和尚のひとりごと「伝道掲示板73」d6

PixabayよりSilentpilotの画像

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河底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる
出典:『スッタニパータ』720

 

和尚のひとりごとNo277「三千大世界」

先日、「三千大世界とは、なんですか」と尋ねられました。

経典に度々出てくる”三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)”とは、仏教の宇宙観を端的に表す言葉です。原語ではtri-sāhasra-mahā-sāhasra-loka-dhātu(トリ・サーハスラ・マハ―・サーハスラ・ローカ・ダートゥ)、舌を噛みそうな言葉ですが、意味は訳語の通り、これは一言でいえば全世界、全宇宙を言い表しています。


仏教の世界観では最小単位となる一個の世界の中心には、高さが八万由旬(ゆじゅん)にも及ぶ非常に高い山がそびえています。これを須弥山(しゅみせん)と呼びます。八万由旬とは約57万6千キロメートル、とてつもない高さですね。これはインドから見上げたヒマラヤ山がモデルになっていると言われています。そして山頂には天界の住人(神々)が住んでいるといわれ、地下深くには地獄(naraka、奈落)が存在します。須弥山を取り囲むように海や大陸(四大洲)があり、私たちの住む南閻浮洲(なんえんぶしゅう)もここにあります。さらにこの世界は地輪や水輪といった様々な材質の地層で構成され、世界にはその果てがあります。


この最小単位の世界を須弥山世界と呼びますが、その須弥山世界が千個集まって小千世界となり、その小千世界が千個集まったものが中千世界、さらに中千世界が千個集まったものが大千世界(三千大千世界)となります。ざっと計算すれば一つの世界がおよそ10億個集まったのが三千大千世界という訳です。
そしてこれらの世界はこの宇宙空間のあらゆる方向に広がっている。そして各々に有情(”衆生”に同じ、心ある生き物)の営みがあると考えます。


この須弥山世界は決して永遠不滅のものではなく、非常に長いスパンで生成(始まり)と破滅(終わり)を繰り返しており、その運動の大本には有情の業の力があると言われています。私たち自身の思いや行為の積み重なりこそが大きな力となっています。


また須弥山世界というのは一人の仏(ブッダ)が教化する範囲であるとも定義されています。実は伝統的には一つの世界には一人のブッダしか現れないと考えられており、私たちの生きる娑婆世界における仏さまとはそのまま釈尊その人のことを指しました。しかも釈尊滅後、当面は仏の不在期間が続き、やがて皆さんご存知の末法の時代に至ります。それがやがて一つの世界には仏は一人だが、そのような世界が無数に存在し、それぞれに仏さまがいらっしゃるはずだと考えられるようになったのです。


宇宙空間には無数の銀河がちらばり、その中には私たちの住むような環境も決して珍しいものではない。
そのように説く現代の宇宙論も連想させるような考え方が、古来より伝承されてきた世界観に見出されるというのは興味深いことです。

 

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板72」

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心外無別法(しんげにべっぽうなし)(華厳経)

P8051487-2阿頼耶識は暴流の如く

渇きを潤す清水も、餓鬼には喉を焼く炎にか見えないという

すべては心の持ち方次第
識を転じて智を得れば
迷いの阿頼耶識は覚りの大円鏡智(だいえんきょうち)へと変わる

和尚のひとりごと「伝道掲示板71」

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内なる心が迷いを生み出し
また新たな道を歩みだすきっかけも作る
人々唯識 各々がそれぞれの心を生きている

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唯識の祖と仰がれる弥勒菩薩像

(太秦 広隆寺)

和尚のひとりごと「伝道掲示板70」

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一寸先は闇、人生は先が見えぬ飛躍の連続
そして極楽国への往生こそは最も大いなる飛躍
ただ一所懸命(いっしょけんめい)に、ただ只管(ひたすら)に..

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遊行念仏に生涯を捧げた空也上人像

(六波羅蜜寺所蔵)

和尚のひとりごと「伝道掲示板69」

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水路、陸路ともに難あれど容易きは前者
〝仏への信によって不退転の位を得る”(龍樹菩薩『十住毘婆沙論』)

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八宗の祖と称えられる龍樹の名を冠するナーガールジュナコンダの遺跡

和尚のひとりごとNo272「法然上人御法語第二十五」

前篇 第25 導師嘆徳(どうしたんどく)

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~善導こそ弥陀の化身なり~

【原文】

静かに以(おもんみ)れば、善導(ぜんどう)の観経(かんぎょう)の疏(しょ)は、これ西方(さいほう)の指南(しなん)、行者(ぎょうじゃ)の目足(もくそく)なり。然(しか)ればすなわち西方の行人(ぎょうにん)、必ず須(すべから)く珍敬(ちんぎょう)すべし。

