Monthly Archives: 12月 2020

和尚のひとりごと「伝道掲示板209」

shujouno

法身は常に光明を放って常に説法したまえども、
衆生、無量劫の罪垢厚重なること有って、見ず聞かざること、
明鏡浄水の面を照らすときはすなわち見、垢翳不浄なるときはすなわち所見無きがごとし。
かくのごとく衆生の心清浄なるときは仏を見、もし不浄なるときは仏を見ず。
『二教論』巻下

心清浄ならざればいくら努力精進を重ねても仏とまみえることは叶わない
万物のまことの姿は法身たる大日如来だという

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和尚のひとりごと「伝道掲示板208」

jibunwo

”自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである”
自説経とも称される『ウダーナヴァルガ』は釈尊が折に触れて自ら発した言葉の集成
ことばの剣は時に取り返しのつかない過ちを生む
”和顔愛語(わげんあいご)にして、意を先にして承問(じょうもん)す”
『無量寿経』ではこのように説かれている

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和尚のひとりごと「伝道掲示板207」

ittoki

円爾弁円(えんにべんえん)は鎌倉中期の臨済僧
私が座禅することで仏となるのではない
ただ仏が座禅しているのみである
心によりて人は仏とも畜生ともなり得るということだろうか

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円爾開山と伝えられる京都市東山区 東福寺

和尚のひとりごと「伝道掲示板206」

ikanaru

「世尊の御母、短命なりしことはげに不思議なり」
黄昏時、尊者アーナンダが世尊に申し上げた際に釈尊が返したことば
母親摩耶夫人(マーヤー)は釈迦生後七日後に世を去った
諸行無常の風が人を選ぶことはない

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摩耶夫人は世尊託胎の兆しを夢見た
ガンダーラ出土の浮彫より

和尚のひとりごと「伝道掲示板205」

katsute

こころが変わる。こころを変える。こころが変わることで、からだも変わる。
こころとからだが変われば、生きかたや暮らしかたも変わる。
希望という手垢のついた言葉も、再びいきいきと新しく感じられてくるだろう..
仏教はこの世の暗く苦しい夜の道を照らしてくれる光であってほしい。
<著者のことば>より

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和尚のひとりごと「四誓偈と仏の誓い」

 

私たち浄土宗のお勤めで最もよく唱えられるお経が「四誓偈(しせいげ)」です。詳しくは「仏説無量寿経 四誓偈(ぶっせつむりょうじゅきょうしせいげ)」と呼ぶように、私たちが所依の経典として最も大切にしている浄土三部経の筆頭に数えられる『無量寿経』に説かれる一節です。
『無量寿経』の中では、かつて法蔵(ほうぞう、ダルマーカラ)菩薩と呼ばれていた修行時代の阿弥陀さまが、時に出現した仏である世自在王如来との出会いをきっかけに、自らも仏となって衆生を救済することを志しました。その際に自らが建立したいと願う仏国土が備えるべき勝れた特徴を四十八願として仏の前に誓います。これらの特質がもし備わらないならば、決して仏とは成るまいとして、自らの正覚と衆生を迎えとる国土の建立を誓ったのです。そののち、四十八願の成就を重ねて誓い、その決意を表明したのがこの「四誓偈」です。
「四誓偈」はこのように始まります。
「我れ超世の願を建つ 必ず無上道に至らん 斯の願満足せずんば誓って正覚を成ぜじ」
私法蔵はいままでなかったような勝れた誓願を今立てた。
そして必ずや完全なる悟りの境地に達したい。またもし今立てた誓願通りの国土の建立が叶わないならば、決して完全なる涅槃の境地には至るまい。
浄土宗の元祖法然上人はこのような言葉を残されています。
”阿弥陀仏、本願を発(おこ)して、「我が名号を念ぜん者、我が浄土に生まれずば正覚を取らじ」と誓いて、すでに正覚を成り給う故に、この名号を称(とな)うる者は、必ず往生する也”
つまり仏となっているからには必ず衆生救済の誓いは成就している筈だ。であれば第十八願に誓われているように、十遍の御念仏で極楽へ往生できることは確かなことである。
法然上人はこのように理解されました。
『仏説阿弥陀経』の一節を引用します。
「従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽 其土有仏 号阿弥陀 今現在説法」
『ここより西方の十万億土を過ぎたところに世界がある。これを名付けて極楽という。
そこには仏があり、その名を阿弥陀という。そして今現に在まして法を説かれている。』
仏なる誓いは同時に迷える衆生を浄土へ迎え取って下さる誓いでもあります。そして仏は私たちがご縁を頂いたその時に、まさに法を説かれている。誠に心強い言葉だと改めて実感致します。
南無阿弥陀佛

和尚のひとりごと「伝道掲示板204」

12-14

同様に自らが為した業より逃れられぬ場所は
どこを探しても存在しない
すべてを、この身を丸ごと引き受けること
そこより道は始まる
仏教の原点を再確認する

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和尚のひとりごと「伝道掲示板203」

112-12

来者不歓喜
去亦不憂慼
不染亦無憂
二心倶寂静
我説是比丘
是真婆羅門

真の婆羅門とは出家沙門の理想の姿
釈尊の言葉はただ一人道を歩まんとする出家修行者には格別に厳し

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和尚のひとりごと「伝道掲示板202」

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南無阿弥陀仏と称える声はすでに西にある
心すでに西方浄土にある念仏者の声が澄み渡る様

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和尚のひとりごと「伝道掲示板201」

sokoniha

“たとえば人ありて空林(はやし)をさまよいつつ
古き人のたどりし古き道 古き小径を見出さんに
彼その道に随い行きつつ
古き人の住せし城 故(ふる)き都を見出し
そこには林園(その)をそなえ
麗しき堤(つつみ)あり蓮(はちす)ある池を見出さん”

過去仏が同じように見出した道
それは八つの正しき行いであった
過去仏が釈迦と同様の覚りを得ていたこと
それは仏法の真理が普遍的であることを意味している

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