和尚のひとりごと「伝道掲示板266」

奉請文

御本尊阿弥陀如来の時に三唱する奉請文。
日常勤行においては仏に飯食(ぼんじき)を献じる半斎供養式で唱えられる。


御本尊が釈迦牟尼如来の時には

一心奉請 釋迦牟尼佛等
一切三寶 願入道場 受我供養    となる。

合掌

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板265」

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一心に請い奉る
王宮に降誕された釈迦牟尼如来が
この道場に入り我が供養を受け給わんことを..

仏教徒にとり最も祝福すべき一日
釈尊三大法要の一つ降誕会(ごうたんえ)において唱えられる。

合掌

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板264」

香偈

善導大師『法事讃』の香偈に代わって唱えられる。
天台宗の一七祖とされる四明法師と並び称された遵式が著した『往生浄土懺願儀』より。

願わくはこの香煙、雲となりて十方世界に満ち
一切の仏を供養しもろもろの賢者・聖者を尊び
限りない仏土の中において衆生をしてその利益により同じく安楽国に生まれんことを..

合掌

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板263」

香湯偈

『四分律行事鈔』より。

香湯は香り高き香木を煎じた湯、それによって諸々の垢が洗い浄められ
法身が具足すること五分に満ちるが如く
完全なる智慧が円満に照らし出して悟りを成就し
全ての衆生が一堂に会し法界と融合せんことを..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板262」

香水偈

出典は『四分律刪繁補闕行事鈔』
『四分律行事鈔』と同じく唐の道宣の手に成る。
法蔵部が伝承した律典である『四分律』に基づき僧衆の生活規範を示したもの。

あたかも西方浄土にあるという八つの功徳のある水が、衆生の塵・垢を洗い浄めるように
自らの掌の垢を香水によって洗い落とし、また心も染まらぬようにし
禁戒をよく保ち、犯すことなく、全ての衆生もまたかくの如くでありますように..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板261」

露地偈

魔力怨を降伏し、結(煩悩)を除き尽くして余り無し
露地に犍稚(参集の合図)を打たん
菩薩聞いて集まるべし
諸々の聞法人が生死海を流れ渡らんとねがわば
此の妙なる響音を聞き、ことごとく此処に雲集すべし

我が宗の法式(僧侶の威儀作法)は道宣(南山律師)の著した『四分律行事鈔』に依るところが大きい。この偈文は道場に入る前に唱える偈文で、出典とされる『増一阿含経』によれば合図の音を聞いて集まるのは「比丘」である。
五重相伝の要偈道場や正授戒の際に、喚鐘を打った後、これを唱えるとされている。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板260」

帰僧息諍論の文_001

法要が終わったのちにこの偈文を唱えて袈裟を外す。
「三帰礼」に含まれ、出典は善導大師の『往生礼讃』より。
「僧」とは僧伽(サンガ)つまり和合僧を意味する。
争い・論争を止めて和合僧の集いに帰依し、和合して一味となっている大海のような集いに入り、諸々の衆生と共に、無量寿国に往生する事を願おう..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板259」

散華荘厳文

『四分律行事鈔』より

散華によって道場を荘厳し供養する際に唱える。

華を散らして浄らかなる光明を荘厳し
荘厳宝華をもって帳となし
もろもろの宝華を遍く十方に散らして
一切の諸々の如来を供養せん..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板258」

奉請四天王文

善導大師『法事讃』より。

四方を浄める為に洒水(しゃすい)作法を行う際に唱える。
道場を洒水で浄め、結界し、四隅に四天王を安置して、仏敵たる諸悪を退散させる。

四天王を請い奉る。直ちにこの道場中に入らんことを。
師子王を請い奉る。師子にまた逢うは難し。
身毛衣を奮迅せば、衆魔は退散し去るべし。
頭廻して法師を廻わば、ただちに涅槃城を取すべし..

獅子の王者に喩えられるのは仏、四天王と仏を招き諸々の悪魔を斥け、いよいよ道場の荘厳が極まる。

合掌

和尚のひとりごとNo491「涅槃会」

本日2月15日は涅槃会の日です。涅槃(ニルヴァーナ)とは本来、お釈迦さま(釈迦仏)の覚りの境地を表す言葉ですが、やがて弟子たちにより、釈迦仏は肉体が滅することで本当の意味での涅槃に入ったのだと考えられるようになり、釈迦の入滅をもって涅槃と称するようになりました。これを般涅槃(はつねはん、完全な涅槃)と呼びます。
釈迦仏の入滅については確かな記録がない為、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日に、盛大に法要を営み、私たち北伝の仏教徒たちは伝統的に2月15日に涅槃会を厳修する事とされています。nehan

さて釈迦が入滅されたのは、インド北東部のクシナガラにあった沙羅双樹(サーラ双樹)の元であったと伝えられます。実に45年に及んだ伝道教化の旅路を終え、80歳の高齢に達していた釈尊は、これに先立ちゆかりの地ヴァイシャーリにて従者阿難尊者(アーナンダ)に3か月後の入滅を予告し、パーヴァーで鍛治屋チュンダの施食を受けます。そしてその際に召し上がったスーカラ・マッダヴァによる食あたりが死因になったと伝えられます。

この「スーカラ・マッダヴァ」については、昔は茸だと考えられてきましたが、豚肉を指すと考える方が穏当なようです。現在のインドでは豚肉はほとんど食される機会がありません。それはイスラム教が豚肉を食するのを禁じているからです。同様、現在ではヒンドゥー教徒によってタブー視されている牛肉を食することも、当時は普通に行われたようです。

ところで出家の身が肉や魚を食してもよいのか?疑問に思われる向きもあるかも知れませんが、出家者が守るべき規範である律には肉食を禁じた条項は存在しません(とは言っても蛇やヒト等、特定の動物の血肉を食すべきではないという記載はあります)。

しかし注意すべきは、そこに条件が付されている事です。その条件とは、「見・聞・知」を満たしていなければならないというものです。「見」とはその動物が殺生される場を見ていないこと、「聞」とは自分に施す目的で殺生されたということを聞いていないこと、そして「知」とは同様にそのことを知らないことです。これらの条件を満たすものを「三種浄肉(さんしゅじょうにく)」と呼んでいます。

やがて時代が下ると出家の肉食のタブーが成立し、いわゆる精進料理が僧侶の食事だと考えられるようになりますが、それは大乗仏教になってからの話。伝統的には、施されたもののみで生活し、施されたものに対してえり好みを交えず、食する量を八分目に、そして施されたものは決して持ち越さずその場限りのものとする事、これが釈迦の「食」に対する基本姿勢でした。

静かに最後の時を迎えた釈迦が残した言葉が 「もろもろの事象は過ぎ去るものである。おこたることなく修行を完成しなさい」というものでした。
釈迦の入滅を描いた涅槃図には、頭を北に、顔を西に向け、右脇を下にして(頭北面西右脇臥 ずほくめんさいうきょうが)、静かに、そして穏やかなお顔にて横たわる釈迦仏の御姿と、その死を悼み集まったたくさんの者たちが描かれています。