぽうぶつ 中奉諸賢聖ちゅうぶしょげんじょう 下及六道品げぎゅうろくどうほん 等施無差別とうせむしゃべつ 随感皆飽満ずいかんかいほうまん 令諸りょうしょ(今こん)施主得せしゅとく 無量波羅蜜むりょうはらみつ」『新学行要鈔』
これによればこの食によって諸仏から六道輪廻の有情を含む全てに施さんと志すが、ここでは今この道場に奉請した仏に対する供養という形をとっている。
また特定の施主がいるときは”令今施主得”、特定の施主が決まっていないときは”令今諸施主得”とする。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板238」

歎仏偈

(意味)

御仏の妙なる御姿は、この世に同様のものなど存在しない程です。
他と比べるなど思いもよらないことです。
それ故にまさに今、私は仏を敬い礼拝致します。
如来のおすがたは尽きることなく永遠に続き、その智慧もまた然りです。
そして説かれた教えは永遠の真理です。それ故にまさに今、私は仏に帰依致します。

聖徳太子も注釈を著わした『勝鬘経(しょうまんぎょう)』は詳しくは『勝鬘師子吼一乗大方便広経』。一乗真実と如来蔵を説く代表的な中期大乗経典で、在家信者によって法が説かれる点に特色がある。仏を讃歎すること止まないこの偈文は、本来釈迦如来を讃えたものであった。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板237」

広開偈

(書き下し文)
十方証誠諸仏よ、六神通をもって私を照鑑したまえ。今二尊の教えに乗じて、広く浄土門を開かん

(意味)
十方のあらゆる方角におわします仏たちよ
六種の神通力をもって私をご覧ください
今わたくしは釈迦仏・弥陀仏の尊ぶべき仏の示した教えに従って
ここに広く浄土の御教えを開示しようと思います

善導大師『観経疏』玄義分より
善導大師が『観経』に明かされている凡夫往生の教えを説き示さんとするにあたり記した一文。
唐朝三代皇帝高宗の発願で建造された中国仏教史上に名高い龍門石窟の検校僧に抜擢された善導大師
その龍門石窟からはこの一節を含む十四行偈(『観経疏』の序文)の刻文が発見されているという。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板236」

鳴鐘偈

『四分律行事鈔資持記(しぶりつぎょうじしょうしじき)』から。
南山律師と呼ばれた律の大家 道宣律師によって著わされた『四分律』に対する注釈をさらに釈した元照の作。

そしてこの『鳴鐘偈(めいしょうげ)』は、法要の為に本堂も荘厳され、導師をはじめとする役僧たちの準備がすっかり整ったのち、喚鐘(かんしょう)の音とともに唱えられる。

“願わくは諸々の聖者(しょうじゃ)と賢者がこの道場に入り来たり
また同時に諸々の悪しき境涯で苦しむ者どもが、その苦悩から逃れられるように…”

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板235」

 法鼓文

まさにこの音をもって、全ての世間の衆生を覚らしめ
はかり知れないほど存在する全ての世界を
光明が遍く照らさんことを

“法鼓(ほうこ)”とは太鼓のこと。その音の勇壮たる響きは、仏の説法を戦闘での進軍にたとえたもの、あるいはその説法が我々を迷いの泥から救い上げ、目覚めさせようとする様を表しているといわれる。
いよいよ勤行の開始を迎えるとき、大衆はこれを聞いて集まり、威儀を整え、座次を定めて、式次第などを確認する。

和尚のひとりごと「伝道掲示板234」

警覚偈

敬白大衆 生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸

うやまってだいしゅうにもうす
しょうじじだいむじょうじんそくおのおのよろしくせいかくすべし
つつしんでほういつなることなかれ

大衆に生死が一大事である。
それにも関わらずこの世が無常であり一刻も猶予なき事を知らせ、
各々がよく目を覚まして、放逸なる生活を戒めようとする文。
早朝、大衆の覚醒を促すのはこの偈文とそれに続いて打ち鳴らされる版木(ばんぎ)の音である。

禅宗では六祖慧能禅師の残した言葉として伝えられている。
生死事大(しょうじじだい)
無常迅速(むじょうじんそく)
各宜覚醒(かくぎかくせい)
慎勿放逸(しんもつほういつ)
                                                                                    〔六祖壇経〕

和尚のひとりごと「伝道掲示板233」

 洪鐘偈

(意味)
願わくはこの鐘の音が全世界に響きわたり、鉄囲山に取り囲まれた迷いの世界の全ての衆生がそれを耳にして、三悪道の苦しみから離れて、極楽浄土に生を受け、かの地で悟りの境地へと到達できますように

鉄囲とは鉄囲山(てっちせん)のこと。『倶舎論』によれば我々の住む世界の中心にそびえたつ須弥山(しゅみせん)を取り囲むようにして九山八海(くせんはっかい 九つの山脈と八つの大海)があり、その中で最も外側にある鉄の山のこと。鉄囲山に囲まれた世界という意味で、我々の住む世界を表している。
幽暗は煩悩に曇らされ迷いの暗中にある凡夫のあり様を示す。
三途は地獄道、餓鬼道、畜生道と呼ばれる三つの悪しき境涯(三悪道)を指す。
安養は西方極楽浄土のこと。「極楽」の異訳として康僧鎧訳『無量寿経』には「安養仏」や「安養国」という表現がある。

鐘(お寺の梵鐘)を打つ前に十方世界の衆生に法要の始まりを告げること、あるいは日常における時刻の合図として用いられ、この偈文は「鐘を打つ時唱念すべき文」(『諸回向宝鑑』)とされている。

合掌