和尚のひとりごとNo1047「袈裟5」

最初の弟子となった五比丘が偏袒右肩にて釈尊を迎える様子

最初の弟子となった五比丘が偏袒右肩にて釈尊を迎える様子

袈裟の被着法には、偏袒右肩(へんだんうけん)と通肩(つうけん)の二種があります。偏袒右肩は、敬意を表すときにその対象に右肩の肌を露わにして、左肩のみを袈裟で覆った被着法です。現在の日本の僧侶の袈裟も身にまとう、袈裟から右側の肩にあたる部分を出すという形にその名残をとどめます。またお寺で仏さまをお参りする際に右繞(うにょう)を行う時があります。右繞とは仏の周りをまわって敬意を表する事ですが、その際に必ず時計回りに回るのは、右側を尊敬する対象に向ける必要があるからです。
通肩は仏に代わって説法するときや乞食するときなどに両肩にかける事をいい、托鉢などで在家信者の家を訪れる際、外出する際は通肩が基本となります。
このように定められたのは、釈尊当時より数ある沙門グループ(仏教以外の修行者たち)と仏教の出家者を区別するためであったと伝えられます。つまり一目で仏教僧と分かるようにしたいわば僧侶の制服ともいうべきものが袈裟であった訳です。

和尚のひとりごとNo1042「袈裟4」

袈裟を縫い合わせる際には、布切れを改めて壊色に染め直し、小さく割截(かっせつ)した上で縫い合わせました。その結果、表面に現れる縫い目が現われます。この縫い目に区切られた様子を田んぼに喩えて田相(でんそう)と呼び、これを「福田衣(ふくでんね)・田相衣(でんそうえ)」とも称しています。福田とは僧侶が身につける袈裟、ひいては僧侶の修行を支える事により、あたかも田植えを行った如く、必ず良き見返り(福)が実を結ぶと考えるからです。僧侶はそのような期待を受けている事を真摯に捉えて修行に専念するという事になります。
また縫い合わせる際には縦長の布切れを合わせていきますが、この縦長の布片を条(じょう)として、この数(条数)によって安陀会(あんだえ 五条)・鬱多羅僧(うったらそう 七条)・僧伽梨(そうぎゃり 九条から二十五条)の三衣(さんね)に大別されています。そしてこの三衣(三種の衣)が仏教僧が身につけているべき最低限の衣服となり、極端な寒冷や病に犯された際を除き、原則としてはこの三衣以外に何かを身につける事は許されていません。

慈雲尊者

慈雲尊者


因みに明治から昭和にかけて在世された傑僧の澤木興道氏は本来の袈裟である如法衣を宣揚し、自らもそれを身につけてました。澤木氏が研究されたのは江戸時代後期に戒律を重視する「正法律」を提唱した慈雲尊者であったと伝えられます。