和尚のひとりごと「伝道掲示板196」

 gionshouja

祇園精舎(祇樹給孤独園精舎 ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)
身寄りなき孤独な人々に日々の糧を与えていたことで有名だったスダッタ長者が釈尊に寄進した精舎
そこに鳴り響く鐘の音は釈迦が覚った仏法の真理を感じさせるに違いない

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かつて天竺を目指した島野兼了はアンコールワットが祇園精舎だと信じたという

和尚のひとりごと「伝道掲示板195」

 wareraha

仏の教えは死が原点である
覚悟より全てが始まる
そのことを改めて私たちに思い出させてくれることば

出家する

ゴータマは人生の四苦と出会い出城を決意する

和尚のひとりごと「伝道掲示板194」

 sonshiga

覚者とともにあることはかくの如く
かつて釈迦とともに苦行を行った五比丘は
師の話を聞いて一夜にして法眼を得たという

極楽浄土ではまさに今如来が説法を行っている

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五比丘を前に法輪を転ずるブッダ像
(サールナート)

和尚のひとりごと「伝道掲示板193」

 arayuru

『スッタニパータ』は最古の仏典とされ、そこには私たちが常に立ち返るべき原点がある。
釈迦の肉声が聞こえるようである。

北伝の伝承では釈迦成道は12月8日とされている
それにちなみ12月1日より8日まで禅宗寺院では不眠不休の臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)が行われる

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アジャンター遺跡の降魔成道図

和尚のひとりごとNo416「信頼はかたちのない財産」

 

 

 本年一月『「おはよう」笑顔かがやく』の中でも書きましたが、「無財(むざい)の七施(しちせ)」と言って、金品でなくても出来るお布施が『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』というお経に説かれています。jyuunigatu

  「眼施(げんせ)」:澄んだ優しい眼差しで応じる事。

  「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」:和やかな優しい笑顔で接する事。

  「言辞施(ごんじせ)」:優しい思いやりのある言葉で接する事。

  「身施(しんせ)」:体で出来る事は進んでさせてもらう事。

  「心施(しんせ)」:心から愛情を注ぎ、思いやりの心で相手の立場になって接する事。

  「床座施(しょうざせ)」:座席や場所を譲る事。

  「房舎施(ぼうしゃせ)」:部屋を綺麗にしてお客様を招き入れ、不快な感じを与えない事。

 日々の暮らしの中では、相手に対する接し方や自分自身の行動で信頼関係が築き上げられ、それが目には見えないけれども大きな財産となってまいります。「無財の七施」はどちらかというと目に見えて分かる善業、善い行いです。「陰徳(いんとく)」という言葉があります。人の見ていないところでする善い行いで、その善業によって自身の徳を積むという事です。徳とは善い行いによって身に付く特性や結果として得られる善い報いの事です。人目に触れず善い事をするという意味合いが強いですが、積極的にプラスになる事をするのではなく、マイナスになる事をしないという心がけで、結果としてプラスになるという意味が本来の「陰徳」です。例えば電車内で体調の悪そうな人や高齢者を見かけた時に席を譲るのは「床座施」であり、「陰徳」ではなく「顕徳(けんとく)」になります。目に見えて分かる善い行いが「顕徳」。「陰徳」は、「もしかしたらここに誰か座るかも知れないと思って、初めから座らずに立っておく行い」を言います。「陰徳」の実践方法は色々ありますが、『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』という禅宗の書物には「人知れず仏様を拝む事が陰徳である」と説かれています。

 法然上人は「飾る心無くして、真(まこと)の心でお念佛を申しなさい」と示されました。ある晩、法然上人が夜中に起きて一人でお念仏を申していたのですが、人の気配を感じたので声に出してお念佛を称えるのを止め、法然上人はそのまま寝つかれました。どうしてお念佛を止められたかについて、法然上人は、「人は必ず人目を気にするものです。どんなに親しい間柄でも人目を気にし、飾る心というものを人間は持っています。そういう飾る心でお念佛を申しては心の底から素直に往生を願う事は難しいものです。人目を気にする事なく、飾る心を捨てて真心込めてお念佛申す事が大事です」と仰られました。

 人目を気にして良く見せようという着飾った気持ちでは誠実な心ではなくなります。日々の日暮らしの中でも人目を気にしてではなく、誰が見ていようと見ていまいと善い行いをする事で信頼は生まれてくるものです。常平生の行いは身につくものですから出来るだけ善い行いを心がけて過ごして参りましょう。

和尚のひとりごと「伝道掲示板192」

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心の重要性
むしろ心が主体の如く振る舞い
それが迷いの元となっている事は
釈尊によって既に明確に説かれていた。

“ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される”
中村元師訳『ブッダ真理の言葉』より

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和尚のひとりごと「伝道掲示板191」

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阿梨耶識(ありやしき)または阿頼耶識(あーらやしき)とは宇宙万物を生成する根源であり
衆生の迷いの本源であるとされる。
それが如来蔵(仏となる可能性)と同義であるとする。
ここにも勝方便としての念仏が示されている。

『大乗起信論』は南北朝時代末期の中国において優れていながらも世相に翻弄された三蔵法師
真諦三蔵によって訳され、のちの東アジア仏教の展開に与えた影響はすこぶる大なるものがある。

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真諦三蔵の出身地とされる西インドウッジャイニー
現在はヒンドゥー教の聖地として知られる

和尚のひとりごと「伝道掲示板190」

たとえば

「若し人、父母の恩を報ぜんと欲すれば、父母に代って誓願を発し、
阿蘭若菩提道場に入りて、昼夜常に妙道を修せよ」(同経)

人気のない阿蘭若(あらんにゃ)に住し、自らの心を観察して心性が本来空寂であることを覚る
大乗仏教の出家のありようをこのように説く。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板189」

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このように続く
“然るに苦を受くるあり
楽を受くるあり
好きあり
悪しきあり
現報あり後報あるは何ぞやと..
其行う所の業に従って差別の果報を生ず”

作者は実在しないが、行いの報いは存在する
我々が思うようには主体は存立していないが
苦楽ともども確かに我々が感受している世界である

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和尚のひとりごと「伝道掲示板188」

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“意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法(すべて)は意(おもい)に成る
意(おもい)こそ諸法(すべて)を統(す)ぶ
きよらなる意(おもい)にて
且つかたり且つ行わば
形に影がそうごとく
たのしみ彼にしたがわん”

心清らかなれば自ずと福楽を得
心清らかならざれば災苦つきしたがうことかくの如し

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