雑記
和尚のひとりごとNo150「快慶」
今回は快慶についてです。
快慶と言えば、和尚のひとりごとNo123「運慶」ともに東大寺南大門の仁王像の製作者として一度は、耳にしたことがあると思いますが、その生涯はしられておらず、生没年すら不明です。
運慶の父親である仏師康慶(こうけい)の弟子(運慶とは兄弟弟子)ですが、いくつの時から弟子入りしたのかは、わかっておりませんが、1189年ごろには仏師として活動されていたようです。近年、見つかった資料により、1227年8月以前に亡くなっていることが分かっているぐらいです。
快慶は浄土教の熱心に信仰し、東大寺復興の責任者であった重源(ちょうげん)の教えをうけ、重源より「アン阿弥陀佛(アンは梵字です)」の名前を授かり、以後自分の携わった仏像には、「アン阿弥陀佛」の銘を彫っています。
重源は、阿弥陀様さまを深く信仰し、自らを「南無阿弥陀佛」と称し、自分の教えを受けたものに「〇阿弥陀佛」という名(阿弥陀佛号)を送っていました。
快慶は多くの阿弥陀如来像を製作し、90cm前後の大きさで、端正な表情 穏やかな着衣形式 精緻な文様 来迎印(阿弥陀さまが往生人を迎えるときに両手で結んでいる印)を結んでいる立ち姿で、「アン阿弥陀佛」号にちなんで「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれました。
「安阿弥様」の様式は後世(私たち見かける多くの阿弥陀如来像のお姿)に大きな影響を与えたといわれています。
和尚のひとりごとNo147「六物」
お寺さん(お寺の住職)のお葬儀は、お寺の本堂でされますがその設え(しつらえ)(本堂の飾りつけのこと)は一般の方とほとんど変わりませんが、棺前には、六物(ろくもつ) 法衣(ほうえ) 数珠(じゅず) 錫杖(しゃくじょう) 三部経(さんぶきょう) 伝書(でんしょ) 血脈譜(けつみゃくふ)が備えられていました。
六物とは、僧侶が常に持つべき六種類の生活必需品のことです。
僧伽梨(そうぎゃり) 鬱多羅僧(うったらそう) 安陀会(あんだえ)というお袈裟と鉢(托鉢の時に持っている鉢です)、座具(座る時に下に敷く敷物)、漉水囊(ろくすいのう)(飲み水を漉すための袋で、飲むときに水中の虫を殺さないためのもの)です。
法衣は僧侶が着ている衣です。
三部経は、浄土宗の教えの根本となるお経 無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経の三部です。
伝書とは、僧侶が宗派の教えを師匠から伝えられ、弟子に伝える時に使われる書物のことです。
血脈譜(写真では巻物にあたります)とは、お釈迦様の教えが師から弟子に途絶えることなく受け継がれていくことを身体の血管が途切れることなく連なっていくさまを血脈にたとえ、その系図のことです。
備えられている血脈譜の最後には往生された住職の名前が記され、教えを受け継いでいることを表しています。
僧侶の葬儀に参列する事はあまりないかもしれませんが、参列された時の参考にして頂きたいと思います。
和尚のひとりごとNo143「運慶」
私たちが、お寺で合掌させて頂いている仏さまのお像(仏像)を作製されている方を仏師と呼びます。仏師とは、あまり聞きなれないかと思いますが、歴史的に有名なのが、運慶 快慶です。このお二人の名前は、一度は聞いたことがあるかと思います。
今回は、運慶についてご紹介させて頂きます。
運慶は平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍されたかたです。
この頃の仏師は大きく三つのグループに分かれており、名前に「院」がつく「院派」、「円」がつく「円派」そして「慶」がつく「慶派」です。
院派 円派は京の都を中心に活動し、慶派は南都(奈良)を中心に活動していました。
運慶は「慶派」に属しています。
