和尚のひとりごと「伝道掲示板119

 ara

人の世に存在するあらそい、いさかいは須らく個々の者たちの煩悩に依っている

釈尊はこのように述べた
世間は燃えている
貪りと怒りと愚かさによって..

自分本位なる考えを捨てたとき仏の教えへの道が開かれる

Golden Buddha.

和尚のひとりごと「伝道掲示板118

 donran

三蔵流支(さんぞうるし)、浄教(じょうきょう)を授さずけしかば、
仙経(せんぎょう)を焚焼(ぼんしょう)して楽邦(らくほう)に帰きしたまいき。

天竺より来た菩提流支三蔵との出会いにより浄土の教えに目覚め
不老長寿を理想とする『仙経』をすべて焼き捨ててしまったと伝えられる曇鸞法師

菩提流支三蔵いわく
「たとえ長生きしてもしばらくの間、死なないだけ..結局は三界に輪廻するのみ」

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曇鸞大師ゆかりの玄中寺
(中国山西省)

和尚のひとりごと「伝道掲示板117

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華厳経等に、一念瞋恚の火、無量劫に功徳法財を焼亡すと説り。
世の惑ふかき者は、一朝のいかりにその身をわすれて、其親に及すあり。
慈雲尊者飲光『人となる道』「第九不瞋恚」

たった一度のそのときの怒りや苛立ちは過去と未来を含めたすべての善根を滅ぼす
見た目に同じ行為でも菩薩の慈悲心に基づくものか
自分本位の欲望に基づくものか
私たち凡夫にとっては紙一重なのかも知れない。

kokijis2015.09.06 (11)

高貴寺の地蔵尊
(画像は高貴寺に石上露子を訪ねるのブログから引用させて頂きました)

和尚のひとりごと「伝道掲示板116

kokoyori

仏、舎利弗に告げたまわく
これより西方十万億の仏土を過ぎて
世界あり
名づけて極楽という
( 鳩摩羅什訳『仏説阿弥陀経』 )

『無量寿経』にいわく
ここを去ること十万億刹なり。その仏の世界をば名づけて安楽といふ

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遥か西方に確かにあると仏により示された仏国土
未だ至ったことはないが、焦がれる想いを抑えることはできない..

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板115

kanji

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄
観自在菩薩が深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみた)を行ぜしとき
五蘊(ごうん)は皆空(かいくう)なりと照見(しょうけん)して
一切の苦厄(くやく)を度し給えり

“空”を説く一連の般若経典群
そのエッセンスと名付けられたのが『般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩はその自在なる観察力によって現象の本質が空(からっぽ)であることを見通した
そしてそのことにより一切の苦悩が滅したという

その境地をこのように言い表す
色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)

物質的現象には実体が無いのであり、実体が無いからこそ物質的現象で(あり得る)のである。(中村元師訳)

観自在菩薩は別名”観世音”とも呼ぶ

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滋賀・園城寺観音堂に安置される如意輪観音像

 

和尚のひとりごとNo325「あまねくわたる仏のこころ」

ふみまよう こころの闇を てらしませ わしのみ山に のぼる月影

 

 冒頭の御歌は明治時代に生まれ、長野県に御座います大本山善光寺第119世・法主となられた大宮智栄(ちえい)尼公・大僧正(だいそうじょう)の御作です。智栄尼僧は女性の地位が低く見られていた時代に、女性の社会的地位向上や女性への教化活動を積極的に行い、社会教化活動に御尽力されたお方です。御歌を意訳すると、「闇路に迷う私を、あの山にのぼる月の光のように、如来様の御慈悲の光で心の中まで明るく照らし、お導きくださいませ」になります。

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 阿弥陀様の御光(みひかり)は念仏を申す者には、いつでも、どこでも、どこまでも放ってくださっており、常平生は「護念(ごねん)し給う」と説かれるように、念仏申す者をいつもお護りくださっているのです。

