和尚のひとりごと「伝道掲示板221」

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年くれぬ春来(く)べしとは思(おも)ひ寝(ね)にまさしく見えてかなふ初夢
一年の始まりの立春に西行法師は春の到来を夢見た
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和尚のひとりごと「伝道掲示板220」

20210104

御念仏は万徳が帰するところ
その最たるは本願力なり

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和尚のひとりごと「伝道掲示板219」

20210103

その一念に全てが込められるならば
仏の名号を称ることこそ最上なり

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和尚のひとりごと「祝聖文(しゅくしょうもん)」

皆さま、令和三年元旦、新年明けましておめでとうございます。
今回は、私たち浄土宗の寺院で、一年間の安泰を願ってお正月に勤められる法要である「修正会」(しゅしょうえ)にて唱えられる「祝聖文(しゅくしょうもん)」についてご紹介いたします。

「天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがっしょうみょう) 風雨以時(ふうういじ) 災厲不起(さいれいふき) 国豊民安(こくぶみんなん) 兵戈無用(ひょうがむゆう) 崇徳興仁(しゅうとくこうにん) 務修礼譲(むしゅらいじょう)」
『無量寿経』下「五悪段」より

その意味するところは次の通りです。
「天下は泰平となり、太陽も月も清らかに輝き、時節良く雨が降り風が吹き、災害や疫病も起こらない。国は豊かに栄え、民の暮らしは安らかとなり、武力を行使することもない。〔人々は〕他人の善いところを尊び、互いに思いやりながら、つとめて礼儀正しく振る舞い、また譲りあうのである。」
(『現代語訳 浄土三部経』より)

 

仏まします世界においては、世は安泰であり、天候も程よく、疫病・災害も起きない。人々は互いを尊重し、思いやりの心で接し、礼を失することもない。このような世の中の実現を願って唱えられる偈文であります。
ご存じのように、昨年は新型コロナウイルスの影響が、世界中のさまざまな境遇の人々の生活に及びました。そして人類の歴史上、私たちは常に自然界の危険にさらされ、様々な疫病の恐怖を克服して参りました。ここで改めてコロナ禍の一日も早い終息を願ってやみません。


さて今を去る事約60年ほど前、法然上人の750年大遠忌を迎えた昭和36年のこと、浄土宗の元祖法然上人に7番目の大師号が加諡宣下(かしせんげ)されました。それを「和順大師(わじゅんだいし)」といいます。これは当時の昭和天皇がこの「祝聖文」を典拠として贈ったものであり、我が国がまだ経済成長を遂げる前、戦争の記憶も冷めやらぬ中、皆が心より平和と人間らしい安穏たる暮らしを望んでいた中でのことでありました。そして浄土宗は平成15年には宗祖法然上人のご命日である毎月25日を「世界平和念仏の日」と定め、さらに5年後の平成20年には「浄土宗平和アピール」を宣言いたしました。


改めて皆さまの平穏なる暮らしの実現、ならびに一切の有情が安らかなる心にてお過ごし頂ける世の中とならんことを、玉圓寺一同、心より祈念致します。

和尚のひとりごとNo446「誓い新たにはじめよう」

 新年明けましておめでとう御座います。新たな一年を迎え、今年一年の計画や目標、新年を迎えての意気込みを誓われた方も多い事でしょう。「一年の計(けい)は元旦にあり」という言葉があります。出典は、中国の明(みん)という時代に憑慶京(ひょうおうきょう)という学者さんが著された、『月令広義(げつれいこうぎ)』という書物に依ります。その中に、「一日(いちじつ)の計(けい)は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり。」という一文が記載されています。「晨」は「あした」と読み、「朝」の事を指します。「春」は「正月」の事を指します。全体として、「一日の始まりである朝や、一年の初めである正月に計画を立てるべきである。」という意味になり、一日の過ごし方や一年通しての生活を充実させ、無益な日々を送らない様にという戒めの言葉になります。2021-1-1

 この言葉には続きがあります。「一生の計は勤(つとめ)にあり、一家の計は身にあり。」勤勉に働く事で一生が決まります。健康でいる事で一家の行く末が決まります。簡単にまとめると、何か始める時にはきちんと計画を立てて無駄に過ごさず、健康に留意し、真面目に順序良く計画を進めていけば成功するという事になります。しかしながらこの世の中は、なかなか思い通りにはいかないものです。計画通りに進めていても思わぬ壁にぶち当たる事もあります。真っ直ぐに歩んでいても目の前に大きな壁が立ちはだかったりもします。健康に留意していても怪我をする事もあれば、病気に罹る事もあります。一年一年、年齢を重ね少しずつ老いていかねばならないのが我が身です。それがこの世、無常の世の中です。思い通りにはならない、老いていかねばならない世の中だからこそ、しっかりと歩んでいける心の支えが必要となります。

 浄土宗の御教えは、「南無阿弥陀佛」とお念仏を申す御教えです。阿弥陀佛という仏様に最期臨終の夕べ、この世で命終える時に至って、お迎えに来て頂き、西方極楽浄土へ生まれさせて頂く事をお願い申し上げるのがお念仏の御教えです。阿弥陀様は、「我が名を呼べば必ずどの様な者であっても救いとって、我が国、西方極楽浄土へと迎えとる。」と御誓いくださいました。これを本願(ほんがん)と言います。私たちの目には見えない信仰の世界ですが、「南無阿弥陀佛」と唱える声を、いつでもどこでも阿弥陀様は聞いてくださっているのです。阿弥陀様の本願は確かな誓いであるので間違いない事です。

    新しき 年迎えては さらにまた

       続けはげまん み名呼ぶつとめ (藤堂恭俊)<増上寺第86世法主>

 コロナ禍で、まだまだ生活し難い日々が続きそうです。不安や心配事の絶えない日々、私たちの思い通りにはいかない世の中ですが、信仰を心の支えに今年一年もしっかりとお念仏を申して歩ませて頂きましょう。

和尚のひとりごと「伝道掲示板218」

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『首楞厳経』は禅法にのっとり悟りの要諦を説いている。
”仏性は、実にもっともすぐれた人間の特質である…
ただこの仏性を知ることを尊いとする…”
すべての人間が等しく黄金にも譬えられる仏性を持っている。
見えないけれども必ず仏となる素質を秘めている。
この確信からしか仏道は始まらないのかもしれない。

和尚のひとりごと「伝道掲示板217」

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泥中の蓮華のたとえは私たちに何を教えてくれるのだろうか?
それは五濁悪世のただなかにあって高き志を保ち続ける尊さかもしれない。

和尚のひとりごと「伝道掲示板216」

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怒りの感情は貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)の三毒に数えられるように
心に潜む煩悩の最たるものであった。
しかしながら私たちにはその感情が沸き起こるときに踏みとどまり
その無意味さに想いを馳せて、別の選択肢を歩むこともできる。

和尚のひとりごと「伝道掲示板215」

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古来より万人は理想とした”不死”とは何か
釈尊にとりそれは”心を慎み、怠けないこと”であった
「心を慎み、怠けないこと、これを甘露(不死)という。怠けて慎みがないこと、これを死という。もし怠けなければ、不死の理を体得し、もし怠ければ、つねに死への道へ赴く。」

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和尚のひとりごと「伝道掲示板214」

1226

おのれの思い通りにならないのが世の実相であるならば
その思いを制御しなければならない
釈尊が今際の際に従者阿難に残したのは自灯明 法灯明の諫めであった。
近代の学者はここに真の主体性の確立を目指す魂を見た。

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