平安時代の仏像は衣文(えもん)(仏さまがまとっている衣)が浅く体が薄い仏像が主流でしたが、運慶は、肉厚で力強い姿で写実的なたくましい姿の仏像を造っていきました。有名なのが、東大寺南大門の金剛力士像です。
このお姿の仏像は、当時台頭してきた武士階級に支持され京の都だけでなく東国(鎌倉)にまでその活動範囲ひろげていきました。
法然上人と同じ時に活躍されていましたが、お二人がお会いしたことがあるかは、史料がないので不明ですが、法然上人は、運慶を高く評価されていたようです。
法然上人のご法語(法然上人の手紙や言葉を集めたもの)の第二十にその名前をみることができます。
第二十 難修観法
近来の行人、観法を、なす事なかれ。
仏像を観ずとも、運慶快慶が、作りたる、佛程だにも、観じ顕すべからず。
極楽の荘厳を、観ずとも桜梅桃李の、花菓程も、感じあらわさん事、かたかるべし。
彼の佛今現に世に在して成仏し給へり。
まさに知るべし、本誓の重願虚しからざる事を。
衆生称念すれば、必ず往生を得の、釈を信じて 深く、本願を頼みて、一向名号を唱ふべし。名号を唱ふれば、三心自ずから具足する也。 『 勅伝 第二十一 』
「口語訳」
近頃の修行者は瞑想にふける観方を修行しなくてもよい。
たとえ仏の相好を観方したとしても、運慶や康慶という大仏師がつくり上げた仏像ほどに立派な姿を観じ現すことができない
極楽浄土の荘厳を観想したにしても、この世の桜、梅、桃、李の花や果実ほどに美しく観じ現すことは難しいであろう。
善導大師が「阿彌陀佛は現にとなって極楽浄土にまします。
このことによって四十八願のすべてが成就されていることを知るのである。
もし、人が念仏を唱えれば必ず極楽往生ができる」と説いている言葉を信じ、
心から本願を頼んで一向に念仏を唱えなければならない。
一向に念仏を唱えさえすれば、自然に三心が具わるのである。
和尚のひとりごとNo139「大仏」
心の旅 浄土宗8大総大本山巡りの旅にて、浄土宗高徳院の鎌倉の大仏さま、大本山鎌倉の光明寺に参拝してきました。
鎌倉の大仏さま、大きいですね、遠くからでも存在感があり引き付けられます。また中を拝見することができ貴重な体験をさせていただきました。
大仏さまは、鎌倉をはじめ、奈良の大仏さま、飛鳥の大仏さまと日本全国に大仏さまがたくさんいらっしゃいますが「大仏」というお名前の仏さまではありません。
鎌倉は、阿弥陀さま、奈良は毘盧遮那仏さま、飛鳥は、お釈迦さまです。
大仏というのは、「大きい仏像」のことです。
仏像は立像で一丈六尺(約4.85m)坐像は半分が基本の大きさで、これよりも大きい仏像を大仏といいます。
(この定義あてはまらない大仏さまもいらっしゃいます。)
一丈六尺の大きさは、仏さまが衆生(私たち)を助けるために、この世に現れるときの大きさだといわれています。(岩波仏教辞典より)
日本以外の国の大仏さまは、石仏が多く、インド スリランカから東南アジアにかけては、お釈迦さまと弥勒菩薩さまが多く、中国では、隋時代より前は、お釈迦さま、弥勒菩薩さま後からは、お釈迦さま 阿弥陀さまが多いようです。
皆さまも、大仏さまに参拝されてはいかがでしょうか。
和尚のひとりごとNo134「フィリピン記」
玉圓寺の随身、隆心です。先日、フィリピンのマニラに行く機会がありました。
あまり時間はありませんでしたが、マニラ大聖堂とサン・アグスチン教会を見学しました。
マニラ大聖堂は大司教座というマニラのカトリックキリスト教の本拠地だそうです。
中に入ると天井が高く広い空間で奥行きがありました。まわりを見ると柱にモニターとスピーカーがあり、司祭さんの話が聞こえるようになっていることに感心しました。また告解部屋もあり興味深かったです。
次はサン・アグスチン教会です。フィリピンで一番古い教会で、博物館も併設されています。
博物館はフィリピンでの布教の歴史にまつわる物がたくさん展示されており楽しめました。