 或る方が法然上人に、「阿弥陀様はお念仏の声を聞いて、最期臨終の時にお迎えに来てくださると申します。では阿弥陀様に救われるのは生きて生活している時はないのでしょうか。やはり臨終の時だけなのでしょうか」と現世の利益(りやく)について尋ねられました。現世利益(げんぜりやく)とは、神仏を祈ることによって、今この世で授けられる「恵み」や「救い」、「幸せ」とお受け取りください。すると法然上人は、「平生の時から救われるのです」と答えられました。続けて、「それは阿弥陀様の在しますお浄土に往き生まれる事(往生)を願う心に偽りがなく、我が身の往生を疑わずに来迎を待つ人は必ず極楽に生まれるということは、『観無量寿経』に説かれている通りです。このような志のある人を阿弥陀仏は八万四千の光明を放って照らされるのです。平生の時に照らし始めて、臨終までお捨てになりません。ですからお念仏を申す者を救い取って捨てることがない誓約というのです」と説かれました。つまり、南無阿弥陀佛とお念仏を申す人は、常平生から阿弥陀様の御光に照らされて護られているのであり、最期臨終まで照らし続けてくださっているということなのです。

 法然上人は「死の縁は無量」と捉えられ、私たちはいつ、どこで、どの様に亡くなっていくかは分からない身であると示されました。しかし、いつどの様な形で死を迎えるかは分からなくとも、常日頃からお念仏を称えていればその一声一声に応じてくださっている阿弥陀様ですから、いついかなる時に死を迎えても大丈夫なのです。その為にも常平生のお念仏が大切であり、私たち自身が最期臨終まで称え続けるようにとお説きくださっているのです。

 最期は必ず阿弥陀様に迎えとっていただき西方極楽浄土に生まれさせていただける。また常平生は阿弥陀様が見護ってくださっていると共々に想いを寄せてお念仏申して過ごして参りましょう。

和尚のひとりごと「伝道掲示板114

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遂に意を決して年の十二月八日の中夜、人定まれる時刻を以て私(ひそ)かに宮を出(い)で、車匿(チャンナ)に命じて、白馬犍陟(はくばカンタカタ)を牽かしめ、之に騎して夜中に城を去り給えり
『釈尊伝』より

若きゴータマの出家は皆が寝静まった夜半のことであったという
城の者たちは皆眠りふけり、ただ王子と従者車匿(チャンナ)
また愛馬カンタカタのみが目を覚ましていた
世界は深い眠りに落ち、ただひとり王子のみが目覚めに向けて歩み出そうとしていた

shaku

出城(野生司 香雪画伯)

和尚のひとりごと「伝道掲示板113

 muryou

無量億劫(むりょうおっこう)にも値(あ)ひ難く見奉(みたてまつ)り難し
猶(なお)霊瑞華(れいずいけ)の時々に乃ち出(い)づるが如し
『無量寿経』より

大悲をもって道を説き給う仏の世に出でたるに出会えることが
稀にみる僥倖であることを譬えていう

浄土宗の法然上人は教法に出会えた喜びをこのように残した。
釈尊の在世(ざいせ)に遇わざる事は悲しみなりといえども、教法流布(きょうぼうるふ)の世に遇う事を得たるは、これ悦(よろこ)びなり。譬えば目(め)しいたる亀の、浮き木(うきぎ)の穴に遇えるがごとし。
「登山状」より

『優曇華(うどんげ)』

千年に一度花を咲かすといわれる『優曇華(うどんげ)』

和尚のひとりごと「伝道掲示板112

kiku

聞くを羞(は)じて問わずんば後に羞を来すべく、
生死を畏(おそ)れずして放逸(ほういつ)に過ぎならば後に畏れを来すべし
『出曜経』

尋くは一時の恥、訊かぬは一生の恥
実行すべきは今この時しかない
仏の実践した不放逸の教えは即断、実行を常に求めている

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和尚のひとりごと「伝道掲示板111

buppo

佛法(ぶっぽう)の大海(たいかい)には信(しん)を以て能入(のうにゅう)とす(龍樹『大智度論』より)

汲み出せども汲み出しきれぬ大海にも譬えられる仏の教えに入るには
信ずる心こそが不可欠である

智度は”般若波羅蜜”の訳
中観派の祖である龍樹による空の教えの浩瀚な注釈である

pixta_13068242_M紺紙金字大智度論が伝えられる京都 神護寺