和尚のひとりごと「伝道掲示板437

syuxtuke

出家者(沙門)に布施し、その生活を支えることは
田畑に種を蒔き、その収穫を得ることになぞらえて
功徳の収穫を得るための行為として奨励された。
その対象は釈尊自身に限らず
あらゆる出家沙門にも広げられる。
これを福田と呼ぶ。

その釈尊が在家信者の筆頭とも言える給孤独長者に告げた言葉。

和尚のひとりごとNo699「法然上人御法語後編第十九」

孝養父母(きょうようぶも) 示或人詞

【原文】
孝養(きょうよう)の心(こころ)をもて母(ちちはは)を重(おも)くし思(おも)わん人は、まず阿弥陀仏(あみだほとけ)に預け参(まい)らすべし。我が身(み)の、人となりて往生を願い、念仏する事は、偏(ひとえ)に我が父母の養い立てたればこそあれ。わが念仏し候(そうろ)う功徳(くどく)をあわれみて、わが父母を極楽へお迎えさせおわしまして、罪をも滅(めっ)しましませと思(おも)わば、必ず必ず迎え取らせおわしまさんずるなり。

孝養父母
親孝行。

koudai19


【現代語訳】
両親に対する孝行の心をもって、父と母を大切に思う人は、阿弥陀仏にすべてお任せするべきです。私が人として生を受け成長でき、往生を願って念仏を申せるのも、ただ父母が私を育ててくれたが故有なのです。私が申す念仏の功徳をお喜び頂き、どうか父母を極楽へと迎えて、罪業を滅して下さいますように、そのように思うならば、仏が両親を迎え取って下さることは間違いありません。


世俗の恩愛を棄て悟りの境地へと進むこと、これが法然上人が勧める出世の孝養です。そして苦しみ多い世界から安楽なる西方浄土へ、自らのみならず父母をも迎え取って頂きたいと願うこと、これこそが未だ迷界にある私たちのできる最大の親孝行であります。

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板436

ikanaru

”比丘らよ
貴き八つの道とは何か。
それは世界に対する正しき見方、
正しき判断、正しき言葉遣い、五つの戒めなどの正しき行為
正しき生き方、悪しきを抑え善きを心掛ける正しき努力
正しき注意、正しき心の統一である。”
『律蔵』大品より

”如何なる宗教であれ、この八正道を実践するものこそが誠の教えである。”
『大般涅槃経』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板435

taesinobu

”戦場の象が弓に射られた際にも
苦しみに耐え忍ぶ
まさにそのように
私は世の人々の謗りを耐え忍ぶ。
大抵の人間はその質(たち)が悪いと知るべきである。”
『ウダーナヴァルガ』より


大多数の人々の誤解にさらされたとしても
自らが正しいと思うならば
迫害を耐え忍びやり過ごすのが賢明である。
釈尊自身がコーサラ国にて誤解による迫害を受けた際の言葉であると伝えられる。

和尚のひとりごと「伝道掲示板434

hitono

”ヒマラヤの雪山を黄金で埋め尽くしても
たっだ一人の人間の欲望を満足させる事は出来ぬ。
そのように知って
己が欲望に従わず
安心を求めよ。”
『ウダーナヴァルガ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板433

tukiaeba

”腐った魚を包めば薫り高い草も悪臭を放ち
悪臭を放つ草でも薫り高い香木とともにあれば芳香を放つ。

どのような種類の人間を友としようとも
どのような人間と付き合おうととも
やがてその人間と同様に成っていく。”
『ウダーナヴァルガ』より


同様に、

”悪友とは交わるな
卑しい人とは交わるな
善き友と交わり
貴い人と交われ。”
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板432

seijyano1

”見事に説かれた言葉を耳にし、それを体得することが肝要である。
耳にして理解したことを、自ら体験において修することが肝要である。
もし人が性急に、また怠惰であるならば、智慧も学びも育つことはない。

聖者の説かれた真理を喜びをもって受け取る人々は
その言葉、心、行いの全てにわたって最上のものとなる。
平穏と柔和と瞑想の中に安立して、智慧と学びの真髄に達したのである。”
『スッタニパータ』

和尚のひとりごと「伝道掲示板431

konoyouna 1

それに至る手段が正しかろうと正しくなかろうと
手あたり次第に金儲けに奔走し
偽ることもためらわず、平気で盗み、騙し
蓄財に対して巧緻であり、自らの快楽のみを求める人
このような者の行きつく先は地獄である。
『増支部経典』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板430

koukai

”人がもしある行為を為し、それを後悔して涙を流してその報いを受けるならば
その行為は善くない行為である。

人がもしある行為を為し、それを後悔せず喜びをもってその報いを受けるならば
その行為は善い行為である。”
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板429

syariho

”彼は賢明であり、その智慧は広大である。
彼はまたその智慧において歓喜で満ち、素早く思いめぐらす。
智慧は鋭く、透徹している。
小欲にて満ち足りることが出来る。
世の人々から遠ざかり、交わることはない。
他者に教えるばかりではなく、他者からの忠告をも聞く。
また悪を非難し、それを諫める人である。”
『相応部経典』より