教会に入り正面を見ると、十字架でもイエス・キリスト像でもなく見知らぬ人のお像がお祀りされていました。
フィリピンでのキリスト教の布教に貢献され、聖人に列せされてこの教会の名前の由来になった聖オーガスティン(アグスチン)という方だそうです。
後方には、地震で落ちた教会の鐘が展示されており、ガイドの方が、重さが、3.4トンもある大きな鐘と自慢げに説明されるので、「知恩院の鐘楼(しょうろう)は70トンもあってもっと大きいぞ」と心の中で叫んでしまい、後になって少し後悔しました。
また、教会の中には、納骨堂?のような所があり、火葬したお骨を納めることができるとのことで、土葬とばかり思っていたのでびっくりです。
興味深いフィリピンの旅でした。
和尚のひとりごと「浄土宗総大本山巡る旅第一回」
浄土宗大本山 金戒光明寺、百万遍知恩寺 団参日帰り心の旅
平成30年5月8日 曇り空のなか京都へ出発しました。
午前中に金戒光明寺さんに参拝、堂内を案内していただいた上人(お坊さん)のお話がおもしろく、「虎の間」では三匹の虎が描かれているふすま絵を開けると虎が二匹になるというお話も笑い声につつまれながら聞きました。
写真撮影が禁止だったのでお見せできないことが残念ですが、今回は貴重なお像も拝見させて頂きました。法然上人の涅槃像です。厨子(ずし)に入ったお像で普段は公開されていないそうです。私も初めて拝見しました。
金戒光明寺さんには、法然上人の手形(一枚起請文の原本には法然上人の手形が押されています)を写したものがあり、手をあわさせてもらい、法然上人の手が小さかったことに驚きました。案内の上人(お坊さん)のお話では、手形を押したときは、亡くなる少し前で、力強く押せなかったからからとのことでした。
昼食のあとに、百万遍知恩寺さんに参拝、知恩寺さんといえば、百万遍大念珠繰りです。
大殿(だいでん)にて百万遍大念珠の数珠繰りをしました。
大殿とは、法然上人をお祀りしているお堂で、御影堂(みえいどう)とも呼びます。
お話して頂いた知恩寺さんの上人(お坊さん)によると、百万遍の法然上人のお像が若く一番ハンサムな姿をされていますとのことでした。確かに、凛々しいお姿をされていました。
参加された檀信徒の皆さまもよい一日だったと喜んでいただけました。
10月に予定している「鎌倉の大本山光明寺と大本山増上寺 団参一泊二日の旅」に皆さまの参加を玉圓寺一同お待ちしています。
和尚のひとりごとNo126「五存七欠」
お経はインドの言葉であるサンスクリット語から中国語に翻訳されていることは、和尚のひとりごとNo123で紹介いたしましたが、今回は浄土宗の経典である「浄土三部経」の翻訳にまつわるお話です。
「無量寿経」と「阿弥陀経」のサンスクリット語の経典名は同じで「スカーヴァティー・ヴィユーハ」といい、「極楽の荘厳」「極楽の美しい様子」という意味があります。確かに「無量寿経」と「阿弥陀経」には極楽がどんなところかが書かれています。「極楽経」や「極楽の荘厳経」などとはせずに、それぞれの経典の題名に阿弥陀様のお名前と別名(無量寿佛)が付けられたのは、翻訳された方の智恵の結晶でしょう。
翻訳の歴史ミステリーとまでは、いきませんがちょっとした謎があります。それは、「無量寿経」の「五存七欠」(ごぞんしちけつ)と呼ばれるものです。
「無量寿経」は12回翻訳されたとありますが実存しているのは5部で残りの7部が現存していないことです。
現存しない7部は、経典名や誰が翻訳したという記録なども残っているようですが、不思議なことです。
このような経典の翻訳には、「○存×欠」という翻訳された記録はあるけれど現物がないということが多数あります。「阿弥陀経」も3回訳されているけれども2部はあり1部がない「二存一欠」があります。
現在では、この「無量寿経」の7部に関して、実は翻訳されていなかったのではないかという説が有力なようでが、真相は如何に?
