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和尚のひとりごとNo364「御法語第三十一」
勧進行者(かんじんぎょうじゃ)
~他を謗ることなく 念仏者を助け 自身は念仏に専念せよ~
【原文】
念仏の行を信ぜざらん人に会いて、御物語り候わざれ。いかに況や宗論候うべからず。強ちに異解異学の人を見て、これを侮(あなず)り、謗(そし)ること候うべからず。いよいよ重き罪人になさん事。不便(ふびん)に候うべし。
極楽を願い、念仏を申さん人をば、塵刹(じんせつ)の外(ほか)なりとも、父母(ぶも)の慈悲に劣らず思(おぼ)し食(め)すべきなり。今生(こんじょう)の財宝乏(とも)しからん人をば、力を加えさせ給うべし。もし少しも念仏に心をかけ候(そうら)わん人をば、いよいよ御勧(おんすす)め候うべし。これも弥陀如来の本願の宮使(みやづか)いと思し食し候べし。
勅伝第25巻
【ことばの説明】
宗論(しゅうろん)
仏教においては、拠って立つ教義やその解釈についての議論を戦わせる事。法論に同じ。
その目的は仏教を説いた釈尊の真意を明らかにする事であるが、もしそれがおのれの立場を正当化する事に終始するならば仏教で否定する我執に他らない。
異解異学(いげいがく)の人
自分の立場とは相いれない見解を持った人々、学派。
不便(ふびん)
あるいは「不憫・不愍」
都合の悪いこと。気の毒な様子、かわそうなこと。
塵刹(じんせつ)
無数の国土の意味。塵は数が多いことをちりに譬えていう。刹は梵語クシェートラの音写で国土・世界の意味。
今生(こんじょう)
今現に生きているこの間、つまり現世のこと。
【現代語訳】
念仏の行を信じていない人に出会ったときには、(念仏について)話し込むことのない様にしなければなりません。ましてや他宗・他流の人々と教義について相争い、その優劣を競うなどはしてはなりません。また自分とは異なる見解を持つ人々を見ることがあっても、むやみやたらとその人々を軽んじ、謗ることはあってはなりません。(そのことによって)相手を今以上に罪重き人にしてしまっては、かえって気の毒なことであります。
極楽浄土を願い、念仏を称える人がいるならば、たとえ無数の国土を越えた彼方の人であっても、あたかも父母の慈愛に劣らぬ思いを持つべきであります。もしこの私たちの生きる現世において、財乏しき念仏者がいたら、支援するようにして下さい。またもしほんのわずかでも念仏に心を寄せる人がいたら、今以上に念仏に励む様に勧めてあげて下さい。これもまた阿弥陀如来が示して下さった本願に対する、宮使いのご奉仕の如きものであると考えて下さい。
私たちにとり何が最も大切なことか。それは御念仏を称えることである。浄土を想い、阿弥陀如来への信心を深めることである。
合掌