なかんずく、毎夜(まいや)の夢の中(うち)に僧ありて、玄義(げんぎ)を指授(しじゅ)せり。僧というは、おそらくはこれ弥陀(みだ)の応現(おうげん)なり。爾(しか)らば謂(い)うべし、この疏(しょ)は弥陀の伝説(でんぜつ)なりと。いかに況(いわん)や、大唐(だいとう)に相伝(そうでん)して云(い)わく、「善導はこれ弥陀の化身(けしん)なり」と。爾(しか)らば謂(い)うべし、「この文(もん)はこれ弥陀の直説(じきせつ)なり」と。すでに、「写(うつ)さんと欲(おも)わん者は、もはら経法(きょうぼう)のごとくせよ」といえり。此(こ)の言(ことば)、誠(まこと)なるかな。

仰(あお)ぎて本地(ほんじ)を討(たず)ぬれば、四十八願(しじゅうはちがん)の法王(ほうおう)なり。十劫(じっこう)正覚(しょうがく)の唱(とな)え、念仏に憑(たの)みあり。俯(ふ)して垂迹(すいじゃく)を訪(とぶら)えば、専修念仏(せんじゅねんぶつ)の導師(どうし)なり。三昧(さんまい)正受(しょうじゅ)の語(ことば)、往生に疑いなし。本迹(ほんじゃく)異なりといえども、化導(けどう)これ一(いつ)なり。

ここに貧道(ひんどう)、昔此(こ)の典(てん)を披閲(ひえつ)してほぼ素意(そい)を識(さと)れり。立ちどころに余行(よぎょう)をとどめてここに念仏に帰(き)す。それより已来(このかた)、今日(こんにち)に至るまで、自行(じぎょう)・化他(けた)、ただ念仏を縡(こと)とす。然(しか)る間(あいだ)、稀(まれ)に津(しん)を問う者には、示すに西方の通津(つうしん)をもてし、たまたま行(ぎょう)を尋(たず)ぬる者には、誨(おし)うるに念仏の別行(べつぎょう)をもてす。これを信ずる者は多く、信ぜざる者は尠(すくな)し。〈已上略抄〉

念仏を事(こと)とし、往生を冀(こいねが)わん人、豈(あ)に此(こ)の書(しょ)を忽(ゆるが)せにすべけんや。

勅伝第18巻

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【ことばの説明】

善導(ぜんどう)の観経(かんぎょう)の疏(しょ)

善導大師が著した唯一の教義書でもある『観無量寿経疏』は、それ以前に中国で行われていた『仏説観無量寿経』に対する解釈を一新した。特にその玄義分において、王舎城の悲劇の主人公である韋提希夫人(いだいけぶにん)が凡夫であり、その凡夫に対して釈尊が浄土門を開示したのが『観経』であるとする。つまり阿弥陀仏の本願は凡夫をこそその対象とするものであることがここに明らかに示された訳である。

 

玄義(げんぎ)

深遠なる真理、本当の意味。

 

応現(おうげん)

化身に同じ。仏・菩薩が衆生の教化・救済のために、時機に応じた姿となって現われ出ること。

 

本地(ほんじ)

上記のように仏・菩薩がその様態を変えて神となって現れた姿を垂迹(すいじゃく)と呼ぶのに対して、その本来の姿を本地と呼ぶ。

 

三昧(さんまい)正受(しょうじゅ)

「三昧」とは禅定(精神集中)のこと。原語samādhi(サマーディ)を音写した語で、三摩地(さんまじ)、三摩提(さんまだい)とも言う。

「正受」とは正しく受け継ぐこと。

善導大師は「三昧を正受された」すなわち「三昧を発得」し、深い精神集中の境地において浄土や仏の様相を見ることが出来たことを言っている。

 

本迹(ほんじゃく)

上に述べた本地(ほんじ)と垂迹(すいじゃく)。

 

貧道(ひんどう)

出家はしたものの仏道修行の未だ未熟な人のこと。ここでは法然上人がへりくだって御自身をそのように呼んでいる。類似の表現として拙僧など。

 

 

【現代語訳】

心静かに思ってみれば、善導大師が著した『観経疏』は、西方の極楽浄土への導きそのものであり、念仏行者にとってみれば、道を照らす目となり歩みを進める足となるものです。ですから西方浄土を目指す行者は、是非とも大切に敬わなければなりません。