和尚のひとりごとNo123「音写」(おんしゃ)
2月に入りました。2月15日は「涅槃会」(ねはんえ)があります。「涅槃会」については、和尚のひとりごとNo41をご参照ください。
「涅槃」とは、迷いのなくなった境地、悟りを得た状態のことです。
「涅」とは、黒い土とか黒いという意味があり、「槃」は、タライ 平たい鉢のことです。ここから悟りを得た状態を意味するのは、無理があります。
お釈迦さまの時代の言葉のサンスクリット語に「ニルヴァーナ」(nirvâna)という言葉があります。この言葉の音(発音)だけをとって、漢字を当て字したものが、「涅槃」だからです。
このように言葉の音だけをとって漢字にすることを「音写」(おんしゃ)と呼び、お経には数多く用いられています。
私たちが普段からお称えしているお念仏「南無阿弥陀佛」も音写されたものです。
「南無」は「ナーモ」(namas)というサンスクリット語で「帰依する」という意味を持つ言葉を音写したもので、「阿弥陀」は、「アミターユス」(Amitâyus)と「アミターバ」(Amitâbha)と二つの言葉を音写されたものです。
「アミターユス」は「はかりきれない寿命をもつ」、「アミターバ」は「はかりきれない光明をもつ」という意味があり、どちらも阿弥陀さまのお名前で、「無量寿仏」「無量光仏」とお呼びすることも御座います。
浄土宗のお経「無量寿経」の無量寿は阿弥陀さまのことです。
音写されたものの中には、言葉の他にも、人の名前が多くあります。
「阿弥陀経」では、舎利弗(しゃりほつ)という言葉が多く出てきますが、こちらは、お釈迦さまのお弟子さんのお名前です。
音写がお経をわかりにくい物にしている要因のひとつかもしれません。
分からない単語はそういう言葉だと思って、お経を読んでみれば、少し分かりやすくなるのではないでしょうか。
和尚のひとりごとNo114「善導大師」
先日、「お仏壇の阿弥陀様の右側の方は善導大師とお聞きしているけれど、どのような方ですか?」と聞かれました。少し紹介させていただきます。
善導大師(618―681)は中国の方で、法然上人の時代より500年ほど前の唐の初めごろ長安を中心に活動された方です。「観無量寿経」を学んで、本願念仏、凡夫往生の教えを広められました。
著書には、『観無量寿経疏』 『往生礼讃』 『法事讃』などがあります。
特に『観無量寿経疏』は観無量寿経の解釈本で「観経疏」(かんぎょうのしょ)ともいいます。
法然上人は「観経疏」を、何度もお読みになり『誰でもが、阿弥陀様を信じて、南無阿弥陀佛とお念仏を称えれば救われる』と確信を持つことができました。
また、法然上人の夢の中に、善導大師が現れ、「あなたは、お念仏を称えれば救われるという教えを広めようとしている。(それが正しいことである)だからあなたの前に現れたのです。」と語りかけられました。
法然上人はこの夢によってこの教えは善導大師の真意にかなうことであるとして、人々に教えを広めることに踏み出しました。
法然上人が、「わが師は、善導なり」といわれたと伝わっています。
この夢の中の出来事を「二祖対面」と呼びます。このとき、善導大師の下半分が金色に輝いていました。
お仏壇の善導大師の下半身が金色なのは、二祖対面の時のお姿を現しているからです。
お念仏のありがたさを教えて頂いた法然上人、善導大師に感謝の気持ちをこめて、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・・・
和尚のひとりごとNo113「母の日参り」
母の日にお墓、お仏壇に、亡き母に感謝の気持ちを込めて花をお供えする「母の日参り」が広がっています。
世界各国に母の日はありますが、その始まりはそれぞれ違います。
日本の母の日は、アメリカで始まった母の日が入ってきたものです。
アメリカのアンナという女性が、母親の追悼式に、母親が好きだった花(カーネーション)をお供えし、参列者に配ったことが始まりだと言われています。
この日が5月第2日曜日でした。
母親に感謝の気持ちを表す日として広がり、その後、アメリカの法律で記念日となりました。
日本には、明治末から大正の初めごろに伝わりました。
亡き母へ感謝の気持ちを表したことが、母の日の始まりでした。
母の日は、お墓、お仏壇に、亡き母が好きだった花をお供えしてお参りしましょう。
極楽におられるお母様に「ありがとう」の思いを伝えることはできないのでしょうか。
いいえ、伝えることはできます。「ありがとう」と、思いを込めながらお念仏を称えると、お母様にお念仏と共にその思いが伝わります。
「母の日参り」 素晴らしいですね。