とりわけ、毎晩夢の中にて一人の僧侶が(善導大師に)奥義を示し授けたのであります。この僧は阿弥陀仏が仮にその姿を現したものであるに違いありません。そうであるならばこのように申し上げるべきでしょう。(弥陀の教授によって善導大師によって著わされた)この『観経疏』は、阿弥陀仏から直接説き伝えられたものであると。言うまでもなく、偉大なる唐の国においてはこのように伝承されています。「善導大師は弥陀の生まれ変わりである」と。それであるなばら申すべきであります。「(観経疏に記された)この言葉は阿弥陀仏か直接説かれたものに他ならない」と。まさしく(善導大師御自身が)「(この観経疏を)書き写そうと思う者は、全く以てこれを仏の言葉を書き残した経典の如くに扱え」と仰っています。この御言葉こそ至極もっともであります。

仰ぎ見て仏の本来の御姿を辿っていけば、もとは四十八願を立てられた法王(である阿弥陀如来)に他なりません。その阿弥陀如来が十劫の遥か昔に既にお悟りを得て仏陀となられていると言われるが故に、私たちは称名念仏を頼みとするに足りるのです。今一度、身をひれ伏し、敬虔なるこころをもって、仏が私たちの済度のために様々な仮の姿をとって現われて下さっているそのお姿を辿れば、それはまさしく専修念仏を伝えて下さる導き手であります。(その善導大師が生前に)三昧を体得されていたという御言葉を残していますが、それこそが往生に疑いを差しはさむ余地がないことを明白に示しているのです。(このように元の姿である仏と、仮の姿である善導大師というように)元と仮の姿在り様の違いはあれども、お示し下さる教え自体は同一なのです。

そこで拙僧(未だ修行至らぬ身であるこの私法然)は、かつてこの観経疏を開き拝読して、その書の真意を知るに至りました。そこでただちに念仏以外の行をやめて、ただ念仏を拠り所とするようになりました。それ以来というもの、ただいま今日に至るまで、自分自身の為に励む修業も、あるいは他への教化・救済についても、ともに念仏をこととするようにしています。その間も、稀に彼岸へ至る渡し場を探す者がいれば、西方浄土へ通じる渡し場を示し、修業方法を尋ねる者が来れば、特別な行としての念仏を教え諭しました。これを信じる者は多く、信じようとしない者こそ少ないのです。

(以上は『選択本願念仏集』からの引用)

念仏を行うべき行として、西方浄土への往生を心から願う者であれば、どうしてこの書(『観経疏』)をなおざりに出来るでしょうか(否、出来るはずがありません)。

 

善導大師が著した『観経疏』によって、まことの意味で浄土の御教えに開眼された元祖上人の御言葉であります。それまでの『観経』に対する見方は、禅定による観察(かんざつ)に主眼を置いたものだったと伝えられます。また善導大師の当時、唐初の中国仏教界では、足かけ16年にも及ぶインド・西域旅行から帰国した玄奘三蔵の訳業が一世を風靡していました。訳業は大部にわたり、その中には馴染み深い『般若心経』なども含まれます。しかし玄奘が最も関心を寄せていたのは唯識の学理の原典に即した究明であり、その教理に基づいた経論の理解でありました。玄奘によれば「凡夫が次の生において阿弥陀仏の報土に往生することは不可能で」あり、『観経』も凡夫に向けて説かれた教えではありません。

そうした風潮の中、観経に説かれている仏の真意が凡夫の救済にあること、そして他ならぬ韋提希夫人自身が凡夫であることをはっきりと示されたのが善導大師でありました。

法然上人が夢中で対面した弥陀の化身としての善導大師、その言葉をまさに仏の金言であると受け止め、何よりも凡夫としての御自身に向けられた教えであると信受された法然上人の真情が窺われる御法語であります。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板68」

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平澤 興(ひらさわ こう)氏は明治から平成にかけて活躍された脳神経解剖学者で、浄土真宗の篤信者でもあった。

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“今が楽しい。
今がありがたい。
今が喜びである”
これも平澤氏の名言である。

禅僧一休「門松は 冥土の旅の 一里塚」と詠んだ。
いつどこで死出への旅立ちが始まるか誰にも分からない。
だからこそ今を懸命に生ききることで真の喜びが生まれる。

和尚のひとりごと「伝道掲示板67」

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過去を想わず。未来を願わず。ただ今現在、為すべきことを為せ(『マッジマニカーヤ』)

 未来はいまだ来ぬもの、過去はすでに過ぎ去って手元にないもの
いずれもどうにかできる事柄ではない

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永遠の現在(いま)に安らうブッダ像